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【詩の感想】うつくしいもの

『うつくしいもの』  八木重吉

わたしみづからのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか

それが 敵であつても かまわない
及びがたくても よい

ただ 在るといふことが 分りさへすれば、
ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ

まず、読んで感じるのは、優しさと穏やかさ。

それは、ひらがなが持つ柔らかさと穏やかさも
あるでしょうし、

八木重吉の素直な想いが現れているからでも
あるように思います。

その素直な想いとは、
「美しいもの」を純粋に希(こいねが)う想い。

ここでいう美しいものとは、
一般的にイメージする美しい、醜いという
主観的な美ではなく、

いつでも、どこでも、誰にでもいえる絶対的な美。
つまり、真美のことではないでしょうか。

また、「ほんとうに 美しいもの」の間にある空白。
この空白が、真美との美的距離を
示唆しているようにも感じます。

その美的距離は、容易に近づけるものではない
だけでなく、

美しいものに対する畏怖や
近づこうとすると、不用意に汚しかねないことに対する
恐れも孕(はら)んでいるような。        

でも、それでも、
少しでもいいから、

真美に近づきたい。

真美から零れ落ちるたった一滴の雫を、
遠目にみたいという、

まっすぐで純粋な想いと葛藤。

葛藤という点でいうと、

「ただ 在るといふことが 分りさへすれば」
と思いつつ、
「ひさしくも これを追ふにつかれたこころ」

というところに、

真美があることを希いながらも
もしかしたら無いかもしれないという
葛藤と切なさを感じます。

これらは、多くの人が感じているだろう
矛盾や葛藤、切なさを
代弁してくれているようでもあります。

そんなところも、時代を越え、
人びとが心打たれてきた詩である
ゆえんなのかもしれません。

とはいえ、
矛盾、葛藤の渦中は、正直しんどいものです。

それでも、
真美があろうが、なかろうが、
「ある」と信じることはできる。

その絶対的な美を信じるありようこそ、
弱い自分が強くあることを支えてくれる。

そのようなことを考え、感じさせてくれる詩。

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