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南北キプロス旅行記 day2 要塞都市ファマグスタ

16時にギルネを発ったセルビスは西から東へ移動するため、車窓の左手には延々と北キプロスを南北にぶった切る例の山脈(キレニア山脈というらしい)を見ることになるのだが、途中山肌にめちゃくちゃでかい北キプロス国旗とトルコ国旗が並べて描かれていた。

北キプロス国旗のデザインは、トルコの赤白を入れ替えて、赤線を上下に付け加えるだけ。そして北キプロス国旗が掲げられているところには、絶対その横にトルコ国旗も並べてある。いくらなんでも露骨すぎではないかしら。
なお未承認国家軍団の中でもメジャーな台湾とかコソボとかはスマホキーボードでも国旗が出てくるが、マイナーな北キプロスは出てこない。

山肌に描かれた国旗。環境破壊!ダメ!


国名にトルコが含まれており、言語はトルコ語で、通貨はトルコリラで、ご当地グルメはケバブで、国旗の色は赤と白で月と星が書かれてあり、国土にはトルコ軍の基地がたくさん、そして空港にはトルコの飛行機しかいない。これでトルコではないと言い張るのはなかなかに神経が図太いぞ北キプロス・トルコ共和国。
うーむ、たしかにこれは国家と言っていいのか割と微妙かもしれない。

1時間半程で城壁に囲まれた都市が見えてくる。(北東部のカルパス半島を除き)キプロス島の東端に位置するファマグスタ、その旧市街である。
ギルネ近郊の聖ヒラリオン城が白雪姫と繋がるように、ここファマグスタもまた有名な作品の舞台となった街。
その作品こそ、かのシェイクスピアの戯曲オセロである。
主人公であるオセロがヴェネツィアの将軍であることを示す通り、ここはかつてはヴェネツィア領。クレタといいロードスといいコルフといい、ことごとく東地中海の遺跡に姿を表す彼等にはもう飽き飽きである。そして今ではその全てを失い、なんなら国そのものも滅びたなんて盛者必衰というべきか。

ファマグスタは前述のオセロの舞台という文学的な一面を除いても、世界史的に意外なところとリンクしている街でもあり、それはかの有名な、センター世界史では超頻出単語であるレパントの海戦である。

1570年にオスマン帝国スルタンのセリム2世がキプロス遠征を行うわけだが、対し当時キプロスを有していたヴェネツィア側はこのファマグスタに立て篭もり一年弱に渡って籠城戦を行う。

しかし結局西側からの救援が遅かったために陥落し、キプロスはオスマン領になってしまう。これに危機感を抱いたローマ教皇ピウス5世の呼びかけでカトリック諸国の連合軍「神聖同盟」が結成され連合艦隊はペロポネソス半島近郊のレパントにて一大海戦に挑む、というものだ。

同海戦ではオスマン帝国側は大敗するものの、結局キプロスは回復できずそのままオスマン領のまま。ファマグスタがキリスト教勢力に戻るのは1925年にイギリス支配下に入るまで待たなければならない。ただ結局半世紀ほどでイスラム側の北キプロスに支配されてしまうのだが。

ファマグスタの城壁
ファマグスタの城壁

旧市街にある宿に着いたのは18時頃だったが既に裏路地は基本的に明かりがなく、メインストリートであろう飲食業や商店が並ぶエリアも開業中の店は数えるほどしかない。22時超えても賑やかだったギルネとは雲泥の差だ。一応ここも北キプロスではギルネに並ぶ観光地のはずなのだが何が両者を分けたのか謎である。

点在する教会の廃墟
ファマグスタのメインストリート。寂れてんなぁ
ファマグスタのメインストリート。廃れてんなぁ
ファマグスタ市街地


晩飯は宿のオーナーのマダムが伝統料理を振る舞ってくれるということでありがたく頂くことに。北キプロス料理なんて見たことも聞いたこともないのでクワクワして待っていると、

目の前にはピザがあった

あのー、これはピザでは??

