『ホストクラブ読書会』に行き、『分断』について考えた。
ハフポストブックス(HUFFPOST JAPANとDiscover21が立ち上げた出版社)から書評本『裏・読書』を出版されたばかりの手塚マキさん(元ホストで現Smappa!Group会長。ホストクラブや飲食店を複数経営し、歌舞伎町に本屋を作ったり、ホストが板前の寿司屋を作ったりといつも新しいことをしてるおもしろい人、イケメン)とともに、村上春樹の『ノルウェイの森』を読む読書会が歌舞伎町のホストクラブで開催されると知り、あたしは酔った勢いでポチっと申し込んだのだった。
マキさんのことは、著述家の湯山玲子さんのゼミ(下北の本屋B&Bで開かれた、30代の女がこれからお一人様でどうやって生きるかというテーマの座談会)に参加した時に湯山さんの話の中で知り、会いたいな~と思っていたら運良く友達がマキさんの高校の時の後輩であったので、ゴールデン街の飲み屋でたまたま飲んでいるところに乗り込んで行って、勝手に挨拶した時から存じ上げている。
4年前、2015年の夏のことである。
それからあたしはしばらく、ホストやホストクラブという世界に対する好奇心を抑えることができなかったが、「こりゃ生半可な覚悟じゃ入れない世界だわ」と気付き、入り口も入り口、ツアーなんかの「あれが自由の女神ですよ~(見りゃわかる!)」というようなところだけ見て、足を洗ったのであった。
それでも、ホストクラブはあたしに色んなことを教えてくれた。逆説的に、ではあるが。
自分の中のフェミニズム的な思想に気付くことができて、それを表出するようになったのも、もしかしたらホストクラブのおかげかもしれない、とさえ思う。
32~33歳の頃のことであった。
(詳しくはあたしのblog『ハレンチには程遠い』のこちら『いつまで女やれるか問題』と『ホスト』について。や、この前後の記事に書いてあるので、興味がある方は読んでいただけるとうれしいです!この時はホストクラブについてまだ何もわかっちゃいなかった。)
そんなあたしがあの場所に何も期待しなくなって、早幾星霜。
しばらく出入りすらしてないが、ホストクラブという場所やホストという職業についてはよく考えている。
だって、特殊じゃん。
ホストクラブやホストのことを知らない人はあまりいないのに、行ったことがある人や定期的に通ってる人にお目にかかることは滅多にないし、歌舞伎町を初めとする限られたエリアでだけ成立していて、何十年もほとんどアップデートされずに同じことが繰り返されていて(もちろん少しずつは変わってきてはいると思うが本質は変わってない)、1年で何千万も売り上げるというホストがあの小さな場所にひしめいているのである。
どう考えても特殊じゃん。
そんなわけで、はみ出した人に優しくて居心地がいい歌舞伎町には相変わらず飲みに行っているし、マキさんが新しく始めることは追っかけているのである。
そして今回、初めてホストクラブで開かれるという読書会。そりゃ行くでしょ!と軽い気持ちで応募してみたら、応募多数のため抽選で、そのうえどうやら当選してしまった。
主催のハフポストからは一週間ほど前から読書会の心得がメールで送られてきた。
“読書会では、以下の緑とワタナベの会話、
「もっと素敵なこと言って」
「君が大好きだよ、ミドリ」
「どれくらい好き?」
「春の熊くらい好きだよ」
「春の熊?」
という箇所について皆さまの意見を話し合っていただきます・・・”とかなんとか。
やべぇ、『ノルウェイの森』全然覚えてねぇ。
確か主人公の周りの人が次々と自殺する話だったことくらいしか印象がねぇ。
あたしはブックオフで上下巻を買い、なんとか時間を作って村上春樹を何年か、いや十何年かぶりに読み切った。
読んでみると、意外とおもしろかった。
大学生で読んだときにはまったく共感できなかったし、ワタナベという男の何がいいのか全然わからなかったけど、この歳になって読んでみたら意外な気づきがけっこうあった。
それもそのはず、主人公のワタナベが過去(二十歳の頃)を回想するのは、37歳の時なのだ。
あたしも今年37になる!
