警察、救急沙汰、救急集中治療室。
死ぬしかなかった
「死ぬ」という方法でしかわたしは救われないとおもった
決行。そして失敗
‥また、死ねなかった、生き残ってしまった
家を出る時、母に1月3日と同じこと、繰り返さないでよね、と言われた
はぁぁ、だから繰り返したくなるんだよって半泣きで家を出た
反発したかった、反抗したかったんだ
80錠のんだ
車の内側もロックした、エンジンも切った
よし、逝ける、はずだった
訪看さんから連絡が来た
やっぱりわたしはバカだ、助かりたかったんだ
母が警察に連絡入れてしまったため、捜索が始まってると聞かされた
警察なんかに見つかるわけないじゃんって思ったのに
訪看さんからの3回目の電話の時に、薬でだいぶパキったようで記憶ないのに所在地を伝えてしまったらしい
秒で警察来たの、確か4人
窓ノックされて、鍵あけてー、あけないと無理やり開けるよーいいのー?とか言われながら警察手帳見せられた
無駄な抵抗をしてしまったので取り押さえられてしまい、両腕ガッチガチに固められた
救急車到着して、救急隊が取り押さえられてるわたしをみて「あなたを助けに来ました、もう大丈夫だよ」って優しく言ってくれた
警察と救急隊に抱えられて救急車に乗り込んだ
救急集中治療室に1泊した。病院では点滴とモニター管理
胃洗浄はしなかった、だいぶ経ってたし
退院を今日してきたのだけれど、退院時、精神科医と話す時間を作ってもらって話をした
「あなた自身の考えの視野が広がっていくことで、乗り越える、とまではいかないけれど、あなた自身が変われて病気が少しずつ良くなっていくと思います、それを実感していけると思いますよ」と言っていた
頷いただけで終わってしまったけれど、家帰ってきてからも、すごく考えている
視野が広がる、とは
乗り越える、とは
わたしが変わる、とは
病気が良くなる、とは とか
その先生、両親たちに、
「娘さんをいつまでも自立させないのは良くないよ、とか、本人は自立を望んでいますよ、とか娘さんの話もっとたくさん聞いてあげてください」と言ってくれたみたい
それを、両親はドクターに怒られたって表現してた
父親はなにも思わなかったみたいだけれど、母親は、いつまでも親が生きてるわけじゃないしなぁとか言ってたので少しは考えてくれるだろうか、と
甘いかな、それじゃ
とりあえず、拒食での明日からの入院はなしになりました
訪問看護師さんとどうにかやっていきます
今回めちゃめちゃ迷惑かけちゃったの謝らないと
相変わらず、食事は摂れません
点滴されてたからしばらく栄養はいりません
水分は飲みたくなったら飲みます(多分1日300mlくらいが限界)
生きててくれてありがとう、
戻ってきてくれてありがとう、
そう言ってくれる人たちがいる。
わたし幸せ者だなぁ
すぐ死にたくなるけれど、
死にたいを抱えながら生きるよ、わたし‥!
応援してくれると嬉しいです
あでゅ。