電気水道代を払えなくなるほど市井紗耶香にハマっていたころと、犯した罪の話
順調に数か月noteをサボっているうちに、人間社会の速度は速いもので、noteが炎上したり、noteが炎上したり、またnoteが炎上したりしておりましたな。さらにgoogleさんの検索エンジンのコアアップデートによる大幅なアクセス減……。なんかわかんないけどnoteさん頑張れ。
気が付いたら新年を迎えてしまい、コロナの緊急事態宣言も二回目が出るとかでないとか、不穏な出だしです。このnoteも、元旦に更新して心機一転「今年は更新します!」と宣言するつもりのまま三が日も過ぎ、一度も行動することなく三日坊主を達成し、すでに暗雲が立ち込めております。
さてさて今日もなんだかいろんな時事ニュースや編集・ライティングの闇をあーだこーだ書こうかなーと書き始めたものの、以前Twitterでもっといモーヲタ時代の話を書いてほしいといわれていたことを思い出したので、自分の想い出話をしてみようと思う。Twitterでなぜかスマホのメモ帳に書いたものをキャプチャして貼り付けるオタクのお気持ち表明。アレだ。
BUBKAの『証言モーヲタ』でのインタビューでも話したと思うんだけど、自分は、モーヲタ・爆音娘をやっていたころでも、アイドルそれ自体への執着はそんなに強くなく、二十を超えて唐突に出会ったアイドルポップスの暴力性にシビれた口なので、楽曲が面白くなくなったと同時にわりにスムーズにモーニング娘。への気持ちも薄れていったわけだけど、それでも何事にも例外がある。市井紗耶香だ。
市井紗耶香への思いはなんとも言い難いものがある。もちろんあの鮮烈なショートカットや、独特な踊り、「かあさん」キャラクター、どうにも生きづらい薄幸な感じ、どれも魅力的なんだけど、アイドルを好きになるのはそんな彼女のパーソナリティーが発端になるだけじゃない。こちらの都合に勝手に当てはめるように相手を解釈して、自分の弱い部分にハメることで、自分にとって特別な存在にしてしまったりする。それはもちろん勘違いなのだけど、それでも当時の自分にとって特別だったことは事実だ。
市井紗耶香がモーニング娘。に所属していた時に、自分はコンサートなどで間近に見る機会がなかった。初めてコンサートに行くと決心したのが市井紗耶香の突然の卒業公演で、しかもその公演を高額でヤフオクで入手したにかかわらずライブ寸前、京都から普通電車で東京に向かう途中、誰もが心を折られる延々とつづく静岡の魔物の体内で夕方を迎えたころに「出品者がより高額で他の人にチケットを売り飛ばした」ことを知った。この報告を受けて、途中下車し、浜名湖まで行って自分は何をやっているんだろう、この静岡のよく分からない場所でと暮れかけた湖に奇声をあげて突入。ケータイを水浸しにして壊してしまった。
大学を卒業し、彼女を置いて東京行きを決めたのにフラれて数か月で20kgばかり痩せた。彼女はショートカットの印象が強く、モーニング娘。にハマったのも先で、とくに市井紗耶香ファンだった(その後石川梨華ファンに)。そしてあだ名が「ねえさん」だった。そういえば、自分にとってのモーニング娘。初体験は「たくさんの女子が踊っている中から市井紗耶香を見つけて顔を覚えること」だった。つまり、アイドルというものの最初の刷りこみが市井紗耶香だったことと、フラれた彼女の面影をなんとなく市井紗耶香に重ねていた。ルックスは全然違うけど、「なんか生きづらそう」な感じが似ているとその時は思えた。
彼女をほって東京に出た自分だがうだつが上がらず、日々の生活に汲々としていたこと、当然の帰結としてフラれそうなこと、それを何とかしようと仕事の暇を見て京都に戻って彼女に連絡、決死の思いで貯めた金で指輪を買い、プロポーズしようとしたところ、彼女は出張だか高熱で会うことができなかった。その時に、彼女は笑いながら「彼氏というよりは家族みたいなものだからなあ」といった声色に絶望し、電話を切った後四条河原町の鴨川に向けて買った指輪を投げ捨てた。
もうね、ホントに今思えば自分だけ都合よく脳が沸騰して何してんだという感じですが、その時は脳内麻薬出たなりに真剣だったんだよ! かなり指輪投げた時とか気持ちよかったと思うんですよ。
