ライターという生き方をはじめてみて
自分には先天性の血液疾患がある。血が止まりにくい病気だ。
そんな自分にとって、自宅でできるライターという仕事はとてもありがたい。
慢性疾患の自分にとって
この病気は、外傷よりも、筋肉や関節内の出血がやっかいで、私は幼いころより悪くしている右足首に軽い障害がある。やっかいなのは、悪くなった関節は、関節内出血をしやすいということ。
若いころは、通勤が難しく、いつどこが痛くなるか、そしていつよくなるのかがわからない体で、なかなか働ける場所が見つからない時期もあった。健康である人が仕事を選ぶのは、かなり贅沢に見えたものだった。
ライターの仕事は、知り合いがネットでデータ入力の仕事をしてお小遣いを稼いでいる、という情報を耳にしたのがきっかけ。数百円でもいいから、もらえるならやってみよう、という感じだった。
最初はリライト(すでにある文章を書き直すこと)の仕事を副業として初めて、半年で数万円を手にした。
その後、本格的なライティングや、企画も含めた仕事含め、いろいろな仕事を依頼されたり、応募したりが増え、専業ライターとして今に至る。
ライターの仕事をしてよかったこと
ライターとは、文字を書く仕事ではなく、情報を伝える仕事だ。
書いて終わりではなく、それを読む人に伝えるまでが、ライターの仕事。
たとえば、「片思いの相手にアピールする方法」について書くならば、単に手段を羅列するだけでなく、読んだ人が「これならできるかも」と思えないといけない。
あるいは、「中小企業が利用できる○○助成金」について書くならば、単に制度の仕組み・金額・期間などをリストアップするだけでなく、メリットをわかりやすく書いて、企業の担当者が申請し、「あの記事で情報を知ってよかった」と思ってもらえるまでがライターの仕事だ。
つまりは、読む人がどう感じ、どう行動するかまで考える必要がある。
これは、意外とリアルな人間関係でも役に立つ。
「これを今言ったら、相手はどう受け取るだろう」
「今は行動を促すより、共感に重きを置きたい」
「問題点を指摘したいが、どう言えば傷つけずにすむだろうか」
などと考えるとき、ライターの経験は役に立つ。
普段見えない読者のことを、千里眼で見るかのように考えながら書いているわけだから、目線も表情も雰囲気も読み取れるリアルな相手ならば、もっと深く洞察できる。
言葉の力をかみしめながら
言葉には力がある。
人を元気付けたり、傷つけたり。
ときには、幸福へ導いたり、命を奪うことさえある。
フェイクニュースやヘイトスピーチも散見される世の中、ライターとして自分の書いたものが人に及ぼす影響も、十分考えないといけない。
もちろん、ミスを犯さない人間はいないし、100万人中1人が悪く受け取って傷ついたからと言って、ライター失格というわけでもない。
ただ、自分が紡ぎだす言葉の力を自覚しているかどうか。ちょっとした言葉の使い方や単語の選び方で、人を傷つける可能性を意識しているかどうか。
これは、メディアの品格が問われることが多い現代、そして、リモートコミュニケーションが増えるであろうこれからの時代、大切なことだと思う。
そうしたことも含めて、丁寧に、思いやりをもって記事をかけていけたらと思う。
自分が羨ましいと思ってみていた健康な人が、落ち込んだり元気を無くしたりしているとき、健康体ではない自分が元気付けられるとしたら、それはとても素敵なことだと思うから。