チャンスととらえて。。。

  靴裏の濡れたサンダルで乾いた高架下を歩く音の気持ちよさよ。居酒屋で7時間フルスロットルで働きとおしたあと、風呂上がり炭酸水欲しさにコンビニまでわざわざ行ったからこそ味わえた快さだと思うと、3.2%くらいその瞬間を楽しむことができた。

 緊急事態宣言が出てから3か月。解除され人々が少しずつ街に戻る兆しが見えつつあるように感じる。大都市横浜の最果て、かろうじて横浜のベッドタウンの一角の居酒屋で働きながら宣言期間を過ごした。政府が外出を自粛すべきというのだからそれに従うべき、そういった世論があっても現実問題そう容易に休業できない事業者は数多い。自分のバイト先も例外ではなかった。家賃、維持費といった固定費を捻出するため、テイクアウトのみで店を開けざるを得なかったと言う。

 経済学の授業で、損益分岐点と操業停止点という概念を知った。

前者はその水準を境に、

売上高<営業にかかる費用+固定費 となる点。

前者を下回るとそもそも赤字であるが、後者はその水準を境に、

営業しない場合の赤字額<営業した場合の赤字額 となる点である。

 多くの店が売り上げが伸び悩んでも店を開けざるを得なかった理由にはこうした背景があった場合もあったのだろうと思う。

 正義感は素晴らしいものだしあったほうがいいものだとは思うが、自分の主張を客観視せずに正当化してあわよくば鬱憤を晴らすために使うこととは区別されるべきと思うようになった。SNSで見たよ、#自粛警察。営業している店舗に嫌がらせの張り紙をして立ち去る行為のなんと卑怯なことか。コロナで死ぬか飯食えなくて死ぬか、その狭間で必死に乗り切ろうとしている人に向かってなんて酷いことをするのかと本気で憤った。自分は、実家に帰ることで得られる効用(家族と過ごせる安心感ー祖父母への感染リスク)<大将の心意気と人間性 だったので、下宿先に残って勉強とバイトをする道を選んだ。後悔はないし、むしろ充実感や人のやさしさを日々目の当たりにできた濃い3か月だったと感じる。

 そんな中、今週大きなピースが一つ欠けてしまう出来事があった。先の見えない不安と度重なる疲労の蓄積が限界に達してしまったのだろう。週2,3回バイトさせていただいている自分とは比べ物にならない苦労から突然ドロップアウトしてしまった。今は大将とバイト2人態勢で店を回すことになり、今までは見ていたことしかない作業も指示を仰ぎながらおそるおそるやることになった。もともとマルチタスクである仕事がより増えた格好だ。水曜日に言い渡され、水木と連勤したがとにかく全力で取り組んだ。帰宅し棒のように立った足を実感しながら振り返っているが、今は疲労と同時に充実感すら覚えている。今日組んだ後輩の人にできることを任せながら、大将を除いてその場では自分にしか出来ないことを考えて動き同時にいつも通りの仕事もこなす。自分明らかに限界突破して殻を破っていたと実感している。過去の自分がずっと先輩の陰に隠れ仕事を淡々とこなしていた、そんな風にすら見えてきた。心なしかお客さんから話しかけてもらえる機会も多かったと感じる。忙しかったのになぜ、と思うが、この2日の自分は前よりも輝いていた、次はもっと頑張ろう、そう思うことにして今日は寝ようと思う。来週は大将と2人で組んでみようということになった。きっとそこではより考えて動かないと地獄を見ることになるだろう。この際一度くらい地獄見てやろう、地獄を見たとしても立て直して次回以降1人でも輝けるようになれればなおいいだろう。お世話になったかっこいい先輩に少しでも近づくきっかけになるようプラス思考で頑張ってみようと思う。1限もあるしそろそろ布団に入ろうかな。明日は1限に出て髪を切りレポートを書いてあわよくば月1回の楽しみにしている足つぼマッサージに行ってしまおうかな、、そんなことを楽しみに寝ます、おやすみ世界。

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