そんな目線で読んでみると、二十歳そこそこで40歳手前のレイコさんを抱けるワタナベってすげえな...と恐れ入った。
いや、それ以外にもいろいろ気づいたことはあるけど。
マキさんの『裏・読書』の元になったハフポストの記事を読むと、「ホストはワタナベになれ!」というようなことが書いてあった。
なるほど、と思った。
ホストクラブに少しだけ足を踏み入れた人間からしてみたら、言っていることの意味がよくわかる。
白黒はっきり付けない、相手のflowに合わせる、でも最終的には結局自分のしたいことしかしてない、なぜなら自分が軸として一番にあるから。
自分が一番好きだから。
もっと言えば他人に興味がないから。
興味がないからこそ、色々な人を平等に愛せる。
レイコさんも抱ける。
すごく優しく見えるし、芯があってブレないように見えるし、端から見ればたまにすごく気分屋のようでもある。
好きだよ、と言った次の瞬間にはそっぽを向いてそうな男である。
そんな男にはどんな女が寄ってくるのかというと、自分を一番の軸にできない女(メンヘラ、もしくは自己肯定感の低い女)たちである。
女たちは、その孤高のナルシズム(強さと言ってもいい)に寄ってくる。
もちろんいろんな営業のタイプがあるので、ホストと客のすべてがそういう形態で繋がってるわけではないが。
読みながら、これはホストとホス狂の話だったのか!と膝を打った。
他の人たちはどう読んだのだろう、そして今日はどんな人たちが集まるんだろう、ホス狂は来るんだろうか?いや、来るわけないよな、と思いながら歌舞伎町へ向かった。
ちなみにドレスコードは『ノルウェイの森』にちなんで赤と緑だった。
浮いた格好でさくら通りから愛本通りを歩く間、まったくワクワクしていない自分に驚いた。
ホストクラブは、もはや、期待以上のことが起こらない場所という印象になってしまっていた。
それは自分にとっても、少し悲しいことだった。
前述の湯山玲子さんと、東大入学式のスピーチでも最近話題になった上野千鶴子さんの共著に『快楽上等!3.11以降を生きる』という本があるのだが、そこに「予測誤差」というワードが出てくる。
これは未だに、あたしのトキメキを表す上で大事な指針となっている。
つまり、人は「こんなもんだろうな」と予測した期待値がある時、その誤差に対して興奮したり興味を持ったりする=快楽、という考え方である。
その誤差の範囲が小さすぎても大きすぎてもいけない。
(たとえばファンタジーでのレイプ願望があるとしても、本当にレイプされることは予測の範囲を越えているので快楽たり得ない、というような話。)
今日ホストクラブにやってくる人たちはたぶん、ホストクラブがいかなる場所であるのか、ドキドキしながら来るんだろうな、と思った。
そりゃ初めての時はあたしもドキドキしたもんだ。
初めてってのはなんでもいいもんだよね。
何もかもが新鮮だものね。
けど、豪華なシャンデリアやソファがすべてだと思ったら大間違い。
決して見た目通りのきらびやかな場所なんかじゃない、ということだけはあたしにですら言える。
言うなれば、真逆だ。
だからこそ、ものすごくクローズドなまま、何年も何十年も、あの場所で存続してきたのだ。
そこに矛盾が生じ、それが大いなる疑問となって人々を惹き付ける。
ここは一体なんなのだ?と。
ここで一体、毎晩何がおこなわれているのだ?と。
そして、たまに入っていってしまった奴が大火傷をする。(あたし)
いつもと違う顔つきの、ホストクラブへと足を踏み入れるとそこは、堅気の人用にアレンジされた、虚構の世界だった。
ミラーディメンション(by「ドクター・ストレンジ」)みたいだな、と思っていた。
綺麗な人ばかりたくさんいた。
みんなまともそうだった。
どうやらアカデミックな会であるのは間違いなさそうだった。
そしてまた思った。
ここにも『断絶』があると。
ホス狂は来ない。
来るわけない。
毎晩いくら払ってこの場所に来てると思ってんだ。
この読書会の参加費は3,000円である。
そのうえ参加者にはマキさんの著書『裏・読書』がプレゼントされ、ソフトドリンクまで提供される。
現役のホストという方々が各テーブルに着き、一緒に『ノルウェイの森』について語る。
込み込みで、3,000円である。
実質、タダみたいなもんだ。
さて、翻って、普段のホストクラブというところはいかなる場所なのか。
座って、90分くらいで、発泡酒を飲んだりホストの人たちに飲ませたりするだけで最低20,000くらいする。
高いワインや、わけのわからない何十万とか何百万とか何千万という酒も存在する。
骨董品や絵画や時計や車が何百万とか何千万とか時には何億とかなのはまだ意味がわかる。
(ま、それはあたしの矮小な価値観の中でだけど)
そういう世界とは無縁だけど、そういう世界があることは知っている。
ZOZOの人とか?
