今のわたしを作った過程。

このままで 良いのか。

この生き方で本当に後悔しない?と自問自答したけれど、こう生きるしかなかったしこれが最善だと思った、だから後悔はしない。

病気に憧れていた。心配されることで「生きている」と実感できる、簡単に言うとそういうこと。

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ごめんねって毎日おもうの。生まれてきてごめんねって。迷惑ばっかりかけてごめんねって。

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毎日、毎日罪を償うかのように大量服薬して、偽物の自分で生きてる。それでしあわせ?と問われたら、答えられない。

「しあわせ」ってどんな感情だったっけね。もう覚えてないや。

家族含めみんな「偽物のわたし」しか知らない。いつも笑顔でへらへらにこにこしてるわたし。演じてるだけなのにね。

どうしてこんな仮面を被って生きてるのか、それはそうせざるを得ない環境だったから。

わたしが小学4年生の時、当時小学6年だった兄が統合失調症になった。わたしが壊れだしたのもこの頃から。「お兄ちゃん大変だから我慢してね」と毎日兄につきっきりで疲れ果てた母に「ママ、わたしもツライよ」と母が寝ようとしてる時に言ったら「じゃあもうみんなで死んじゃおうか」って言われたの。

母にそんなことを言わせたわたしは「ごめんね」という気持ちと共に、わたしがおかあさんを守ってあげなくちゃという気持ちになり自分の気持ちは隠して生きるしかないっておもって現在に至る。

「母が喜び迷惑をかけないわたし」でいることが当時のわたしができる最善の生き方だった。

そして中学2年の時に同級生にいじめられてリストカットを覚えた。怖くて学校も行けなくなった。中学を卒業し高校に入り保健室の先生と話す機会があり、家のこと、中学の時のことすべて話したら「いつでも保健室においで。」と言ってくれた。わたしは高校で、やっと自分の人生を否定せず肯定してもらえる人と出会えて本当に嬉しかった。「わたし」という存在を認めてもらえた気がした。

そこからわたしのかまってちゃんがエスカレートしていった。

高校2年のある日、わたしは風邪薬を大量服薬し自殺未遂をした。今思えばあれは死ぬための行動ではなく、かまってもらいたい、わたしに注目してほしいという気持ちからやってしまった行動だと今はおもう。そしてこれがオーバードーズの始まりだった。

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