死ぬのは定め、死に時も定め
昨年末、私の父が他界しました。
2年前に医師から「心臓が限界に近づいている」と言われていたので覚悟はしていました。ただそれ以来、入院からは遠ざかった日々を送っていたので、やはり私たち家族にとっては〝突然の死〟でした。
「あの日こうしていれば、父は死なずに済んだかも?」
亡くなった直後は何度もそう後悔してしまいました。が、しかしところがその一方で、父の死をしっかりと受け止めている自分がいたのも確かでした。
じつは私には、父が亡くなったことに対しての寂しさとか空虚感みたいなものがまったくないのです。
たとえば世間一般では近しいひとが亡くなっても、まだ生きている感覚が拭えず「つい名前を呼んでしまう」とか「ひょっこり帰ってきそうな気がする」などと言います。
しかし私はそういう思いが一切ありません。むしろずっと昔から、父のいない生活を送っていたような気分に捉われてしまったのです。
どうしてかと考えてみますと、それはやはり私がスピリチュアルを受け入れた人間だからではないかと考えます。
ここで言うスピリチュアルとは何か? と言いますと 人は死んだ後、どうなるのか? という素朴な疑問に対する答えです。しかも宗教やオカルトではなく、科学的に研究された結果、判明した事実なのです。
私たちのほんとうの故郷はあの世であり、この世はさまざまな学びを体験するための場所にすぎない。人間という存在は何かと一言で言うと〝あの世からの留学生〟であると言えるでしょう。
そして学びが終わったら、元いた場所へと帰っていく。それがつまり〝死〟なのです。
だから私たちが考えているほど〝死〟というものは悪いものではないのです。そして留学(誕生)前に帰国日時(死に時)も決めて生まれてくるので、不運としか思えない事故などでの急逝も、じつは予定通りだというのです。
ひとによっては「とても信じられない!」と思うかもしれません。それは当然だと思います。私も受け入れるまでにたいへん時間がかかりましたから。でも、今ではほとんど納得しています。
なので今回の父の死も、きっと予定通りなのでしょう。そう思うことで、命日当日の自分の至らなさに対する後悔は次第にやわらぎました。
今日はあの日からちょうど3ヶ月。今、私は父を亡くす以前の精神状態にもどっています。
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