もちろん、この一連の「必死で向かったけど会えずに目的を達成できない」ストーリーは数週間もたたないうちに自分の中で、「卒業コンサートに向かったけど最後を見ることができなかった市井紗耶香」体験と悪魔合体。気持ち悪いトラウマの結晶として心臓に埋め込まれる結果になった。
それに、卒業コンサートが見れずに浜名湖に身投げエピソードは、東京にでてできたモーヲタ友だちにウケが良かった。爆音娘。なんかをはじめてよく分からないうちにライターとしての活動もスタートし、周りから一味違うオタと思われるのに、このエピソードはかなり活躍した。それに、俺と市井紗耶香の間に語るべき他にエピソードなんてなかった。見たこともないんだもの。暴走族の「ダチが車で死んだ」トークのような鉄板さを発揮し、何度も話して聞かせるうちに、自覚がないまま、彼女の特別さと市井紗耶香の特別さが混ざり合い大変マズい状態になっていった。
そこで、唐突な市井紗耶香の復活ですよ。しかも、なんかやたらお渡し会やら握手会やらたくさんするとかいう。
自分は、本当は音楽CDとライブなら音楽CDの音源こそがホンモノであり、ライブはファンサービスかつ、3時間立ちっぱなしになることで帰依力を高めるイニシエーションくらいに考えていたし、今もそうなんだけど、「市井紗耶香に会える」これはヤバい。
鴨川のカップルが等間隔に座る河川敷で身勝手なヒロイズムによって指輪を投げ捨てた時にノリで彼女の電話番号を携帯電話から消した自分にとって、「市井紗耶香に会える」というのはなんだかわからないけれどバックトゥーザフューチャー的にヤバイ感情を巻き起こすのに十分だった。そして川崎のアゼリア広場で行われた超大規模な握手会で市井紗耶香と握手した瞬間、ガチで腰が抜けてヲタ友だちに開放されながらなにがしかの光を見ていた。そこでもうも自分は「生きてる…」とブツブツと連呼していたらしい。
キリストは生きていた。気の毒なことです。
ここから「市井紗耶香が毎週イベントにでる。それを俺が毎週見る」というルーティーンが完成することになった。なんというか、もうこうなってくると市井紗耶香が好きだから見に行くとは別種の、市井紗耶香を眺めながら懺悔を行うみたいな、「市井紗耶香に振られた彼女についての懺悔をされても困るだけなのでは?」みたいな宗教儀式じみた行為になっていった。当時はもちろんそんな意識はなかったけれど。
そして、毎週市井紗耶香を見に行くことになった自分も、こんな風に常時頭がおかしいわけではない。稀に我に返る時間もある。そして気づく。
「あれ?市井紗耶香のイベントどんどん小さくショボくなってきてるぞ。そもそもそこで歌う楽曲だって絶望的なまでにしょうもなくないか」
それでも、その上手くいってない市井紗耶香の芸能活動、しょうもない曲を笑顔で歌う彼女の姿が、自分が気になった「生きづらさ」の体現のような気がして、「俺はこのコク深さがわかる」と通うことをやめなかった。コク深いのは自分ですね。
そして、市井紗耶香と握手するついでにシャ乱Qのたいせーとその後市井紗耶香と結婚して離婚する、当時はこっそり付き合っていたであろうギターの吉澤直樹と握手して、「なぜ市井紗耶香の握手のあとにたいせーとかと握手しなきゃならんのだ。せめて市井紗耶香は最後にならないのか」とか思ったり、ライブをするたびに会場が狭くなり、最後にはライブ会場の出口に市井紗耶香の母親が登場。オタの全員に「紗耶香をよろしく」とお辞儀するなど、現実のリアルさをまざまざと見せつけるスパイラルの螺旋にハマっていく。
もちろん平日でも市井紗耶香のイベントがあると地方でも行かざるを得なかったので、東京で働いていた派遣社員の仕事もままならず、しかもライター業もかなり忙しくなってきて二か月に一度、外注として雑誌の増刊一冊をすべて請け負い、OJT一切ナシのぶっつけ編集長としても活動。一日の睡眠時間は常時4時間以下に。
しかもほぼ着の身着のまま上京してきた後、半年間派遣社員も決まらず、東京では唯一の社会との接点になっていたモーヲタ活動と週二回あるオタ飲みに顔を出していたため、とにかく金がない。派遣社員として一日8時間労働していた金額は、家賃と借金返済すれば0円になり、数か月に一度のまとまった原稿料振り込みと、ちょこちょここなしていた単発のライター仕事の収入だけで市井紗耶香代、オタク活動費と食費その他もろもろを捻出しなければいけなくなっていた。そんななか市井紗耶香は今日も元気に仙台のイトーヨーカドーでドサ周り。高速バスに乗って見に行かなければならない。
