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山形の姥神をめぐる冒険 読書編(塔をめぐる冒険③) #11

 さて、「塔をめぐる冒険」のまとめである。まとめと言ってもここでは姥神めぐりをしている途中で出会った山形のユニークな塔の紹介をしようと思う。
 ひとつめはこちら。

 ここは天童高原にあるムサシの松だ。この松のある地点が東京スカイツリーと同じ、634メートルなのだという。東京の◯◯と同じ、という言い方は東京の◯◯の権威を借りた価値のアピールだなと思う。地方に住む者の慣習である。これは塔が持つ力、威信の側面だ。そして次のスポットがこちら。

 山形市の瀧山のふもとなのだが、建設途中で放棄された建物だ。中に入ると金ピカの仏像が座っているのが見えて驚いたの不気味だので怖くなりつつも好奇心でうろついた。骨組みがむき出しになったコンクリートに草が生い茂っている。廃墟マニアならきっと訪れてみたいと思うのではないだろうか。一体これは何だろう、誰が何のために作ってなぜ中断したのか。

 建物の外側をぐるりと回ると山形市が一望できる南側に小さな仏塔と仏像があった。だんだんとどなたかが真剣な思いを込めてこれを計画したということが伝わってくる。文字が消えかかった看板に、世界平和と人類の幸福を願ってここに仏舎利塔を建てるのだという宣言が書かれてあった。
 死者への供養と土地への愛と。とても純粋な思いが感じられた。こういう精神世界に行くことを人びとに呼びかけることは、かつては珍しいことではなかった。前回、塔は虚栄心や威信の誇示だと書いた。しかし、祈りや崇高な理想を表す象徴にもなる。すぐにそれを忘れてしまう人間のために。

 塔を建てるわけは、まだまだ計り知れない。
 そういえば、穴を掘る衝動に駆られる人がいなかったっけ。高所衝動があるとしたら掘削衝動もあるのではないか。谷川俊太郎の『あな』という絵本。ある日突然地面に穴を掘り始めた少年が日がな一日穴の中で過ごすというものだ。村上春樹の小説にも穴に入り込む僕がいたっけ。
 穴を掘るわけはますますいっそうわからない。音もなく密やかに。穴の中から外を眺めるのも、実に興味深いのだけど。

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