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元ボンボンの地団駄vol.16

2001年1月 バカボンは再び日本の地に降り立った。

留学時代も一時帰国はしていたものの、約8年ぶりの日本。たっぷり満喫しよう!!という訳にもいかず、早速、父の会社に出社するのです。勿論、僕を幼少期から知っている見慣れたスタッフもいれば、初めましてのスタッフもいる。本社にはパートさん含めて約30名程の大所帯、本社に加えて、2拠点の営業所を構える総勢約40名からなるスポーツ用品の卸会社である。

僕はその会社の貿易部というところに配属された。上司は2名。僕の教育係で英語がぺらぺらで手毛(手の甲の毛)がすごい堅物部長と、関西弁ぺらぺらでセンター分けが特徴的な中国人。堅物部長はもう定年間近で、僕に貿易事務やビジネスイングリッシュなどを叩き込むのが最後の仕事という事になっていた。社内では年齢的にも一番下っ端ではあるが、一応、社長の息子なのである。。。皆、なんとなく気を使っていることは分かるし、昔からこういう感じは慣れている。が、しかし、この貿易部にいる2名の上司は全くそんな事なく、ビシバシくるのである。特に堅物部長に関しては社長の前だろうが、なんだろうがお構いなしに怒ってくる。僕も新入社員ではあるが、自由の国アメリカで「意見は言う」という事もしっかり取得してきたので、言い返す。もう、完全にバカボンである。。。とはいえ、ちゃんとした議論の上なので、衝突したり喧嘩になったりという事はなく、着実にバカボンも貿易事務、通訳の仕事をこなしていった。

その当時の会社は、昔ながらの習慣というか、残業は当たり前、上司より早く帰るなんて的な社風でした。が、僕は17時半になったらキッチリ帰る。関西風中国人は結構忙しい人だったので、定時で上がることは無かったですが、かといって僕が帰ることに対して何も言わない。そのあたりは結構寛大にみてくれていたと思う。営業部のスタッフからは、「お前、なんでそんな直ぐ帰るんや?」と。

「え?だって17時半でしょ?なんで帰ったらダメなんですか?」と。

まあ、社長の息子だからそこまで言えたんですけどね(笑)

定時帰宅もそうですが、その身なり。。。制服も無かったし、特にスーツで出社とも言われていない、、、ので、、、ロン毛の茶髪で太めのデニムにパーカーという完全にバカボンのいで立ち、夏になれば短パンTシャツ(笑) BGM的に音楽は流してしまうわ、机にフィギアとかミニチュアのサーフボードとか置き出すわ、サーフィンのポスターとか会社に貼り出すわで、、、

でも、意外と父は何も言わなかった。良く言っていたのは、、、

「あいつはアメリカ人やから、日本人の俺らには理解できなくて当たり前」

甘やかしという訳ではなく、結構自由にさせてもらった。

そんなこんなで、堅物手毛部長も定年を迎え、貿易部は僕と関西風中国人の2人で担っていく事になった。この関西風中国人上司とはホントに仲良くて、彼もアメリカやアメリカンカルチャーが大好きで、よく色々なところに一緒に出張にも行った。のちに、彼はもっと自分のやりたい事を追いかける為に退社し、起業し、現在ではアパレルブランドを展開したり、自身は写真家としても活躍されている。

帰国して半年、僕は突如、会社を立ち上げる。

父の会社の業務をする傍ら、僕はアメリカからサーフィン関連グッズやアパレルの商品を輸入し、販売したりしていた。父の会社が取り扱うモノと少し違ったので、一層の事、別会社でやっちゃった方がいいかな。と、まあ簡単に起業することになったのです。そんな起業直後、バカボンはやらかしてしまう。。。

起業し、晴れて社長になったバカボン。といっても社員は僕だけ。事業内容はアパレル商品の輸入販売。もう完全にお遊びの域である。そして、バカボンは貿易関係の知識はあったのだけれど、営業経験もなければ、勿論、経営の経験もない。大学では皆さんご存じの通り、「地理学」を専攻しておりましたので、ビジネスの勉強すらしていない。。。そんな奴が社長です。そう、社長なんて誰でもなれるんです(笑)

そんなバカボンですが、とりあえず会社を回していかないといけない。その当時は1円起業とかは出来なくて、有限会社=資本金300万、株式会社=資本金1000万が必要だった。僕は父に300万円を借り有限会社を作った。そして、以前アメリカの展示会で知り合ったシューズメーカーの会社との代理店契約の話が舞い込んできた。社長になって調子こいてるバカボンはここぞとばかりに飛びついた。アメリカ発のスケートボード用シューズのメーカー。電話やメールで話をし、アメリカにも出張をして契約を交わした。なんの知識もないバカボンが一気にシューズメーカーと契約をしたのだ。そして事もあろうか、デポジットとして150万円を送金するという、とんでもないバカな事をしてしまう。

そう、契約をするのだから1年間の販売ノルマというモノを課せられる。かといって今すぐ必要な足数をオーダーしろという訳ではない。初年度は年間おおよそOOOO足をお願いしたい、とりあえずデポジットとして150万円。。。という流れだ。

払ったからには、オーダーをもらわなければいけない。。。と、まあこの時点でやり方が間違っている。。。オーダーも貰っていないのに150万払っている訳だ。。。バカである。。。

そんなことも言ってられない僕は、早速エクストリーム系スポーツの展示会に出展することを決めた。メーカーにもその旨を伝えサンプルのシューズやTシャツを送ってもらい展示会に備えた。

まったく何の経験もないバカボンが、シューズメーカーと日本総代理店契約を結び、東京ビックサイトで開催される展示会に出展する。カタログはアメリカから送ってもらったが、オーダーシートや顧客管理表、価格表、なんやかんやをほぼ一人でやった。そして展示会当日。

見事に注目されなかった。。。恥ずかしいぐらい注目されなかった。。。3日間で多分10社ぐらいとしか話が出来なかった。こんなに孤独感を感じたのは初めてなぐらい、まったく注目されなかった。展示会にはたくさんの人が来ていたが、僕のブースの前は皆素通りなのだ。。。オーダーをくれたのは知り合いのショップさん2社のみ数量にして50足ぐらい。。。売上にして20万ほど。出展費用、出張費、宿泊費含めて30万円。赤字。。。チーーーーーーンである。最悪なのはそれからで、この50足の為に、最低ロットのオーダーを入れなければならないのである。。。話しをしてデポジット分でなんとか今回のオーダーの50足を含めたファーストオーダーをすることが出来た。

が、その1ケ月後

アメリカから1通の封筒が届く。

僕は見慣れない英単語に首を捻りながら、辞書片手に訳してみた。。。

「Bankruptcy」

初めて見る英単語。。。調べると。。。

「自己破産」

目が点。バカボンの目が点。一旦手紙を置いて、ふーーーーっと息を吐く。もう一度辞書を見る。。。

「Bankruptcy 自己破産」

その瞬間、デポジット150万、展示会費用30万 +諸々20万の200万円が消えてなくなりました。。。

呆然とするバカボン。相手の会社がそういう状態になってしまった理由なんかが色々と書いてましたが、、、もう頭の中真っ白でございました。

それを見ていた父。これまで一切口を挟まなかった父。

「どうした?」というので、経緯を説明した僕に父はニヤっと笑って一言。

「高い勉強代やのぅ。別で取り返せ。」とだけ言い残して去っていった。

後にも先にも、この時ほど自分自身のアホさ加減にがっかりしたことは無いと思う。

そう、これが「元ボンボンの地団駄 日本編(ジェットコースター人生)」のスタートになる出来事なのです。


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