その日のことはよく覚えている。市井紗耶香のイベントに週末2日かけて地方に行き、締め切りを超過していた原稿を明日月曜日までには出さなければならないと、荒れた生活を体現するような荒れた部屋に戻ってきたときのこと。
電気がつかない。水が流れない。ガスが付かない。郵便箱のチェックなんてここ数か月マトモにせずに部屋の片隅に打ち捨てている。財布の中には3000円もない。旅費切りつめのため飯も食ってない。
帰宅後、ほっとして一息つくつもりが、駅からの帰り道のほうが居住するのに快適だったんじゃないかと思うような絶望的な部屋の荒れっぷりと、うんともすんとも言わないライフラインのスイッチたち。風呂に入ることもできなければ、パソコンが動かないのでは原稿を書くこともできない。
「なんなんだよ、どうなってんだよ」 どうかなってるのは確実に自分ながら、その現状を把握して受け止めるまでたっぷりの時間がかかった後、とにかく原稿は書かなければならないと電気代だけは工面して振り込みに。財布には硬貨しか残っていない。電気が復活するまで、何もできない。
しかし、とにもかくにも電気は復活する。となると、腹が減っていることに気づいてくる。一度気づくと空腹感は自己主張の度を強めておさまりが付かない。冷蔵庫に食材を入れるような生活はとうの昔に諦めてしまって、なぜかCDラックになっていた。あるのは、生の米だけだ。「コメがある!」この心強さ。これでひとまずは満腹になれる!
が、電気はまだ復活していない。炊飯器が使えない。鍋で炊くにもガスも止まっている。そもそも米を浸す水がない。
数十分後、周りを伺いながらきょろきょろとアパートから出てきた自分の右肩には大きな旅行用のバッグが。
そして、徒歩数分、たどり着いたのは近くの児童公園。ついにホームレスの生活を開始するのか。いや、違う。バッグから取り出しのはそう、炊飯器。
炊飯器をもって、公衆トイレのところにコンセントがないが確認し始める自分。こいつ盗電する気だ。でも見つからない。周りを見渡しながらも焦る自分。結果、児童公園の中心部近くに立っていた街灯の根元。根元に直接あったのか、掃除用に増設されていたのかは思えていないが、とにかく街灯のすぐ近くにそれはあった。公園の水飲み場で生米を水に浸し、浸水時間を待たずにそのまま街灯の下、もろ土の地面に置かれた炊飯器にセットし炊飯開始。
炊飯中、ずっと公園のど真ん中で立っているのも怪しすぎるので、10mほど離れたベンチで、炊きあがりを待つ。夕暮れが深くなっていき、街灯に火が入り、照らされる炊飯器。公園の真ん中でスポットライトを浴びながら自分の仕事である炊飯を愚直に遂行しようとするその機会を眺め、あまりのシュールさに「何してるんだ俺……」と呆然と公園の真ん中にある炊飯器を眺めベンチに座る自分。人生で一番黄昏た瞬間である。
その黄昏れ気分も長く続かなかった。すでに寒くなり冬と言ってもいいその時期に、一桁台の外気温の中炊飯器を動かしたらどうなるか。そう、大量の湯気がのろしのようにたつ。児童公園の真ん中でなぞの煙がもうもうとたつ。これは異常事態だ。ちょっとしたボヤにすら見える。自分はその煙を何とかしようと、炊飯器を運んできたバッグを煙の上にかざしてみたりしたが、生暖かく濡れたバッグが生成されただけで、煙はどうにもできない。
結局、いざとなったら逃げられるようにベンチからさらに距離をとって、黙々と仕事をこなす炊飯器があげるもくもくとした水蒸気を見ながら貧乏ゆすりをするほかなかった。炊飯上がりまでの40分は、市井紗耶香のライブよりも長く感じた。
その少しばかりあと。またニュースが飛び込んできた。市井紗耶香の再びの活動休止。しかもギターの吉澤と結婚! 噂によるともう子供もおなかにいるらしい。市井紗耶香によく分からない情熱を注ぐ機会がまた失われたのだ。市井紗耶香は、嵐のようにやってきて、嵐のように去っていった。ユーアーローリングサンダー。結果、僕は盗電をした。
