見出し画像

【日記または雑談】ランニング/乗り物酔い/わたしの書きたい女の子 etc.

※pixivFANBOXにもほぼ同じ内容のものを上げています(向こうでしか書いてない話題がひとつだけある)。全体公開記事なので誰でも見れる!

 思い出がすぐにぼやけてしまうひとなので、日記的なものでも書いてそのときの感情をいつでも思い出せるようにしとこうと思いました。
 ここ1,2ヶ月くらいの話をします。ひっっっっさしぶりにランニングをしている、とか、結婚って実在する行為らしい、とか。日記なのか微妙なのでタイトルがこうなってる。
 話題が五つあります。長いけど許してね。

話題その一(ランニング)

・最近あまりにも運動量と基礎体力が足りなすぎるのでテコ入れとしてランニングを再開した。何年ぶり? 下手したら8,9年ぶりとかの可能性すらある。当然のようにボロボロの走りを披露しています。今のところ2km走るのが精いっぱい。足の限界より先に息切れがきている。もしかして呼吸へたくそ部の部員か? 普段から油断してると口呼吸になりがちだけども。

・この世のほぼあらゆる運動・スポーツが壊滅的に苦手なわたしですが、長距離走だけは人並みと呼べなくもない。マラソン大会で半分よりちょっぴり上に入って、普段の運動音痴っぷりを知ってる周りにちょっぴり驚かれる瞬間だけ輝いていた、そんな高校生活。

・そういうわけで長距離をマイペースに走るのは楽しかったから、高校時代は家の近所をランニングしたりたまに市民マラソンの5~10km部門に出たりしていた。父親がマラソンを始めたのに触発されたところもある。
 ランニングウェア一式もそのとき親に買ってもらっていて、十年近く経った今も現役。シューズがちょっぴりキツくなった以外は問題なく着られている。真っ赤なウェアでまったり走ってる人がいたらわたしかもね。

・最初のうちは週に1,2回走れたら上出来だと思う。三日坊主にならないといいな。願望じゃだめだな。なりません(断言)。


話題その二(乗り物酔い)

・人生で乗り物酔いしたことないのが強みだった。特に大学時代、高速バスや渡船(!?)を使う機会が多いとこに住んでたので、乗り物酔いに強い体質でよかったなーとしばしば思っていた。のだけれど。そんな体質、なかったみたい。

・こないだ、はじめての乗り物酔いをしました。

・コミュニティバス、ルートと運転手さん次第で乗り物酔いリスク跳ね上がるかも、という教訓を置いておきます。『路線バスより車体小さいから揺れやすい』『生活道路を縫うように走るから、角を曲がるのも停車→発進の回数も多い』『運転手さんによってはわりと飛ばす』などが理由として考えられますね。今回は全部当てはまってたのでもうフィーバーでございました。他にお客さんいなかったのをいいことに座席に横にならせてもらって目的地までやりすごした。むり。

・ところで、当記事のサムネイルはこのとき乗り物酔いを乗り越えてありついた炙りサワラ丼です。前食べに行ったときあまりにもおいしかったから再訪しちゃった。

・『○○になったことない』と『○○にならない』は違うのがよくわかった。今までたまたま無事でいられただけで、何かの拍子にあっさりだめになっちゃうかもしれないんだろうな。人もモノも。

・わたしの『食べても太りづらい体質』もいつまでもつんだろうね。


話題その三(結婚の実在と、その重さ)

・大学時代の学科の同期が結婚した。それも、同期で今も連絡取り合ってる唯一の人。出会ったころはクールで近寄りがたい印象を勝手に受けちゃってて、言ってしまえば軽い苦手意識があったんだけど、だんだん人となりに触れる機会が増えてきて。今はもう友人……と言っていいはず。向こうが許してくれるなら。

・友人と呼べるひとが結婚する、というイベントが起きてようやく、『結婚って本当にある行為なんだ』と実感できた気がする。それくらいには、将来結婚して家庭を持つ可能性について、わざと意識から遠ざけているわたしです。『結婚願望はあるが現状できていない』未婚でもなければ、『結婚しない選択肢を意識的にとっている』非婚でもない。「支えられてばかりの自分に誰かと婚姻関係を結ぶ資格などない、ましてや人ひとりを人生のはじめから育てる資格なんて」と、心の底から思っています。

