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美容室imamura開業7周年記念インタビュー

◾️インタビューの経緯


「髪を切ってもらうかわりに文章をかく」

美容室imamuraの店主今村氏と不定期におこなう"価値のぶつぶつ交換"。この夏も放置していた髪を整えてもらい、今回はそのリターンとして今村氏へのインタビューを行うことにした。
周年イベント『いまむらのちかく』を二ヶ月後に控えた今村氏。インタビューを通して、美容師を志したきっかけ、独立するまでのストーリーを探る。また、普段あまり語ろうとしない彼自身のことについても、この機会に触れてみたいと思う。


◾️インタビュー当日

長堀橋駅と周辺のビル

インタビューは、美容室imamuraの店舗で行われることとなった。店舗は、地下鉄長堀橋駅から徒歩1分の場所。難波や心斎橋がすぐ近くにある大阪の都心。騒がしい大通りから一本筋を入ると静かなオフィス街が広がり、その片隅にひっそりとたたずむように店舗がある。

平日のランチタイムがピークを過ぎ、サラリーマンやOLの姿がまばらになる時間。僕はその日のインタビュー構成を考えながら、店舗に向かうべくオフィス街を歩いていた。普段しないような会話をこれからするのだと思うと、シラフじゃできないし、かといって酒を呑むわけにもいかない。せめて気分だけでもと、ノンアルコールビールを2缶購入し、店舗に到着。

木枠の少し重たいガラス戸をあけると、落ち着いた内装と落ち着いたテンションの店主がむかえてくれた。店内のあちらこちらに設置された観葉植物。目に優しい緑が、夏の暑さをやわらげてくれる。シャンプー台に腰掛け、リラックスすると、僕はノンアルコールビール、店主はコーヒーで、真っ昼間から乾杯。インタビューを開始する。


◾️インタビュー開始

美容室imamura店内の様子
奥のシャンプー台でインタビューを実施

◆◆◆

インタビュー前半(小中高→美容師学校)

田渕:メガネ(※今村氏のあだ名)が美容師になろうと思ったきっかけは?

今村:生まれ育った街は広島の呉市で、山と海に囲まれた自然豊かな場所でさ。都心にあるような商業施設も娯楽もない。遊びといえば、海で泳いだり釣りにいったり、山を散策したり、自然とたわむれることが遊びだった。

田渕:ガチの田舎って感じやったんやね。

今村:そうそう。髪を切るのに理髪店や美容室も少なかったし、そもそも髪を切るサービスの存在すら知らなかったから、小学校低学年くらいまでは、ずっと父親に散髪してもらっててん。それである日、いつも通り父親に散髪してもらってから学校行ったらさ。

「髪ガタガタやん」って、友だちに言われてさ。

田渕:それは、きっとショックやんね。笑

今村:それまで父親に散髪してもらう以外の選択肢がなかったし、不満もなかったから「髪ガタガタやん」って言われて、少し戸惑ってん。
「ああ、そうなんや…この髪型はガタガタやったんや…これからどうしようかな」みたいに不安になってさ。それで友だちのすすめで理髪店に初めていったのが小学校4年のときやったかな。
理髪店初心者の俺に友だちがアドバイスくれてん。そのアドバイスが入店して店員に「髪どうしますか?」って聞かれたときにどう答えるかって内容やってさ。
「とりあえず"普通で"って言っとけ」ってアドバイスもらった。笑

田渕:とりあえずそう言うといたら大丈夫みたいな感じやね。それにしても「普通」っていうふんわりしたオーダーで無難な髪型に仕上げてくれる理髪店もすごいな。笑

今村:それで無事に理髪店デビューを果たしたと思ったら、次に理髪店とはまた趣向のちがう”美容室”って洒落たお店の存在を知ることになって。

田渕:小学校って色んなヤツがいて、なんか妙に情報に長けてるヤツとかおったよなあ。

今村:初めて美容室に行ったのが小学校5年のとき。俺の髪を切ってくれた美容師さんは、20代くらいの若い男性でさ。長髪に私服みたいなラフな服装やってん。それまで大人がつく職業のイメージといえば、スーツ着たサラリーマンくらいでさ。初めて見た美容師さんの佇まいとか雰囲気が斬新に見えて「こんな職業あるんや」みたいな驚きがあった。そのあとも、そのときの驚きがなんとなく記憶に残ってて”美容師”という存在が自分にインプットされたのかもしれん。

田渕:それまで散髪してくれてたお父さんの反応はどうだったの?

