【翠の料理人 第4話】3分で読める恋愛小説|青春物語|毎日21時更新
4. 心の影
その日の夜、仕事を終えて自分の部屋に戻ると、私は一太との料理の時間を思い出していた。
彼の手際の良さや、少しずつ見え隠れする彼の内面。
自分でも驚くほど、彼のことが気になり始めている。
「楓、今日のバイトどうだった?」
里帆からのメッセージがスマホに届く。
私は少し笑いながら返信した。
「普通だったよ。でも、一太さんって意外と話すんだよね」
「一太さんって誰?」
「ああ、旅館の厨房見習いの人。あんまりしゃべらないんだけど、料理のことになると真剣で…ちょっと気になる」
私は何気なく送ったその言葉に、少し自分でも驚いた。
気になる?
いつの間にか、私は一太のことをそんな風に考えていたのか。
胸の中に、何かが小さく芽生え始めているのを感じた。
翌日、私はまた旅館での仕事に取りかかりながら、あの厨房でのことが頭から離れなかった。
一太が私に料理を教えてくれた時の手の温かさ、真剣な表情――彼は何かを抱えているのだろうか。
その日の夕方、旅館の女将、早苗さんが声をかけてきた。
「楓ちゃん、ちょっと話せる?」
「はい、何でしょうか?」
私は掃除を中断して、早苗さんに向き合った。
「実はね、一太君のことなんだけど…彼はとても優秀な料理人になれる素質があるんだけど。でも、どこかで心を閉ざしているように見えるの。何か過去に辛いことがあったのかもしれないけど、私たちにはそれを知る手立てがなくてね…」
私はその話を聞いて、胸が少し痛んだ。
やはり一太は何かを抱えている。
そして、彼が料理に没頭するのは、その何かから逃げるためなのかもしれない。
「一太さんは、なぜ料理人になりたいんですか?」
思わず女将さんに聞いてしまった。
「それはね…彼がまだ幼い頃、両親を交通事故で亡くしたみたいで。だから、あまり家族の話はしないのよ。料理を始めたのはおばあちゃんの影響みたいなんだけど、詳しい理由は私も知らないのよ」
両親を亡くしてから、一太が料理を選んだ・・・
それはただの職業ではなく、彼にとって何か特別な意味を持っているのだろうか。
私はその話を聞き、さらに彼に対する興味が深まった。
「でもね、楓ちゃん。一太君が今こうして旅館で働いているのも、きっと何かの理由があるはずよ。彼のことを支えてくれる人が必要なんじゃないかしら」
早苗さんの言葉には、一太への深い思いやりが込められていた。
私はその言葉を胸に刻みながら、彼の隠された過去に少しずつ近づいていこうと思った。
その日の夜、私は一太に聞いてみることにした。
彼がどうして料理人を目指しているのか、その理由を知りたかった。
そして、彼の心の中にある影を少しでも明らかにしたかった。
厨房での作業が終わった頃、一太に声をかけた。
「一太さん、少しお話してもいいですか?」
彼は驚いたようにこちらを見たが、すぐにいつもの無表情に戻った。
「…いいよ」
私は勇気を出して尋ねた。
「一太さんは、なぜ料理人になりたいんですか?」
彼は一瞬、答えるのをためらったように見えたが、やがて静かに話し始めた。
「交通事故で両親が亡くなった時、兄と一緒に祖父母の家に引き取られた。そこで、毎日食卓に並ぶ料理についてばあちゃんが言ってたんだ。料理って、ただの食べ物じゃないんだって」
「どういうことですか?」
私は彼の言葉に耳を傾けた。
「料理は、誰かのために作られるものだ。食べる人のことを考えて、その人が少しでも元気に、そして大きくなれるように」
「俺、背がそんなに大きくないだろ。それを心配した母親が俺の好きなものを毎日考えてくれてたのに、わがまま言ってあまり食べてなくて。もうそんな料理も食べたくても食べられなくなって・・・その罪滅ぼしみたいなもんなのかな」
「ばあちゃんが母親のことをいつも話してくれてさ、その話を聞いてたら自分もそんな料理を作りたいなっていつからか思うようになって、それが…料理を始めた理由かな」
彼の言葉には、深い思いが込められていた。
料理を通して、彼は失った家族を取り戻そうとしているのかもしれない。
その思いが、一太を今の彼にしたのだ。
「それは…素敵なことですね」
私は彼の言葉に心から感動していた。
「でも、まだまだだよ。俺はまだ師匠みたいにはなれないし、これからももっと努力が必要だ」
彼の言葉に決意が感じられた。
私は彼の夢を応援したい、そう強く思うようになった。