でも、東京都の最低賃金が時給985円だという世界があるのも知っている。
っていうかどちらかと言うとそういう世界に生きている。
だから、その「場所」と「人」と「時間」と「酒」に払われる何百万、何千万はやっぱり、理解しがたい。
そこに何があるのか?
場所や人や時間や酒を越えた価値とはなんなのか。
大きな声では言えないことではないのか?
だから、クローズドなのではないか?
つまり、そんなもの、一言では言えないのである。
その、一言では言えない価値を知るために、何十万も何百万も払う金はないので、おさらばえ~した。
ただそれだけのことだった。
ここのところよく考える。
ホストクラブが適正な価格帯で、女の人たちが楽しく過ごせて英気を養える場所であったなら、もっとメジャーな場所になってるかもしれない、と。
でもそれはたぶん、もはやホストクラブではない。
ホストクラブには、女の人たちが求めるものとは別の論理で戦っているホストたちがいる。
そこにいる男たちは、自分の夢や、プライドや、目的を果たすために必死でもがいて、時に男同士の友情や共犯意識で結ばれた仲間たちと、日々生きて、文字通りその場所で生活しているのである。
その場所が自分たちの『ムラ』なのだ。
『ムラ』にしか存在しないルールがあり、『ムラ』にしか存在しない貨幣価値がある。
で、あればこそ、その外の世界から見れば特殊な、一種異様な、一晩で何百万とか何千万とかいう価格の価値が生まれる。
その価格だからこそのホストだし、その金が動かなければホストたる意味がないのだと思う。
時給1,000円とか2,000円だったらそれはもはやホストではないのだ。
(もちろん新人のうちは時給に換算したらそれ以下、ということもあり得るが。)
本当はもっと健全な場所になってほしいなぁ、と個人的には思う。
女の人たちに癒しを与えたい、楽しんでほしい、だけであれば、そんな何十万も何百万もする酒なんか置く必要ないじゃないか。
ナンバーに入りたいからといって、客に無理させて高い酒を入れさせる必要ないじゃないか、と思う。
誰のため?客のため?俺のため?会社のため?
そして女たちはその戦いに加担する。
あっちの卓に座ってる被りの客がシャンパン入れたから、それ以上のシャンパン入れる!
あたしの方がこの男の価値をわかってる!
あたしの方がこの男の支えになっている!
あたしの方があんな女よりも愛されてる!
自分が価値のある存在だと、担当のホストと周りの女たちに認めさせるために。
そして本当は、自分が一番自分自身を認められるようになるために。
女同士を煽って争わせているのは誰?
金を愛に換算して搾取しているのは誰?
もしくは金を払ったんだからそれなりの見返りあるよね?と求めているのは誰?
女の人を喜ばせるための場所が、いつの間にか女と男を分断し、女たちをも分断している。
誰かがやめない限り、このゲームは永遠に続くだろう。
ほとんどの人は、そんな世界を知らずに生きていく。
でもあたしはこの小さな世界でおこなわれていることが、まるで今の世の中で起きていることの縮図のように思えてならない。
自衛のための銃は必要か?
相手が銃を持っているから自分も銃を持たなければ、と思うのは、そもそもこの世に銃というものがあるからなのでは?
性犯罪者が犯罪を犯してしまうのは女という存在のせい?
女が短いスカートをはいているせい?
違う。
自制しなきゃいけないのは、犯罪者の方であって、決して被害者の側じゃない。
ホストクラブに来る女たちがあとを断たないのは、ホストクラブが楽しい場所だから?
それならなんで血ヘド吐きながら自分の身体を売らなきゃならない?
その金で何千万売り上げました!今月ナンバー入りました!応援してくれる姫のおかげです!ということを繰り返している世界。
でも、そのことに喜びを見出だし、生きるよすがとしている女の人たちがいるのも十分理解できるし、承知している。
あたしも、片足突っ込んだから。
ここでしか生きられない男たちと同様に、ここでしか生きられない女もいるのだ。
そりゃ、その外の世界で生きてる人たちと交わらないのは当たり前のことかもしれない。
「あんたたち、その世界でやっていけるんなら、こっちの世界に来ないでよ」って、もしかしたら思われているかもしれない。
いつもホストクラブに来ているお客さんたちは、この読書会のことをどんな風に感じてたのかな、とあたしは思った。
普段のホストクラブがどんなところなのか、どんな人たちがやってくるのか、ホストの人たちとも本当はそういう話をすることができたら、もっとおもしろかったのにな、と思った。
綺麗事は、いらない。
ホストだって、本音を話せばいい。
普段店には来ないような、堅気の、バリキャリの綺麗なお姉さんたち(天下のハフポストとディスカヴァーだよ?)に、ガンガン突っ込んでったらいい。
せっかくホストクラブという生々しい場所で開かれる読書会なのだから、もっと裸で、あっちとこっちで、外と中で、まともな人と変な人で、交われたらもっとおもしろかったかもな、と思った。
(もちろん十分、いろんな人の意見が聞けておもしろくはあったけれども、それはあくまで予測の範囲内だった。)
『裏・読書』の巻末に、ハフポスト日本版編集長の竹下隆一郎さん(当日司会をしていた!)とディスカヴァー・トゥエンティワン取締役社長の干場弓子さん(席は離れていたけど、赤いドレスが素敵だった!)の連名で、ハフポストブックス創刊の声明が上げられている。
(一部抜粋)
世界では「分断」が起きている、といわれています。
だが本当でしょうか?