今村:美容室に髪の毛を切りに行く分には、何も言わなかったんだけど、ある日父親に「将来何になりたいか?」と聞かれたときに「美容師」と答えたら「美容師なんてダメだ」と怒られた。
父親は、厳格とまでは言わないけど、子どもの頃の俺からすると少し厳しい父親って印象があった。昔ながらの昭和の父親像を継承してるっていうのかな。そんなだから「美容師=チャラい」みたいな偏った価値観を持ってたのかもね。

田渕:ダメだと言われてどう思った?

今村:そのときは、自分の記憶の引き出しから取り出しやすかったから”美容師”を選んだだけ。聞かれたから答えたって感じかな。
父親にダメって言われて「じゃあ他になりたいものは?」って、自分なりにあらためて考えて直してみたら”先生”って選択肢が浮かんできてん。小学校のときは、ほんとにいい先生に恵まれてて、先生という職業に対していいイメージがあったんだと思う。

田渕:それからは先生になりたい気持ちが続いたの?

今村:中学のときに通っていた塾の先生に「将来は先生になりたい」って相談したことがあってん。そしたら、その先生がものすごい勢いで「先生は絶対にやめとけ!」って、全力で止められてさ。それ聞いて、先生ってそんなに大変なんやぁと思ったら、やっぱりやめておこう…となった。それでまた、仕切り直して考えてたら、美容師になりたい気持ちが再浮上しはじめてん。

田渕:行ったり来たりだね。

今村:結局は、大人を納得させる材料がなかったんだと思う。「自分の思い通りにならない」という挫折を何度か経験するうちに、自分の要望を通すには、それなりの準備が必要だと気づいたんやと思う。

田渕:大人の反対意見に対抗する具体的手段なんて、学生の頃だとなかなか思いつかないことだよね。

今村:思えば、今の自分の生き方は、子どものころに通ってた空手道場での経験が基礎となっている気がするな。空手道場は、とにかく厳しいところで、いつも行きたくないって思いながら通ってた。空手道場の館長は、父親とは違うタイプの厳しさをもった人でさ。おまけに怖い…でも厳しさのなかにはちゃんと愛もあった。
空手道場は、肉体と精神を鍛錬する場所だから、厳しい経験をたくさんさせてもらった。例えば、冬の池に投げ込まれたり、滝行をさせられたり…。あと、変わった経験として、空手道場のみんなで山登りにいって、山の高台から宮沢賢治の詩を叫ぶという謎の時間もあった。「雨ニモマケズ!!風ニモマケズ!!」ってさ。笑
道場に通っていたころは独特の価値観が染みついててさ。木の板に正拳突きして拳を潰すのがカッコいいと思ってたわ。笑

田渕:めちゃオモロい経験してるやん。

今村:言葉で説明がつかない肉体的な学びの時間。理不尽な出来事とも言えるかも…。笑
あとあと気づいたんだけど、空手道場での荒行とか、父親の反対とかって「無力を知る時間」だったんだなと思う。子どもの頃に自然のなかで遊んだ経験も、自然の前では人間は無力だってことを知るきっかけになっていたかも。そうやって無力を知った方が、生き方に工夫が生まれるもんな。こうやってダメなら、ああやってみようって感じでさ。
あと、空手道場で学んだことは、自分の頭で考え、自分で行動すること。道場での鍛錬そのものは厳しくてつらかったけど、つらさだけが心に残っているわけじゃなくてさ。学びもちゃんと心に残っていて、今も自分の助けになってると思う。

田渕:なるほど。メガネにとって空手道場での経験は大きかったようやね。
なんかメガネって一見クールな印象があってさ。でも冷めてるって感じではないのよね。静かに熱を帯びているような感じもある。
一度目的を決めたら着々と進める。そんな姿が外野から見たらクールに映っていたのかもね。

今村:決めたことはやり切るタイプではあるかも。迷ったり、悩んでる状態に長くいるのがしんどいねん。迷うくらいなら、とにかく早く決めてしまうことを優先する。その方が自分が楽になる。そういえば、高校生のときも、早い時期に美容師になるって宣言してたわ。
今までのやり切ったエピソードを少し話すと、空手道場では皆勤賞をもらったことがある。あと、小学校のときって、真冬やのに半袖半ズボンで過ごしてる元気すぎる友だちとかおったやん?
俺もある日なぜか半袖半ズボン宣言して、ひと冬やり切ったことあったわ。笑

田渕:おったなあ。そういうやつ。元気過ぎるなあ。笑
なんかメガネは、活発な小学生っていうよりかは、落ち着きのある成績優秀な小学生ってイメージを勝手に持ってたから意外やわ。学校での成績は実際どうだったん?

