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山形の姥神をめぐる冒険  #53

【瀧山 前滝コース】 山形市 2024年5月

 通った鼻筋と高い頬骨。丸く見開いた目にあいた口。幼い少女のようであるが口からのぞく牙を見るとやはりこの世のものではないのだと思う。罪を糾弾するような厳しさは少しもなく、無表情で虚ろにも見えるこの姥神は何も語りかけてはこない。

 この日は山岳信仰の山として名高いこの瀧山のふもとで映画の上映会が開かれていたのだった。それはイスラエルの入植地となったパレスチナの人々を映していた。70年以上に渡る占領の記憶を語る老婆。戦車に倒されたオレンジの実をもぎ取る老婆。自分たちの畑を耕し地の糧を得る満ち足りた日々を根こそぎ奪われた農夫。
 彼らは何度となく自分たちの神を呼んだ。神は沈黙したままだ。

 2005年に発表されたこの映画から20年。現在のパレスチナの惨状を知ると、映画で見た彼らの安否に気が気でない思いがした。その生きる姿の美しさと尊さがまぶたに残っているから。

 茫然とするようなこの世の不条理を目の当たりにして茫然としたまま山道を登った。ただただ眩しい青葉の道を、現実感なく歩いた。どんな言葉も圧倒的な不条理を前に虚しい。その道の先にただ虚ろなこの姥神がいたのだった。木漏れ日で陰影を増した顔はじっと前を見ている。目を見開いたまま。
 他者の苦痛をまなざす。
 まなざすことそれ自体が罪となるのかもしれない。

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