【翠の料理人 第7話】3分で読める恋愛小説|青春物語|毎日21時更新
7. 二人の距離
コンテストが無事に終わった翌日、一太は再びいつもの厨房に立っていた。
コンテストの結果は見事なもので、彼の料理は高い評価を受け、賞も獲得した。
しかし、彼自身はどこか落ち着いており、大きな騒ぎをするでもなく、淡々と仕事を続けている。
「一太さん、本当におめでとうございます!」
私は彼の背中越しに声をかけた。
「ありがとう。でも、これがゴールじゃない。まだまだこれからだ」
彼の声は冷静だったが、その中には決意が感じられた。
一太は、賞を獲ったことを誇りに思うというよりも、それを次のステップへの通過点と捉えているようだった。
「でも、あの瞬間は本当にすごかったですよ。審査員の皆さんが一太さんの料理を食べた時の表情、忘れられません」
私が興奮気味に話すと、一太は少しだけ微笑んだ。
「確かに、あの反応は嬉しかった。けど、まだ俺にはやるべきことがある」
彼はそう言って、再び黙々と料理の準備を続けた。
一太の姿を見ていると、その真剣さに圧倒されると同時に、私も自分自身のことをもっと見つめ直さなければならないという気持ちが湧いてきた。
数日後、旅館の女将・木内早苗さんから
「楓ちゃん、少しお話ししたいことがあるの」
と声をかけられた。彼女の誘いに応じて、私は彼女の部屋に入った。
「楓ちゃん、もうすぐ夏休み終わりよね?この旅館でのバイトもそろそろ区切りをつける頃かしら」
彼女の言葉に、私は一瞬ハッとした。
そうだ、もう夏休みも終わる。
徳島での生活も、いつかは終わりを迎える。
私はその現実に改めて直面し、言葉を失った。
「そうですね…もうすぐです」
「でも、あなたがこの旅館でどれだけ一生懸命働いてくれたか、私は知っているわ。本当に感謝しているの」
「ありがとうございます。でも…私、ここを離れることが想像できなくて」
私の言葉に、女将さんは優しく微笑んだ。
「それだけこの場所があなたにとって大切な場所になったということね。でも、楓ちゃん、あなたの未来はまだまだこれから広がっているわ。もし、ここに戻りたいと思うなら、いつでも歓迎するわよ」
その言葉に、私は少しだけ救われた気がした。
しかし同時に、一太との関係にもどう向き合うべきか考える必要があった。
彼の夢を応援したい気持ちはあるけれど、自分の未来との間で迷いが生じていた。
その夜、旅館の庭で一太と二人で話す機会があった。
周囲は静かで、心地よい風が私たちの間を吹き抜けていった。
「楓、もうすぐ仙台に戻るんだろ?」
一太が静かに問いかけた。
「そうね…でも、一太さんのことを思うと、どうしてもここを離れる決心がつかなくて」
私は正直な気持ちを彼に伝えた。
彼はしばらく黙ったまま、星空を見上げていた。
「俺には、まだここで学びたいことがある。師匠を超えて、自分の料理を完成させたいんだ。でも、それだけじゃない…」
彼の言葉が止まった。その先に続く言葉が、なんとなく私にはわかった気がした。
「一太さん…」
「楓、お前にはお前の道がある。俺のことは心配しなくていいから。大学生活を目一杯楽しんでほしい」
彼の言葉は真剣だった。
私は彼が私のことを思っているのを感じつつも、その言葉がどこか寂しくも感じた。
「でも、私は…」
その瞬間、言葉が詰まってしまった。
彼のために何かをしたいという気持ちと、自分の未来への不安とが交錯していた。
「大丈夫だよ。俺はどこにいても、お前のことを応援している。だから、楓も自分のやりたいことをやってほしい」
一太はそう言って、私の肩に手を置いた。その手の温もりが、私の心に深く染み込んでいった。