見出し画像

山形の姥神をめぐる冒険 #5

【御嶽神社 参道】上山市川口 2023年8月
 お盆を過ぎたが大変な暑さだ。この日も強烈な日射しだったが、姥神に会いに行くと思うとやる気が出る。探し当てるのがまず楽しくなってきて、ちょっとした宝探しのようだ。
 こちらの姥様を見つけるのはとても難しかった。目指す御嶽神社の境内にはいない。集落で見かけた方に聞いてみても「知らない」と言う。お寺を訪ねても住職さんすらご存知ない。
「どうして姥神を探しているのか?」
と聞かれ、そういえばどうしてだろうと思う。宝探しゲームみたいと言えば怒られそうである。しかし純粋な信仰心と言えば偽りになる。
「この人なら詳しいかも」
と教えてもらった近くのお宅を訪ねると、70歳代くらいの女の方が出てきた。その方の話によると、
「もともとは山の上に神社があったが、だれも登る人がいなくなって神社の石塔や何かをふもとに下ろした。ただ、この姥神は大きな岩と一体化しているので下ろせず、鬼子母神と共にそこにいるまま。20年くらい前に見たがもう登り口もわからない」
とのことだった。
 だとすると、今の御嶽神社のある所とそうは離れていないのではないか。
そう思って山沿いの細道を行くと、ふもとに下ろしたという石塔群が現れた。

墓石には天保や文政の年代が刻まれている

そのまま道を辿ると古い石段が山の上に続いているではないか。

そのまま岩を削ったような石段

これを見つけたらもう夢中だ。一気に心臓が高鳴ってきた。石段をそわそわ登る。すると、いらっしゃいました。

足元にはブドウ

 なんだか彼方を見て放心しているような姥様だった。その座前には新しいブドウが供えられている。誰からも忘れられたような存在だと思ったが、今もこうして下笹を刈り、お供えをする人がいるのだ。

長い髪と大きな耳

 鬼子母神がすぐ隣にいるのを見ると、子授けや安産の信仰も集めたのだろう。参道の入り口のこの場所は、村の女性にとって心の拠り所だったのではないか。参道と産道。生き直す、産まれ直す、つまりリフレッシュ。
 そうして生まれ育った民の子孫がここに生きている。そんな当たり前のことすら確かな実感を失っていないか。性にまつわるあれこれが、実に混沌として混乱している今だから。
我々は何処にいるのか、何処へ行くのか。
デジタルに侵食された心身の、それ以前はどうだったっけ…。
かつての人びとの確かな痕跡が、心象に刻まれていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?