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M-1と面接と身体感覚。

少し前だが、クリスマスイブにM-1をみた。敗者復活からしっかりみた。
毎年隠れた名曲を知れると話題のM-1応援動画(今年も日食なつこさんの「ログマロープ」が良すぎる)から始まり、芸人さんのこの日にかけた想いが詰まった漫才の数々を堪能した。

結果的に優勝した令和ロマンが1stステージのトップバッターで、「松本人志の90点」が全体の基準になったとネット記事にも書かれていたけれど、細かいことはさておき、やっぱり笑いとか、美しさとか、そーゆーものを評価するというのはすごく難しいなと痛感する。

そんな折に、文脈は違うが就活などにおける面接官について、こんな1文が目に留まった。

受験生をチェックしているのじゃなくて、自分の身体感覚をチェックしているのです。

「街場の教育論」内田樹

つまり、面接官は、最終的には相手はみていないと。相手を通じて、自分の身体がどう感じているか、で採るかどうかの評価を下すと。

面接は、どうしても自分を「よく見せよう」としてしまうけれど、ほんとのところは、相手の肩にポンッと手を当てて肩もみするような、時々脇のあたりをコチョコチョするような、気持ちよくさせるスタンスが必要なのかもしれないなと思った。
そして面接に限らず、他人との会話も、もしかしたら漫才も、すべてここに収斂するところがあるのかもしれない。

そうだとしたら。
「自分の身体感覚」というものにも慣れておく必要がありそうだ。

「自分の身体感覚」自体は、別に面接官でなくとも、誰しもが絶え間なく、人や、モノや、出来事や、その他あらゆる対象に対して自然と感じてしまっている。
ただ、その自分の身体感覚を「チェック」する、となると意識しないとなかなか難しいのだろう。
自分が自然と感じた感覚を、「おうおう、今自分はゾクゾクしているな」「ちょっとこのやり取りは不快感あるな」とか、メタ的な自分を通じて二度味わう。そしてさらに、それを解像度高く言語化する。そこまでして初めて、「自分の身体感覚をチェック」できたことになる。

M-1の審査でも、博多華丸大吉さんとかコメント力すごいなあと思ってみてたけど、きっと自分のおもろいと感じる身体感覚をつぶさにチェックして、言語化して、更にそこに演者への愛もプラスされているからなんだろう。

翻って自分は。
長丁場のM-1鑑賞でワインを飲みすぎて、身体感覚は「気持ちわりぃ」の1点張り。解像度ゼロ。情けない。
風邪ひいたとき、体調悪いときは誰しも身体感覚が敏感になるけれど、
体調がいいときから、身体感覚にもっと敏感になりたい。

3.「街場の教育論」内田樹
学ぶとは離陸することらしい



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