今村:勉強は嫌いだった。成績は可もなく不可もない中くらいの成績やった。勉強が嫌ならスポーツでもするかってわけでもなくて、高校生のころはバイト漬けの日々を送ってたわ。親に内緒でバイトして、稼いだお金でCDとか漫画をたくさん買ってた。
勉強したくないというのが主な理由で、高校2年くらいまでにはもう美容師学校へ行くことを決めてたなあ。美容師学校への進路を選択したらセンター試験受けなくていいねん。
あとは、早く実家から出たいというのがあった。田舎育ちの若者あるあるかもしれないけど、都会に憧れがあった。実家を出て都会に住みたいって思ってた。

田渕:進路を決めるうえで、迷いや不安はなかったんかな。それに美容師になることは父親にずっと反対されてたことだよね。

今村:さっきも話したように、早く決めるほうが楽だと思うタイプやから進路のこともそうした。それで、自分の進路を父親に話すときに「美容師は”食っていける仕事”」っていう親の納得ポイントしっかりおさえたうえで、進路の話をした。

田渕:論理的に説得したんやね。まあ、その方が建設的な話ができるもんね。

今村:母親が昔、国語の先生を目指していたんだけど、論理的な思考回路をもった理系の人って感じでさ。思えば、父親も母親も論理的で、俺もその血を引いてる。あと俺は損得勘定が強くて、損しないためにどうすべきかを論理的に考える癖はあるね。

田渕:高校を卒業して、大阪の美容師学校に通うために一人暮らしが始まったわけだけど、実際大阪に来てどうだった?

今村:通学に便利な都心の物件を希望してたんだけど、狭い部屋のわりに家賃が高くて断念した。予算の都合にあわせて物件を探すうちに、どんどん都心から離れて、結局は郊外の街に部屋を借りることになった。東大阪の布施やね。

田渕:なるほど、それで布施に辿り着いたのか。俺も布施の近くに住んでたから、その何年後かにメガネと知り合うことになったんやね。はじめての一人暮しと美容師学校での生活はどうやった?

今村:大学でいうところのキャンパスライフみたいなキラキラしたものはなかったな。座学にレッスンにやることは山積みで、めちゃ地味な日々やで。なんか俺が入学した美容師学校は、遅刻欠席をかなり厳しく罰するルールがあってさ。「授業を合計20日休んだら退学」って決まりがあるねん。国家試験に受かるような優秀な美容師を育てるための学校やから、どれだけ不真面目でも卒業できるとかはないんやろね。それに学校が送りだした卒業生が、就職先で遅刻欠席繰り返すようなヤツやったら、学校の評判が悪くなって、その他の生徒の将来にも悪影響を及ぼすもんね。

田渕:20日休んだらクビって、サラリーマンより厳しいやん。なんか楽しい学校生活ってのと、だいぶかけ離れてるね。

今村:俺は早く就職して結果をカタチにしたかったから、楽しい学校生活を送りたいって感じではなかったかな。
自分が美容師学校に入った頃は、カリスマ美容師を演じる木村拓哉主演のドラマ『Beautiful Life』が流行ってる時期でさ。美容師という職業の認知が一気に広がって、世間が持つ美容師のイメージは華やかだったと思う。ドラマの影響かはわからんけど、入学を希望する生徒が急増して、一学年6クラスとかあってすごいことになってた。まあ、そんな華やかなイメージとは関係なく、俺はただ淡々と目の前のことをやってる日々やったわ。

田渕:美容師としての実感が湧くのはいつ頃から?

今村:学生時代に体験入店をさせてもらう機会があった。まかせてもらえる仕事は、掃除とか雑用とかかな。主に下積み仕事ではあったけど、楽しかった。まだ責任が伴わない立場だったからかもしれないね。



インタビュー後半(就職→独立)


田渕:実際、美容室に就職してからはどうだった?

今村:初めての就職先は、自分の住んでた布施の美容室やってさ。仕事は大変だったけど、体験入店での経験が役にたった。スタイリストへの道のりは遠いにしても、毎日着々とやることやって、だいぶ色々な仕事も任されるようになってきててん。だけど、あるときにふと我に返る時間があって「あれ?このままでええんやっけ?」と思ってしまってん。それで、布施の美容室を辞めることにした。

田渕:布施に親しい飲み仲間もできて、仕事での実績も積み上げてきてたのにどうして?

