山形の姥神をめぐる冒険 #44
【安国寺】 山辺町大寺 2024年4月
静かな境内でブーンという低い音がする。読経と間違えるような一定の低音は辺りの桜に群がるミツバチの羽音のようだ。下の果樹園では「ミツバチ放飼中 農薬•除草剤の使用禁止」との看板があちこちに立っていた。
不意にゴーンと鐘の音がした。鐘つき台で寺の人が鐘をついている。夕方の5時を知らせる鐘なのだった。不規則に間をおいて何度も鳴る鐘の音に心が吸い寄せられていく。暮れていく光と鐘の音に浸される町。この地区の人は毎日この鐘の音を聞くことができるのか。そのことがとても美しい営みに感じられて、自分の日常の貧しさを思った。
姥神はどこだろう?
境内をひと回りして山門を出る時にふと横を向くと、そこにいた。腕に抱えられそうに小さい体と、丁寧に継がれた別の頭。この安らかな顔は本来の奪衣婆とは似ても似つかないが、ここのお寺にふさわしいように思う。
ところで気づいたことがある。寺の境内にいるタイプの姥神は禅宗の寺が多いのではないかと。同じ山辺町の浄土宗の寺には姥神はいなかった。なるほど、念仏を唱えれば極楽浄土行きを保証してくれるのと、三途の川で罪の重さを測られてその結果待ちなのとは大きな違いだ。
禅宗の方が厳しいとも言えるが、そもそも罪とはその人の感じ方で意識が変わるものだ。どんなに念仏を唱えても罪の意識が消えない人もいるだろう。そんな心の不思議に漂うあたりが禅に通じるのかもしれない。
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