これはピデっていう料理で、ピザとは似てるけど違う食べ物なのよ!食べれば分かるわよ!

たしかに見た目で判断はいけないな。油そばと太麺パスタも見た目は似ているではないか。

反省してパクリ。

オオォ!!!これは………ピザですね

薄いマルゲリータそのものの味がした。

伝統料理ピデ(ピザじゃないの?)

ピザ…じゃなかったピデを食べた後はマダムのママにキプロスの発音について熱血指導を受ける。僕がキプロスは初めてと言ったときの発音が網にかかったらしい。

キプロス!?ノンノン!!
サイプロスッ!オッケー?サイプロスッ!

英語だとサイプロスらしい。

続いてトルコ語だとどう発音するか分かる?と無茶振りをされる。

えっと…今度こそキプロスでしょうか…?

ノンノン!!クプルス!!リピート!クッ(ここで唇を窄める)プルス!

聞け!日本男児の渾身の一発を!

サイプロスッ!クプルスッ!

エックセレーーント!!!!

マダムママに満面の笑みで頬を揉まれる僕である。皆さんもファマグスタにお越しの際はサイプロスッ!かクプルスッ!で話しましょうね。

8時モゾモゾとイモムシの羽化のように起き上がる。キプロスの昼はもうえげつなく暑いので、午前中にどこまで廻れるかが勝負となる。というわけで急いでファマグスタ市内を歩いてみよう。

この街で最も注目すべき建物は、「ラーラ・ムスタファ・パシャ・モスク」であろう。モスクという名前は付いているものの、3つの扉と2つの塔を持つその外観は、あのノートルダム大聖堂にそっくりである。

これはヴェネツィア以前のキプロス王国時代に島を支配した、フランスのリュジニャン家が故国のゴシック様式を持ち込んで建てたことに由来し、当時は聖ニコラス大聖堂と呼ばれていた。

当時のキプロス王は紆余曲折ありエルサレム王も兼任していた(エルサレム陥落後の亡命政府的な建付け)ためキプロス王としてはニコシアの聖ソフィア大聖堂で、エルサレム王としてここで戴冠したとのことだ。はいここテストに出ますよ。てかなんで分けた?

オスマン支配下に入ってからは、イスタンブールのアヤソフィアと同様にモスクに改造されるわけで、その際は当然ミナレットを設置されることになる。アヤソフィアの場合は聖堂本体の周りにミナレットを建てたが、このモスクは全く違う。なんと大聖堂の凹状になっている二つの塔の内、正面左側の塔をそのままミナレットに改造してしまったのだ。

もちろん今でも現役で使われているので、この見た目ノートルダムな建物からは定期的にイスラム教のアザーンが爆音で流れてくる。外から見るとまるでミナレットに寄生されたキリスト教の聖堂がシステムエラーを起こしたかのようだ。

なおラーラ・ムスタファはファマグスタを攻略したオスマンの司令官その人である。これが尊厳破壊というやつか。

ラーラ・ムスタファ・パシャ・モスク
モスク内部。教会の構造をそのまま流用


さて、オセロの舞台となったファマグスタだが、より正確な舞台となったのは、城壁に囲まれた旧市街の、更にその中にあるオセロ城とのことで行くことに。
ヴェネツィアのいつものあれ、聖マルコの獅子がドーーンと出迎えてくるが流石にもう見飽きている。そして肝心のオセロ城はショボい以外の感想がなかった。すぐ横はコンテナヤードやし。あの悲劇の舞台がこんなショボい城だなんて偉大なシェイクスピア先生はちゃんとロケハンしたのか?数百年後の読者は泣いているぞ?それともこれが本当の悲劇とでもいうのか?

