山形の姥神をめぐる冒険 #3
【岩根沢 山の神お堂】2023年8月 山形県西川町岩根沢水沢座
こちらの姥様は自然石がご神体と聞いて、ぜひ訪ねてみたいと思っていた。しかし、お堂が何処にあるのかいくら探してもわからず、岩根沢の三神神社で尋ね、近くまで行くと、ちょうど当主の方がご自宅から出てきた所だった。
お堂の中を開けて見せていただく。
お堂の中には山の神や他の神々が大勢並んでいる。その中で姥神といわれている石がこちらである。
斜めに入った切れ込みが袈裟と見えなくもないが、深い傷を負っているようにも見え、受難の神様のようだ。昔はお堂の中に子供たちだけで泊まったり、お赤飯や御神酒を供えたりしていたという。「いわれも伝説も何も知らないが、小さい頃からここにあった」という当主さん。
そもそも、石が神になるとは、どういうことなんだろう。
「人間が貴いと思う〝無私〟とか〝純粋〟というこころの動きは、そこらにある石ころにもあるものです。最も人間的なのは〝権謀〟とか〝術策〟とかで、これは自然にないものです。」 『折り返し点 1997〜2008』宮崎駿
この言葉に出会って以来、ずっと物と心の関係を考えていた。植物や動物ならわかるが、石に心があるとはどういうことだろう?
石は生命活動をしていないのに?
石の心とは。
この古い集落はちょうどお盆の時期を迎えていた。あちこちに古いお墓があり、きれいに草刈りされていた。
死者を弔う心とそれは似ているだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?