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目一杯手伝ってあげることが、自立を促す[4歳男児育て]

子供が「手伝って」と言う時は、時間と体力の許す限りは、目一杯手やってあげていいんだ。それが彼の自立を助けるんだと思って、快くやってあげようと思う、という話。

「子供の要求にはめいっぱい応えてあげていい」というのは、育児関連でよく出てくる話だけど、それでも半信半疑だった。
でも、この一連のツイは、やっぱりそれでいいんだ、と思わせてくれた。

▼以下、tweet全文
息子は自分の脱いだ上履きを「ママ取って」と学校で言った。
先生の目の前の出来事で私はものすごく恥ずかしかった。
「何言ってんの、自分でやんなさい」と厳しくした。
でもいつまでも要求が止まらず、ある時一度受け入れてみようと、全ての「ママやって」を全部笑顔で楽しんで喜んでどんどんやってあげた。
「あげた」というより「あなたのためにやれるなんてママは幸せよ」と。
そうしたら不思議なことに一気に自立した。
何も頼まず自分で全てこなすようになった。
子育ての難しさと面白さはこういうことだと思った。
子どもの要求を何でも聞いていると、ワガママな子に育つと思っていた。
何でも自分で出来る自立した子に育てなければと必死だった。
でも逆だとようやく分かった。
母が喜んであなたのためにすることが幸せ、と伝われば自然に自分のことを自分で考えるようになる。
母親の愛を試していたのだと今になって分かってきた。
どんな僕でも母は笑って受け入れてくれる、それが「安心感」になったのだと。
きっと不安でたまらなくて、「こんなに親を困らせてる僕でも愛せる?」と叫んでいたんだな。

https://twitter.com/futoukougenki/status/1702427258210897923 より全文

我が家の4歳児も、絶賛「かかやって」のオンパレードで、最近は、「自分でやって」「自分でできるよね」を連発してしまっていた。
ともすれば「いい加減に自分でやって!」なんて感情的に怒ってしまうこともあった。
猛省。

もちろん、その要求に応えるには「時間的」にも「体力的」にも余裕が必要だから(私の場合、心理的余裕がない時は、体力的余裕も無い)、いつもいつもニコニコしてやってあげることはできないかもだけど、少なくとも「もうそろそろ、1人でできないとマズいんじゃないの?」「できないのは、私のやり方が良くない?」みたいな焦りは無くなる。

そして、確かに、子供が毎日元気に家で己の欲求を発散しているというのは、とても幸せなことなんだ、と再認識した。
彼がこの世からいなくなってしまったら、ご飯を食べさせたり靴下を履かせたり…なんてこともできなくなるのだから
その幸せを噛み締めようとも思った。

また、「もーーーそろそろ自分でやろうよ」というよりも、「いいよ!あ。靴下は自分で履いたんだね!じゃぁ、靴はかかが履かせてあげましょう」という方が、会話もトゲトゲしなくていい。

そんなことをここ3日くらいやってたら、今朝はジャンバー、靴下、靴(左足だけ)は、自分でやっていた🎉

この調子で体力と時間の許す限り、やってあげればいのかな。


ただ、今朝1点失敗したな、と思ったのは、彼が靴を履いているときに、「お!今日は、一人で靴はけてるね」と声をかけしまったら、「じゃぁ、こっちの足(右足)はかかやって~」になってしまったこと^^;

遊んでいる時もそうだけど、彼が何かに集中してやっている時は、見守るのが一番だ。
反省。反省。



そうそう。
それから最後に。
私が1つだけ気をつけていることがあって、その欲求を満たすのにお金が必要だったり、私が「使いっ走り」みたいになるようなことは、どんなに騒いでもやらないということ。
1つは、お店とかでの「買って」。
そしてもう1つは、「〇〇を食べたいから買ってきて」みたいなこと。
一緒に買いに行くのはアリだけど、私一人で買ってくるのは無し。
代わりに家で作るのはアリ。
今のところは、そういう感じで線引している。

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