その後も、仕事に専念してなんとか広尾に事務所を構えちゃったり神田に移転したり、募集してもいないのになぜか「じゃあ俺も来月から社員か」といいだしたモーヲタ友だちを社員に抱えることになったり、念願だった猫を飼った頃、またも市井紗耶香復活。子供を抱えて、夫婦生活の素晴らしさを語りLOHASな生活をしながらなんだか無茶苦茶に安い美容系の仕事をする市井紗耶香。ママを武器にして奮闘する市井紗耶香と、猫を抱く独身おじさんの俺。彼女は今頃どうしているだろうか。結婚したのか、子どもとかできたんだろうか……。相変わらずの衰えない市井紗耶香の美貌と例によってスケールの小さい活動に、猫炊き独身おじさんはもしかしたらあったかもしれない過去のお話について気持ちを馳せたりすることに。
人生のターニングポイントごとに市井紗耶香が復帰して、そのたびに過去を振り返る装置として稼働し始める。が、その時にはさすがに市井紗耶香と彼女の概念的分離に成功しており、ほろ苦い気持ちで、子どもと共に笑う市井紗耶香の写真をHDDに保存したりしていた。もちろん保存はさせていただきます。毎日、地元のスーパーに行ったら、子どもを抱いて買い物に来ていた初恋の女の子を見た時のような気分になれる、青春バックアップマシンのような存在になっていく。
と、思ったら立憲民主党から議員立候補だってー!?!? と、慌てふためいたら、長年の市井紗耶香活動(なんだそれ)が評価され、各所から市井紗耶香立候補に関するコメントを求められ、日刊SPA!では「市井紗耶香の街頭演説見てきてください。後の原稿はどんな内容でもいいです・エモくなれよ」というワイルドすぎる依頼が。
日本を憂う市井、子どもの教育や、母子家庭の大変さを訴える市井、利益供与にあたるので握手を辞退する市井、その対応で舌打ちするオタク。それらを見ながら書いた無駄にエモい、愛憎半ばしすぎるなんだかよく分からない記事は、一本しか依頼されていないにもかかわらずあれよあれよと8000文字を突破。なぜか日刊SPA!はそれを三本に分割して掲載。Yahoo!ニュースに転載され拡散。こんな面倒なファンがかつていただろうか。
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元モー娘。市井紗耶香が参院選に。この20年何してたのか熱烈ファンが解説
元モー娘。市井紗耶香ファン歴20年のライターが送るラブレター。参院選出馬をどう見る?
元モー娘。市井紗耶香の選挙演説・落選を、20年来のファンが熱烈リポート
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その後、そんなことはまったく知らない市井紗耶香先生から、Twitterで市井紗耶香ファンクラブができると大騒ぎして煩悶する自分に返答。直接の返答に申し訳ない気持ちになった。
で、その結果どうなったって? その日刊SPA!の記事を見た、件の元彼女から15年以上ぶりにマシュマロ経由でメッセージが……!
あれだな。動揺して書いていることが気持ち悪い。ごめんな。 もし、もしうっかりこの記事よんで、「うわー……」ってなったらアレだからい、言い訳してるけど、市井紗耶香を中心に書いたらエモってこうなっただけだから、しっかり彼女とか作ったり同棲したり、一緒に住んでる人がいたりとかしたりするから。普段はちゃんと普通の社会人してるから。なんかもうほんとすみません。大きな心で見逃していただけると幸いです。しかし、指輪河原に投げ捨てたとか、15年以上の前の知らないこと聞かされたらどんな気持ちになるんだろうな……ほんとごめんなさいね……。
そして今は、インフルエンサー商売のことを個人的な興味でしらべてみたり、noteにかいたり、他の媒体に書いたりしてるんですけど。そんな年末、堀江貴文のホリエモンクリスマスキャロルだかなんだかの信者向け内輪劇についてニヤニヤウォッチしてたら出てきたのが「市井紗耶香も出演!」の文字。ホントにまったく市井紗耶香先生! まったくもうまったくもうだよ! 心に整理ついた今でも、これだから辞められないよ!!!
以上、お気持ち表明でした。市井紗耶香先生で一喜一憂する日々はまだまだ続きそうです。市井紗耶香先生の名前を全て太字にしてお届けしました。正月明けから何やってるんだ俺は。
最後に、時効だけど盗電してごめんなさい。反省してます。
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