今村:田舎から志しを持って都会に出てきたはずやったのに、大阪の郊外に住んでるし、職場も同じ街にある。自分がすごく狭い世界で生きているような気がして、ハッとした。この状況だったら別に広島の美容室でいいやんって思った。布施で働くのと地元で働くのは大差ないなと。それでもう一回原点に戻って、都心で勝負してみたいと思って、お店のオーナーの相談したら「男やし色んな世界みておいで」って送り出してくれた。それから都心の南船場にある美容室に再就職した。

田渕:思い切ったね。意外と勝負師なんやね。再就職先での美容師生活はどうだったの?

今村:基本的には学校でも初めての就職先でもやるべきことは同じやわ。目の前のことに向き合う日々。
でも新しいお店に再就職してから、仕事の責任やプレッシャーを感じる場面が増えた。こなすべき課題も多いから、身も心もとにかく忙しかったな。
そんな忙しい日々のなかでも、同僚と昼メシ食うてない自慢しあったり、練習時間を競ったりして、切磋琢磨できたのはいい時間だったな。でも、そうやって努力していても、スタイリストとして認められるまでは、なかなかハードル高くてさ。練習してはダメだしを喰らって、また練習してはダメだしを喰らうみたいなのを繰り返していた。その挫折の日々に耐えれなくてやめていく同僚もいた。

田渕:なんか俳優のオーディションみたいやね。オーディション受けては落ちて、受けては落ちて、なかなか本番に出演できないみたいな。
のちにメガネがスタイリストになって、お客さんの髪を実際にカットをするようになってからの気持ちはどうだった?

今村:練習と本番は全然違って、常に緊張とプレッシャーを感じてた。プレッシャーを乗り越えるためには、練習を繰り返して、少しずつ自信をつけるしかなかったな。そのうち少しずつ、スタイリストとして自分の売り上げが付くようになっていった。その時のお店は郊外にも店舗があったから2つの店を行ったり来たりして店舗管理も少しはできるようになって。
その頃からなんとなく自信みたいなものがついてきてて「独立してもやっていけるかも」って思い始めてたわ。

田渕:独立に踏み切ったきっかけは?

今村:仕事ができるようになると、いらんこと考える余裕ができるのかな。やっぱり前と同じように、ある日ふと我に返る時間があって「あれ?このままでええんやっけ…あれ?俺また郊外で働いてるやん」って気づいてん。本店は都心にあるけど、自分が任された新店舗は郊外やんって。
布施の美容室を辞める時と状況は同じで「田舎から志しを持って都会に出てきたはずやのに、気がついたら郊外で働いてる。これだったら別に広島の美容室でいいやん」って、思考パターンが働いてしまった。

田渕:でた!都心コンプレックス!笑

今村:なんかずっと都心で働く人への憧れがあるねんよなあ。この時期に、また別の郊外へ新店舗を出す計画があってんけど、出向を断ることにしてん。それで、同じ計画に関わってた後輩への示しがつかないというのを理由にしてお店を辞めることにしてん。その時にはもうすでに独立することを決意してたな。

田渕:実家の親は息子が無事大阪で就職できたことに安心してたはずよね。どう説明したの?

今村:かつて高校の時、親を納得させるように進路説明をしたのと同じように、今回も独立することのメリットや生活を維持できる根拠をきちんと説明し、納得してもらった。

田渕:やっぱり勝負師やなあ。そんな風には見えへんのになあ。その原動力はどこからくるんやろうな。

今村:やっぱり、田舎を出たからには”故郷に錦を飾る”ではないけど、自分のことを知っている地元の人に、自分の活動を知ってほしいみたいな欲はあるのかもね。
独立してからの話やけど、父親が誰かに「うちの息子は長堀橋っていう大阪の都心で美容室を経営してる」って、嬉しそうに話しているのをたまたま聞いてさ。思い切って独立してみて良かったと思った。

田渕:20歳で就職して、34歳で独立かあ。独立後は、メガネ自身の気持ちに変化はあったの?

今村:何にもない。決めたことをやり切る。やるべきことをやるというルーチンがずっと続いている感じ。かといって、自分に変化や気づきがないわけじゃない。ルーチンはこなすけど、同じことだけを無意識に繰り返しているのではないというか。
結局、ずっと同じ業界でモチベーションを維持するには、自分を飽きさせない工夫が大事でさ。成長するのにもモチベーションを維持するのにも”逆境”ってのが自分にとって必要な要素だと気づいてん。
かつて父親や空手道場の館長が与えてくれた厳しさがあって、その逆境をバネにして頑張れたからこそ、実現できたことがたくさんあると、今になって思うねん。反骨精神やね。パンクやわ俺。

