ラスボスおかん問題の鍵が見えた気がした
こんにちは!
カウンセラー見習いの橘奈緒美です。
週末、祖父のお墓参りに行ってきました。
一昨年から祖父が入院して、一度は会えたものの、コロナでお見舞いが禁止になってしまい、会えなくなったまま亡くなり、お葬式にも出ることができませんでした。
とても可愛がってもらっただけに、当時はかなりしんどくて、むしろ父がなくなったときよりも落ち込んで居た気がします。
母の実家は、超田舎というほどではないものの、コンビニに行くにも車がないとちょっとつらい、話題は半径50mのご近所さんの話ばかりという程度の田舎の街なので、都会から行くにはタイミングを測らないと、色々とめんどくさいのです。
ということで、今回一年以上経ってやっとお参りに行けたという次第です。
そしてこの滞在でわかった、ラスボスおかん問題を紐解く鍵になりそうなことがあったので、それについて書こうと思います。
母の話をまっすぐに聞けていなかった
小さい頃の私は、祖父母のことが本当に大好きで、自他ともに認めるおばあちゃん子でした。
父は子どもの私に手をあげる人だったし、母もそれを止めなかったので、私は両親に愛されていないと思っていたからです。
反対に祖父母は私のことを無条件に愛してくれていたし、叔父もとても優しくてよく遊んでくれる人でしたから、両親と住むより、この家に住みたい!おじさんの子どもに生まれたかった!と思っていたくらいでした。
祖父母は、私にとっては優しさや愛情しか感じない二人でしたが、それはやはり孫と祖父母という、少し遠い関係性だからなんですよね。
私にとっては天国のようなその家は、母と叔父にとっては全く違う思いのある場所だったようです。
祖母と曾祖母の嫁姑問題は以前から母の話で聞いていましたが、「昭和の田舎の嫁姑なんて、そんなもんでしょう」とか、「まーた被害者ぶってるなぁ」というくらいにしか、話を聞けていませんでした。
母から聞く曾祖母はとてもきつい性格の人で、「嫌いだったんだな」とは思っていましたが、「おばあちゃんは孫には優しいもの」と思って生きてきた私にとっては、その話の本質が理解できていなかったのだと思います。
身近な人であるほど、私達は相手の話をまっすぐに、そのまま聞くということができないのかもしれませんね。
子ども時代を出来なかった母
今回の滞在中、叔父と母が子どもの頃のことが話題になりました。
そこで叔父から、母が小学生の頃、大人の顔色を伺いすぎて挙動がおかしくなっていて、家庭で何かあるんじゃないか?と、先生が家庭訪問に来たという話が出たのです。
学校では、「まるで小さい大人が座っているみたいだ」と担任の先生に言われていたそうです。
そこで、ああ!お母さんも私と同じだったんだ!と、始めて思えました。
叔父からふと出た言葉で、母もちゃんと子ども時代に子どもが出来ていなかったということが、やっと理解できたんです。
家庭内でいつも家族がいがみ合っていて、戦々恐々としている子ども時代。
長子はストレスのはけ口にされやすいし、母親を助られない力不足の自分を責める。
自分は役に立たないと思い込んで、無力感が大きくなって。
そうしてだんだんと子どもでは居られなくなって、子どもの自分を眠らせて、大人の顔色ばかり伺うようになる。
そうやっていくうちに、自分に自信が持てなくなって、そんな自分のことが嫌いになっていったんだ。
だから、自分と似たところを私に見ると、攻撃したくなっていたんだな。
そこまで思って、「なるほど、これは女四代で負の連鎖になっているわ」と、なぜかとても冷静な気持ちになってしまいました(笑)
ラスボスおかん問題をもう一歩進めて
今まで、母は若くして(当時は普通の年齢だけれど)子どもを生んだから、ああだったのだ、と思いこんでいました。
起きたことは仕方がないし、私が結婚や出産に良いイメージがないのは、ラスボスおかん問題が原因(父もだけど)なのだろう、というところまではわかっていたけれど、母の子供時代の話を第三者から聞くことで、本当の意味で母の行動の理由がわかった気がしました。
これって、私にとっては鍵になる気づきではないかと思うんです。
第三者からの目線で見ても、母は子ども時代に子どもを出来ていなかった。
だから、親への依存心や苦しかった思いを娘の私に向けて来たのかもしれない。
そして、私も同じように子ども時代をちゃんとできなくて、心の中の子ども同士が助けて欲しくて、お互いに癒着してしまっていたのではないかと。
今までも許しのワークもやってきましたし、ある程度は母にも感謝できるようになって、以前に比べたら、かなり良好な関係です。
でも今回のことで、私の中では更にもう一歩、前進出来たように感じます。
それにしても、今回の気付きは祖父が後押ししてくれたのでしょうか。
今年になって心の勉強をし始めて、心の仕組みについて、こんなにもたくさん考える機会を与えられているタイミングでの、この出来事。
以前ならスルーしてしまっていたかもしれないし、去年すぐに祖父のお葬式やお墓参りに行けていたら、ここまで考えられなかったかもと思うのです。
後もう一歩。
次は私が、パートナーシップや家族を持つことへの怖れを克服して、幸せになることを自分に許せたら、ラスボスおかん問題は、問題じゃなくなるのかな?と思っています。
一歩一歩、焦らず慌てず、ですね。
読んでいただき、ありがとうございました!
橘奈緒美でした!