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フレームワークの行間

わたしは、ビジネス講座、起業講座でやらされるフレームワークが嫌いだ。
よく考えると学校のころから嫌いかも。
なにか枠のあるものに埋める作業。

埋められないのではなくて、(それならnote書きたがりにならないと思う)おさめられないというか、だいたいディレクションが簡単すぎて、どこまでのことを入れていいのか、どこまでのことを想定しているのかわからなくなって手がとまるという感じだった。

おそらく小学生のときなんかは、作る側の大人は、幼児や低学年のようなこたえを想定して、簡単な問いにしているのだろうけど、問いが簡単であればあるほど、その裏を考えてしまって書けなくなる、というおとなしく消極的な小学生と思われていた所以でもある。
(たんに問いだけじゃなく、人の会話もひとつの言葉にいろいろ考えちゃって、答えられなかっただけなんだけど)

で、フレームワークももれなく嫌い。
いや、必要な場面ってあるんですよ。確かに。まとめたり、考えを落としたりする段階で。
でも、やたらめったらフレームワーク、フレームワークありき、なコンサルや講座はあまり信用できないな、というデータが自分のなかには最近たまったところ。

フレームワークをやって、成功者のフローをなぞったらある程度成功できる。LINE経由の講座なんかに多い。
でも、一番儲けているのって、一番上の人で、一番大事な肝は教えない。それはそれでいいと思う。自分で見つけるものだから。ただ、フレームワークがあまりに力を持ちすぎている気がする。
日本人にとってはフレームワークよりもっと違う方法がいいんじゃないかと感じる。

それは、こっちで勉強しなおして余計に感じること。

海外のひとって、
Aってすばらしい! Aの会社を作ろう!
って、まず「決める」が先に来ていて、そうすると、
いやいや、行動する前にまず整理しようよ!

って意味でフレームワークや、ブレインストーミングが必要になる。それは実際に大学の課題としてやっていても、自然な流れで、理屈も通ってる。

ただ、このフローや考え方をそのまま日本に持ってくるとちょっと文化的に違うんじゃないかなと感じていて。

実際、ブレインストーミングとか、POLCとかそういうのも「なるほどな」と納得はできるけど、しっくりは来ないというか。

それって日本人って、
Aってすばらしい! のあとに、
・Aについて調べよう
・Aに必要な資格とっとこう
・Aの制度調べとかなきゃ
・Aを成功させるには「~すべき」

全部考えてからうごくタイプなのに、さらに「フレーム」というハコのなかに、考えまで押し込めようとした動きがとれなくなっちゃうんじゃないかと。

おさめようとすると、自由な発想が制限される。
もともと、「~べき」が強い日本人にとって、枠に入れるのはさらに動きが小さくなる。

だから、思考を整理するにも、日本独自のフレームワークを活用するべきだと思う。
海外から引っ張ってきたのそのまま使わずに。
コンサルとかのひとも、どうして独自のエッセンス加えずに、そのまま使って違和感感じないんだろう。

そして、日本人の良さは、きっとフレームワーク外の行間にあると思う。
小説や俳句や和歌、そして現代でいえばTwitter。

文字の表面だけ見てれば言ってないこと、
醸し出したり、包含させるスキル、もっと誇っていい部分だと思う。

ビジネスも、海外を追う➡日本での最先端、じゃなくて
独自の方法生み出す人が増えればいいのに。

日本社会をディスるけれど、日本の特性を残していきたい、アピールしていきたいという想いで教材とか外国人の生活サポートや日本語レッスンに関わってしまうんだよな。

日本の良さ、悪さが中からは見えにくいのかもしれない。
それを言語化、顕在化することで、なんというか日本が日本にもっと(傲慢ではない)自信を持ってくれたらなと思ったりしている。
自分も日本人なのに何目線だ?という感じだけど。
結構、日本人の弱さ、マイナス、と捉えているところ、裏を返せば強みだと思うんだよな。

https://note.com/tabunka_organize/n/n2f37c67211bc


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