・結婚(および事実婚、およびパートナーシップ制度等)した人たちのことを本当に尊敬している。だって『先に何が待ち受けていようともこの人と今後の人生を共にしたい、支えあいたい、と(少なくともその時点では)決意した』わけだから。それだけでもうとんでもなく重いことなのに、もしもそこから何十年もの間お互いの『一緒にいたい』が『もう一緒にいられない』を上回り続けたまま死別まで迎えられたなら、わたしはふたりにありったけの敬意を表したいし、わたしはそれになれない。

・交際も結婚(および事実婚、およびパートナーシップ制度等)も結婚生活も子を持つかの選択も子育ても、すべてがあまりにも重く尊い決断だしそうあってほしいとわたしは思う。薄っぺらな理想論かもしれないけど。重く尊い決断だからこそ、わたしにはできない。端からあきらめている。

・ただ、そうやって何かしらの行為や現象や概念を自分とは関係ない、縁のないものだと切り離し続けていると(神格化も切り離しの一種なのかもね)、だんだんおとぎ話か何かのように思えてくるので、なぜとは言えないけど本当によくない気がする。少なくともわたしはまだ、そうやって自分の可能性や見識を狭めていくことに対して恐怖心を持っているんだろう。

・その同期に挙式(または、それに準ずるもの)をする予定があるかは聞いてないんだけど、もし祝える機会があるのなら、何かのかたちでしっかりと祝福の気持ちを表したいなと思います。

・もし結婚式あっても着て行けるような服がないしそれを用意できるお金の余裕もないよ~~~しくしく。リクルートスーツしかない。いい感じのネクタイピンあるからそれつけて行ったら多少はフォーマルに見えるのかな。


話題その四(闇バイトこわすぎ)

・闇バイトの報道や注意喚起を目にするたび気が滅入りそうになる。なにが特に嫌かって、犯行手口の主流が特殊詐欺から原始的な強盗に変わりつつあることで。

・『特殊詐欺は騙す過程でターゲットとのコミュニケーションが避けられず、説得力のある会話・態度や演技力が求められる犯罪である。けれど闇バイトで手当たり次第にかき集めた人材がみんなそういうスキルを持っているかと言われたらそんなことはないから、未遂に終わるリスクが高い。訓練を積ますにしても、捨て駒にそこまでコストかけないだろうし。従ってより確実性の高い強盗に回帰しつつある』――こないだ読んだweb記事から一部を意訳したものです。アクセス履歴漁ったけど見失った。

・特殊詐欺のリスクが上述の通りだとしたら、強盗のリスク(こんな言い方したくないけど)はたぶん、『発覚・逮捕の危険性が高い』『刑罰が重い』がまず挙げられるんじゃないかな。一方、特殊詐欺だと被害者が被害に気づかず発覚しない可能性もあるし、刑罰の重さはおおよそ強盗罪>詐欺罪だし、という理解でいいはず。強盗致死傷罪はさらに重い。

・で、昨今のいわゆるトクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)による強盗は、SNSとか求人サイトとかで集めた『闇バイト』という名の捨て駒に実行役を担わせ、彼らが捕まってもトカゲの尻尾切りをすることで、強盗のリスクを踏み倒しているわけですね。秘匿性の高い通信手段を使うとかして、闇バイトが捕まってもそこから指示役など上層の特定には繋がらないように用心している。

・最悪ですね、本当に。

・より確実な犯罪遂行のためなら、他人に対して暴力の行使をためらいなく指示できる。被害者の心身が傷つくこともいとわない。そんな人間が世の中にいる事実を認めたくない。

・たったひとりの家族である兄が闇バイトに手を染めかけているのを止めに動く妹のお話を、一年半くらい前(もうそんなに!?)に書きました。いつか同人誌に収録できたらいいな、というのは置いておいて。そのお話を書く際参考にした書籍『ルポ 特殊詐欺』(ちくま新書)がなかなか衝撃的だったんですけど、それも既に二年前の本なわけで。刊行当時よりさらに巧妙で、先鋭化して――暴力的になっている。

・わたしにできることはたぶん、最新の手口を知ること、警戒すること。そしてなにより『自分も当事者になりうる』と、いつだって心に留めることなんだろう。被害に遭うほうもそうだし、犯罪に手を染めてしまうほうも。

・何しろわたしは今、正社員からパートに契約が変わった関係ですごくお金に困っているので。経済的に楽になろうとして、闇バイトという名の犯罪に誘惑されるようなことがないよう、自分を正し続けなければいけない。