田渕:論理的パンクやな。笑
では、そろそろ最後の方になるねんけど、店舗作りにあたってのこだわりを聞きたいな。

今村:まず、店舗の内装を作るにあたっての要望は、”自分では思いつかないもの”を作ってもらうこと。つまり決め事として「口を出さない」ってことにしてん。最低限の要望としては、セット面は可動式・シャンプー台は2台・本棚の設置をお願いして、あとはすべてお任せ。
内装デザインは、作品のアーカイブ・知名度・デザインの質感を見て”graf"に決めた。grafの設計担当の方とは、とても相性がよくてさ。実際の仕上がりを見て、この方にお願いして本当によかったと思った。あと、grafの代表服部さんにはオリジナルシャンプーのパッケージデザインも手伝ってもらってるよ。

内装工事前の店舗の様子
grafデザインの内装
https://www.graf-d3.com/
こだわりの可動式セット面

田渕:では、最後になりますが、店をやる上で今村氏が大切にしていることを聞かせてください。

今村:美容室imamuraには、特別なことが何もない。例えば、最新の美容機材や特別価格のキャンペーンがあるわけでもない。でも、特別なことがないからこそ、肩肘張らずにリラックスしてもらえるような空間作りができると思っています。そして、お客さんと長くつきあっていけるようなお店にしたいです。ちょっと不謹慎かもしれませんが個人的には「お客さんの葬式に呼ばれる」を目標にしています。そのくらいコミュニケーションを深め、関係を築いていきたいということです。いつも来てくれるお客さんを大事にできるように、お店のシステムや環境も常に整備し続けています。飽き性の自分だからこそできる様々なチャレンジで、皆さんを楽しませれるようなアイデアも考えていきます。

今後とも末長く”美容室imamura”をよろしくお願いいたします!

◆◆◆


◾️あとがき

画像は5周年イベント時のもの
中央が店主今村氏

約2時間に及ぶインタビューが終わった。お互いに次の予定があったので打ち上げもなしで早々の解散。

思えば、今村氏との出会いは15年以上前のこと、布施の居酒屋でのことだ。初対面のとき、今村氏は友人の結婚式の二次会帰りだったらしく、酩酊もあいまってパリピモード全開だったような気がする。初対面のときのハイテンションに気後れした僕は「彼はきっと僕とは住む世界が違う人だ」なんて思っていた。だけど、それから彼は僕のライブに遊びに来てくれたり、近所の居酒屋で一緒に呑んだり、気づけば今村氏の結婚パーティーで歌わせてもらうまでの仲になっていた。

今回のインタビューでは、長く付き合うだけでは、知ることのできない話が聞けたと思う。そして、話のなかから普段の様子からは見えづらい彼の生き様のようなものも垣間見えた気がする。
空手道場での鍛錬の日々。美容師としての練習の日々。目的のために論理的に考え、決めたことを着実にこなす地道な努力。その情熱は弱火でじっくりコトコト煮込むタイプの静かな熱だ。
そういえば、インタビュー終了後の雑談で、彼のこんな言葉が印象に残った。

「自分は苦労を知らない人間。人に恵まれてきただけ。」

他人からみれば、評価に値するような頑張りも、彼自信その苦労を感じておらず、いい機会やいい人に恵まれてきただけだと、本心からそう言っているのがわかる。美容室imamuraの7周年イベント”いまむらのちかく”には、そんな彼なりの感謝や恩返しの意味が含まれている。
この先また、彼が新しいことにチャレンジし、逆境の山を登り切ったときは、山頂でこう叫んでほしい。

「雨ニモマケズ!!風ニモマケズ!!」

※本インタビュー記事中の会話内容は、交わした会話から受けた印象をもとに書いている箇所もあり、一語一句文字起こしをしたものではないということをあらかじめご了承願いたい。


いまむらのちかく。-南船場寄席- imamura 7th Anniversary

http://imamurahair.com/chikaku7th

今年で7年目をむかえる美容室imamuraの周年記念イベント”いまむらのちかく”。イベント会場は美容室imamura。今回は、グラサンズでの出演オファーをいただいた。果たして、あのシャンプー台のわずかなスペースにグラサンズがおさまりきるのだろうか…乞うご期待!

ーイベント詳細ー

いまむらのちかく。
-南船場寄席- imamura 7th Anniversary

2024年11月10日 日曜日
@imamura
17:00 open / 18:00 start
予約制 木戸銭1000円
ドリンク販売あり

ご予約はInstagramのDM か メールでto@imamurahair.com

"いまむらのちかく"

ちかくにわたしが何かできることを、恩返しといったら大袈裟だけど…
そんなん考えてわたしのちかくを紹介して、あなたのちかくにしてもらう。みたいなイベントです。

                      美容室imamura店主 今村   

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