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山形の姥神をめぐる冒険 読書編 #15

『長い長いお医者さんの話 カレル•チャペック童話集』       カレル•チャペック 中野好夫訳 岩波書店 1962年(原著1931年)

 今回紹介するのはカレル•チャペック童話集の中の一編、「王女さまと子ネコの話」だ。この童話集に納められているお話はユーモアや風刺が効いていたり、ゾクっとするようなブラックな後味があったりと、まったく道徳的でもなければ善悪が明確に分かれているような人物もいない。だけどそれこそが物語の持つ力の本領発揮であって、幾層にも重なった世界の彩りをチラリチラリと見せてくれる。

 お話は小さな王国が舞台だ。この国に住む老婆が怪我をした王国の王女様をなだめるために智恵を効かせてお城に黒ネコを持っていく。黒ネコは王女様のものになり、お城に住む犬たちともすっかり仲良くなるのだが、ふとしたはずみでいなくなってしまう。ここから予想もつかない物語が開けていく。

 子ネコを探す旅の途中では、「まっ黒なやばん人」とか「きいろい顔をした男」とか、多少口は悪いのだけど、ともすれば被差別的な扱いを受けてきた民族だったり、子どもや女性という弱者に対するチャペックの物の見方が随所に表れる。それは、園芸をこよなく愛し、マニアックな熱意で植物の世話をしたチャペックの観察眼とも言えるだろう。人間も他のあらゆる生き物も、川さえも同じ命の流れなのだ。

 子ネコと並んで物語のネックとなるのが魔法使いとして登場する謎の男だ。限りなく神に近い様でありながら、危険な魔物のように不気味な男。時に魚になり、七色のチョウになり、黒い服の女になり、白い鳩になり、その鳩が紙きれになって空を舞い狂う。
 そんな魔法使いが牢獄に入れられた囚人たちにしたこととは何だったか。人殺しが、盗人が、涙を流して自分の罪を悔い、罪を憎み始める。
「わたしがひどい目にあわせた人たち」「おそろしい人間であるこのわたし」「あさましい極悪人であるわたし」。「ああ、わたしは、あのまずしい人たちになにをあげればいいのだ、わたしがなにもかもすっかりとってしまったあの人たちに?」
囚人たちの悔恨の言葉がなぜこんなに真に迫っているのだろう。
 物語もこの頃になると滲み出す愛の深さに胸が熱くなってくる。結末は最後の甘いデザートのようなもの。真実に打たれた心はただ安らかにそれを味わうのみだ。

 この魔法使いのことをキリストと思うのはわかりやすいのだが、私はここにもっと広い意味での神を想う。この世界を動かしている因果律や予定調和のようなものを感じてしまう。そして当時の暗く激しい暴力の渦に巻き込まれそうになりながらも、チャペックの身体にはあたたかなものが点っていて、それはそのまま、ページから伝わってくるのである。透き通るような明快なユーモアと知性に、チャペックの作品はいつも照らされている。

 クリスマスの日に命を落としたこの作家を改めて心に留めておこう。素敵なイラストを残した兄のジョゼフと共に。

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