話題その五(わたしの書きたい女の子)

・「ヒロインじゃなくて女の子が書きたい」

・フォロワーとdiscordで話している最中に口からこぼれてはじめて、わたしも知らないわたしの本心に気づいた。結局、言葉や行動にしてみないと自分が奥底で何を考え何を思ってかなんて正確にはつかめないのかもしれないし、その言動ですら本心なのかは誰にもわからない。自分でも。けど、物書きとしてのわたしが何をやりたいのかを今一度考えたときには、やっぱり「ヒロインじゃなくて女の子が書きたい」が正解なんだと思う。こんなとんがった言葉、無意識だとしてもこぼしたくはなかったけど。

・ここ2年くらい、中高生の――子どもと大人の間で揺れる年頃の女の子が主人公の一人称小説をよく書いている。

・ふだんは目立たない内気な性格だけど健気で一生懸命で、なにより、大事なときには勇気を出して行動できる芯の強さを持ってる――そんな女の子の繊細な感情の動きと、自分の足りないところに気づいて成長し始める様子を、内面に迫りやすい一人称視点で描く。今のわたしが特に書きたいのはそういうお話。と、ここまでは前から自覚していたんだけど。どうやらわたし、女の子の内面とその変化・成長にフォーカスを当てられさえすればわりと満足できちゃうみたい。

・つまり、中高生の女の子が主人公のお話を書くときのわたしは、『女の子主人公の内面とその変化・成長を掘り下げる』ことを最優先していて、『相手役(恋愛関係になりうるかを問わない)の深い掘り下げ』や『向こうからのアプローチも含めた、相手役との交流および関係性の描写』の優先度は相対的にやや低めかもということ。ヒーローの寵愛を受ける対象としての女の子《ヒロイン》もすきだけど、書き手としてはひとりの女の子の内面をありのまま描き出すことのほうにより興味がある。『女の子と誰か』もすきだけど、『女の子』はそれ以上にすき。

・もっと正確に言えば、『相手役が“存在”することで起こる、女の子の感情の動き』は書きたいです。ただわたしにとって、それを書くために相手役の“存在感”は必ずしも必要ではないのかも。

※あくまでわたしの場合は、なので誰かに押しつけるものではないです。それは強調しておきます。あと、あくまでより書きたいのは『女の子』というだけで、『女の子と誰か』を書くことはもちろんあります。

・やっと「ヒロインじゃなくて女の子が書きたい」につながった。

・自分でも象徴的だなと思うお話があるのでリンクを貼る。ゆるして。

・大好きな男の子との初デートに遅れそうで焦る主人公の恋愛ものです。『あの人を待たせたくない、せっかくの初デートなのに悲しませたくない』という彼女の純粋な気持ちがちょっとした奇跡を起こすお話で、相手役(=大好きな男の子)の存在が主人公の感情やストーリーを動かしています。たぶん。なのに相手役の男の子が最後のワンシーンでしか直接登場しないし、彼のセリフは全体を通してたった一度、「お、おはよう……。待たせたか?」だけ。現時点のわたしは何を通して何を書きたいのか、それがわりと濃いめに出たお話なのかも。書いたときはわからなかったけど、今振り返るとそう思う。

・書きたいものを書けていればわりと満足。けれど、自分の書きたいものが誰かの読みたいものでもあったなら、もーっと満足。自分の書きたいものはぜったい世の少数派なくせにそういうわがままを振り回しているのがわたしなので、あなたがこの記事を読んでくださっている今も自己矛盾でうんうん苦しんでいます。

・わたしの書きたいものを芯のところは変えないままに、けれど今より届きやすいように加工してお届けする。それができたら理想だよなあ。

・理想はそれだよなあと言うだけで満足していたくはないわたしなので。公募用に今こしらえている最中のお話で、一度挑戦してみます。

 話題を五つお届けしたけど最初以外明るい話じゃなくてごめんなさい……。二十何年かかけてできた今のわたしはどうしたって自分を許せなくて、思考が内へ内へと沈んでいってしまいます。
 ときどきこうやって出来事とか感じたことを素直に書き留め、すこし遠くから見つめ直すのを続けていたら、いつか自分を許せるわたしになれるのかな。なれたらいいな。
 そんな感じで、今後も不定期に日記なのか雑談なのかよくわからないふわっとしたものを書くつもり。もしよければ、今後ともよろしくお願いいたします!