『孫子』を読んでみよう_00b:『孫子』と孫子
先生「今日は『孫子』と、その著者の孫子について少し説明する。」
生徒「はい。」
1. 『孫子』と孫子
先生「まず、『孫子』という書物は、紀元前六世紀から紀元前五世紀、春秋時代の中国を生きた孫子の著作だ。子というのは先生という意味だ。孔子は孔先生、孫子は孫先生だ。孫子の名前は孫武という。斉の国から呉の国へ、今の山東省付近から江蘇省付近にあたる地域へと逃れて、呉の君主・闔閭に仕えた。闔閭の重臣・伍子胥が孫子の兵法書を闔閭に献上し、七度も登用を訴えたという。」
生徒「亡命みたいなことをしたのに取り立てられるなんて、よほど注目されていたってことですね。」
先生「そうだ。孫武はもともと斉の国の政治家一族だったようだからそれも影響しているだろうが、何よりその能力が買われたんだろうね。当時は周という統一王朝が壊れて、まさに群雄割拠の時代だ。実力主義といえるんじゃないかな。」
生徒「そんな時代に書かれているなら、リアリティが強いでしょうね。」
先生「まあそういうことになる。勝てない理論は採用されないし、採用すると負けるから評判にはならない。そしてずっと読まれ続けているというのは、勝てる理論であるか、勝った理由を『孫子』で説明できるからだということになるだろうね。」
生徒「たしかに。」
2. 底本の問題
先生「さて本文に入ろう。『孫子』にはいくつかの系統があるが、今回は『武経七書』という明代に作られたテキストを使う。」
生徒「『孫子』ならみんな同じじゃあないんですか。」
先生「違う。すべての古典には本文の異同というものがある。長い間に誤写されたり、あるいは意図的に書き換えられることがある。だから底本、基準とするテキストを決めるんだ。綿密な研究をして、オリジナルの本文を復元する分野もある。意味なく思えるかもしれないが、時代を変える要素を分析することだから、人文系の学問では最も根本的な分野の一つだ。」
生徒「学者って大変なんですね。バージョン違いまで把握しないといけないのか。何でバージョンが違うのか、どこで違ったのか、そういうのを追わないといけないのは、仕事でもよくありますけど。」
3. オリジナルか改変版か
先生「そうだ。そして、ここで問題になるのは、オリジナル至上主義ではないということだ。たとえば『孫子』は、オリジナルよりも、三国志で有名な曹操が注釈をつけたものが広く読まれた。当時は手書きで写すから、どうしても誤写は避けられない。そして誤写されたものがそのまま保存されてしまうとどうなる。」
生徒「それがオリジナルだと誤解される。」
先生「その通り。だから徐々に変わっていく。そしてそれが実際に学ばれ、使われる。時代を変えるのはオリジナルとは限らず、後世に少し書き換えられたものかもしれない。だからオリジナルはオリジナルで価値があり、他の版は他の版として価値がある。『孫子』は1972年に前漢代の、つまり曹操が手を入れる前のテキストが見つかっているから、オリジナル重視ならそれを使うほうがいい。が、今回『武経七書本』を使うのは、日本でそれをベースにした注釈書がよく書かれたからだ。特に江戸時代に。」
生徒「なんで平和な時代にそんなものが。」
先生「戦国時代の記録を整理する余裕が生まれたことや、印刷が普及したこと、また読み書きをできる人間が増えたなどの理由があるだろうね。だから軍事の理論化が進んだのかもしれない。次からは本文に入ろう。」
生徒「はい。」
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