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スマホは自分のお部屋です。

毎朝、ぼくはラジオを聴く。
特に、平日朝6時からやってる「ワンモーニング」(通称ワンモ)が大好きだ。

ユージさんと吉田明世さんの熟練夫婦のような掛け合いもいいし、テーマも多様だし、選曲もなかなかよくって、いつも仕事に向かわせてくれる大事な番組だ。

先週の募集テーマは「子どものころ、自分の部屋はありましたか?」だった。
あったなぁと思いながら聴いていると、意外とアンケートでは半数以上が「自分の部屋はなかった」という結果に。
あれあれ、自分は(田舎というのが大きいけれど)結構恵まれた家庭だったのだなあと勝手に思っていたのだが、明世さんが最後にこう言った。

最近は、スマホが自分に部屋になっているのかもしれないですね

ああぁ、たしかに!
スマホは、圧倒的な没入感と無限の娯楽のある、刺激的な子ども部屋だ。
だから、リビングで家族といても、実はスマホでYouTubeを見たりゲームをしている子どもは、実はリビングにはいない。

そうやって、”持ち運べる子ども部屋”を手に入れた子どもは(いや、大人も同じだと思うが)、もはや自分の物理的なプライベート空間なぞ必要としないのかもしれない。

自分の部屋、でしていたことを考える。
宿題。ケータイで友達や気になる子とメール。本を読む。動画を見る。ゲームをする。眠る。

最後の眠る、はさすがに現状難しいが、それ以外はほとんど、画面上でもできそうなことに驚く。
眠る、だってポケモンスリープとか出てきてどんどん画面に近づいているし、いずれどこにいても、立ちながら仮想空間上で睡眠できるようになる気もする。

哲学者のパスカルは、『パンセ』の中でこう言っている。

人間の問題はすべて、部屋の中に1人で静かに座っていられないことに由来する。」

人は、本来暇や退屈に抗えず、牢獄のような環境から外に出たくなってしまう本能を持った生き物なのだ。(だからこそ、外に出て事故に巻き込まれたり、人間関係でトラブルになったりもする)

では、物理的な部屋がなくなりつつある現代ではどうか。

あれれ、、家でも、電車でも、会社でも、、みんな、自分の部屋(=スマホ)に閉じこもっているではないか、、、?

パスカル先生の言葉が真理だなと思うからこそ、
現代の人々の多くが、部屋(=スマホ)の中に1人で静かに座っていられる、ということに何か違和感を感じてしまう。

本来、じっとしていられないはずなのに、スマホの魔力によって、みんな自分の部屋に閉じ込もってしまっている。それも、無意識に。

自分の部屋に籠る時間も大切だ。
だけど、じっとしちゃいられない。
だから、たまにはスマホを置いて、外に出よう。
スマホがなくて退屈なのは、外に出る楽しみを忘れたあなたのほうだ。

そしてたまには、自分の部屋(=スマホ)も、掃除しよう。
いらないアプリ、サブスクリプション、動画。。
どうせ持ち運ぶなら、こぎれいな部屋であれ。

明世さん、ユージさん、、これで解釈はよいでしょうか?



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