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山形の姥神をめぐる冒険 #60

【面白山登山道】 山形市 2024年8月

 山寺を横目に通り過ぎてひたすら仙山線に沿った細い道路を進むと、面白山高原駅に着く。駅からすぐ登山道の入り口があり、最初の登りで姥神が座っていた。頭のない身体を登山者に向けて座る結界ウバである。ここも山岳信仰の篤い山だ。
 幾つもの山の重なりの中にあるせいで雨が降りやすいのか、どこも湿気に満ちている。霧雨が降ったかと思えば晴れたり、驟雨になったり、目まぐるしく天気が変わる。姥神は路傍の草の中にひっそりと座っていて、周りの緑に溶け込んでいる。存在感の薄い姥様だ。

 面白山高原はかつてスキー場があり、渓谷トレッキングや滝めぐりなどのレジャーで賑わう場所だ。それが今は日曜の昼下がりに涼を求めて来る人が一人二人といるばかり。スキー場はとっくに閉鎖されてリフトがそのまま座席を宙に浮かせて止まっている。日本が意気盛んだった時代の遺物だ。
 苔に覆われた姥神と宙吊りになったリフトと。どちらも人間の足跡に違いないとして、同列にしていいのかどうか。信仰とレジャーって何が違うのか?昔の人にとって信仰によるお山参りとはレジャーではなかったのか?
 時の重なりは一見、異和なる物同士の継ぎはぎでできているように見える。
 私たちはこれから一体どこへ行くのだろう。何を求めて。

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