オセロ城からの景色
ファマグスタ旧市街内にあるチンケなオセロ城
オセロ城内部


ファマグスタには旧ニコラス大聖堂以外にもかつての名残で教会の廃墟が無数に存在しており、なかには児童公園や学校の中にもそのまま残されている。
ただモスクに改造された一部のもの以外は管理があまりされていないようで、雑草ボーボーである。城壁も一部分しか登れず、旧市街自体も北側の方は全然開発されていないみたいだ。ポテンシャルはあるぶんなんとももったいない話である。

とても失礼にはなるが、この旧市街に限れば、死んだ街に住み着いている、という印象がある。風の谷のナウシカのトルメキア王国の首都トラスは、崩壊したかつての文明都市に寄生している設定だが、それと似たようなものを感じだ。キリスト教徒が築いたが廃墟となった都市に、人種も宗教も全く違う人々がそのまま住み着いている。

ならコンスタンティノープルとかエルサレムはどうやねんという話だが、あれは適宜修復とか建て替えとかされてたので…。なにはともあれどこか暗いイメージを払拭するためにもきちんと整備してもらいたいものだ。

教会の廃墟
教会の廃墟


昼を過ぎてからはファマグスタ近郊にあるサラミス遺跡へ行くことに。どうもマダムのボーイフレンドが連れて行ってくれるみたいだ。日本人と会うのは初めてらしく、車内では日本について根掘り葉掘り聞かれる。

日本ではサムライがたくさんいるんだろ??

いた…!テンプレジャパン信じてる外国人本当にいた…!と半分感動しつつ、いや流石に今じゃサムライはそんなにいないよ、と返す。よく考えたらそんなに、ではなくゼロなのだがまぁ良いや。

僕の返答に、彼は一気に大変悲しそうな顔をしてしまう。いかん!このままでは彼の中のアメイジングジャパンが崩壊してしまう!ただし大半は農民なんて事実は言いたくないしそもそも格好悪いのでここは別方向に盛ることにする。

サムライは少ないけどニンジャはいっぱいおるで!!

ワオッ!ニンジャ!!!知ってる!!キミはニンジャ???ソード持ってるの??

僕はニンジャやで!!ソード家にあるで!!!(我が家にあるのはイトーヨーカドーで買った安い包丁だけである)

はえーーーーー!!!とめちゃくちゃ興奮してくれるマダムボーイフレンド。

もうヤケクソだが、遠い異国の地でアメイジングジャパンを守り抜いたのは褒めてほしい。いつか北キプロスに来る日本の方は話を合わせておいて下さい。よろしくおねがいします。

到着したサラミス遺跡は海沿いということで涼しいかと思いきや、日光を遮れないので鬼のような猛暑。北キプロスの皆さん、自分、全裸になってもいいですか?

サラミスといえばギリシャ連合がペルシャを破ったサラミスの海戦が有名だが、あれはギリシャにあるためこのサラミスは別のサラミス。つまりフェイクサラミス。だがキリスト教の聖パウロが最初の宣教旅行の際にここを訪れているので古代ではかなり重要な都市だったようだ。
実際かなり見応えがあり、これが観光業の発達している国ならパンフレットで特集組めるレベルだろう。案の定観光客は全然いないあたり、本当に北キプロスはもっとポテンシャルを活かしてほしい。

サラミス遺跡
サラミス遺跡
サラミス遺跡
サラミス遺跡
サラミス遺跡


なお、このドマイナーなサラミス遺跡ではただでさえ数少ない観光客を恐るべきアイテムが待っている。

マキビシがバラまかれてあるのだ。忍者の持ってるあれである。

とはいえ時代劇で見るような黒いやつではなくなんなら人工物でもない。やったら固いトゲトゲの植物の実がそこら中に落ちており、靴の裏くらいなら簡単に貫いてしまっている。指で雑に取り払おうとするが最後、普通に指に刺さる。

これは間違いなく古代都市からの呪いであろう。

北キプロスの大自然が生み出した植物性マキビシ。ガチで痛い


そしてそれを裏付けるように遺跡を廻って駐車場に帰ってきた僕の眼には、マダムのボーイフレンドが乗るヒュンダイ車はどこにも見えなかった。まさかの片道契約かい。


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