見出し画像

手帳日記帳という私家本を作成する編集者的な喜びについて。

それぞれに作法があるはずなのに、手帳の記し方についてはなかなか個が見えてきません。なぜなら帳面は極めてプライベートな二次元の個室だからです。親しい友人であれ、家族であれ、人の手帳面をしかと見る、読む機会はほとんどないわけです。昨今では手帳と日記帳を兼ねている場合が増えています。その影響で、昭和サラリーマン的な、スーツの胸ポケットに入るスリムで薄手の黒革の手帳とは逆張りというべき、まるで書籍のように立派で厚さがあり、ページ数のある手帳日記帳が人気です。むろん、この手帳日記帳の代表選手が、ご存じ、ほぼ日手帳です。手帳日記帳には、ですから、予定、つまり未来と、できごと、つまり過去が混在しています。使う人はできごとを記しながら自分だけの一日を振り返り、明日のこころ準備をします。そうして一年書き綴った手帳日記帳は、私家本と言っていい充実した内容となります。何しろ一年かけて書き上げた大作なのです。捨てられるわけがありません。時に、4年前の今日は自分は何をやっていたのか、と振り返ることがちょっとした喜びともなります。わたしが手帳に求めるのは予定と取材メモのみで、さらにメモは記事完成後に順次切り取ってしまいますので、わたしの手帳使いの特長としては、1年間使い終わる頃には半分以下の薄さとなること、そして迷いなく破棄することです。さて、手帳はプライベートな内容だと記しましたが、それゆえ、秘匿された誰かのそれを覗き見たい思いも、一方でわいてきます。昨今、使用済み手帳の売買もされているようですが、これがより一般化した場合、つまり高値が付くとされた場合、その販売を前提とした記述をする者も現れるでしょう。そしてその作られた手帳日記帳は、リアルさはないものの、ある意味読み手を愉しませる手帳風、日記帳風のアート作品として、世に出てゆくのです。見知らぬ誰かの手帳日記帳を覗き読みたい、しかしそれはやはり、秘すれば花なり、なのです。

いいなと思ったら応援しよう!