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立場や考えが違う人同士が、「このテーマだったらいっしょに話し合いたい」と思えるような、会話のきっかけとなる本をお届けしていきます。
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世界から「分断」という幻想の壁を消去し、私たち自身の中にある壁を超え、知らなかった優しい自分と、リアルな関わりの可能性を広げていく試みです。
素敵である。
あたしは分断を感じていたが、それはあたしがどちらかというと中の人間だったからかもしれない。
でも、この出版社、書籍、取り巻く人々がやろうとしていることは、その壁を壊そう、乗り越えよう、議論しよう、出会おうっていう話だった。
・・・だとしたら試みはすでに成功していると言える。
ここまで、つらつらと、歌舞伎町の外と中との分断について書いてきたけれど(それはきっと外の人にはわからない)、あたしは少しでも、グチャっと交われたらいいなと思う。
なんとなくだけど、マキさんもそういう風に考えているような気がした。(勝手に)
マキさんはホストクラブの抱える矛盾についてどう思っているのかな、20年も歌舞伎町で生きてきて、しかもフェミニストであるマキさんが、この矛盾に気づいてないわけないよな、と考えながら、読書会でいただいた『裏・読書』をパラパラとめくっていたら、冒頭の夏目漱石の『こころ』に関する章で、このような記述があった。
ホストクラブの名物に「ランキングシステム」というものがあります。女性客は自分が推している(お気に入りの)ホストのランクが上がるように尽くします。ホストを指名したり、お酒を頼んだりすることで、ホストの売上が上がりランキングに反映されるんですね。男性のためにお金を使う気持ち良さは、普段、職場や家庭で感じている性差の裏返しのようなものだとも思うのです。
でも僕はいつか、このシステムをやめたい。僕の理想は、ホストクラブをもっと男女が対等な立場の上で、さらに女性が非日常を楽しめる場所にすることです。普段の生活で、性差がなければ、男性の「上手」に立ったり、競争させることは、さして快感にはならないですよね。
売上の締め日直前に、女性が「自分の男」を勝たせるために次々にお金をつぎ込む場所ではなく、女性が、翌日からの仕事の活力をもらうと同時に、ホストも別の業界や会社のことを学んで視野が広がる。そういう場所にホストクラブがなれば良いな、と思います。
・・・感動してしまった。
綺麗事かもしれない、けど、本音だと思った。
夢みたいな話だけど、でも、マキさんならやってくれそうな気がする。
あたしは、1ファンとして、何が起きるのか、ドキドキしながら見ていたい。
搾取する、搾取される、の物語から逸脱するホストクラブというものが本当に存在し得るのかを、この目で確かめたい。
これは、歌舞伎町の中と外だけの話ではない。
中の人と外の人がグチャっと交わるために、あたしにもあなたにも、少しだけできることがあるような気がする。
外の人は、中にズカズカ入っていく。
中の人は、外にドシドシ出ていく。
そうすることでしかグチャっと交われないと思う。
議論も衝突も起きるだろう。
気づかなかった、見えなかった、見て見ぬ振りをしていた、思わぬ壁にブチ当たるかも。
障害者と健常者もそうだ。
性的マイノリティと、マジョリティとされてる人たちもそうだ。
虐待されてるかもしれない子と、気づいてるのになんとなく放置してる人たちもそうだ。
日本に次々とやってくる外国人労働者と、日本で生まれ育った日本人とされてる人もそうだ。
他人事にしない。
世界を分断しない。
境界線をなくして、グチャっと交わる。
もっと自由に行ったり来たりする。
言ってみれば、あたしたちは皆、ただ地球という星に生まれ落ちて奇跡的に水と酸素と食べ物で生きているだけのヒト科の人間である。
壁なんか取っ払って、ズンズン進めばいいのだ。