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何回摘んでも〈フォト短歌エッセイ〉
何度でも何回摘んでも終わらない小さな君がくれるうれしさ
私が子どもの頃、いちごが食卓に出る日はちょっとした贅沢な日。うちではいつもお砂糖と牛乳がかかっているいちごミルクだった。いちごミルクのときのガラス容器は決まっていて、その模様を今でも覚えている。今日のいちごは何個かな、ひとつひとつ大切に食べた。
20代の頃教会の青年達で仲間の家に行った。兼業農家でいちごを作っていて、その日は売り物にならない不揃いのいちごを大きなざるいっぱいに入れて出してくれたのだった。大学生の女の子が「いちごを好きなだけ食べていい、そんなのが夢だった」みたいに言った。私も同じだった。
先週サクランボ狩りに行ってきた。喫茶点のパフェに添えられた真っ赤な缶詰のものが私のサクランボのイメージ。たまにいただきものを食べることがあるが、自分では高くて買えない。そのサクランボを好きなだけ食べていいのだ。夢のような時間。
持ち帰り用も狩る人は忙しいが、私は食べるだけコース。ひたすら食べ続けた。食べ終えた種を大体で数えたら150個以上あった。
昔、梨狩りに行ったことはあるが、梨は何個も食べられない。いちごだってここまでは無理だろう。小さいゆえにひとつ摘んでは食べ、ひとつ摘んでは食べるうれしさの連続。同じ種類でもこっちの木の方が甘いよ、同じ木でもこっちの枝の美味しいよ。本当に夢のようだった。