庄内藩校「致道館」の教育をみんなが知れば、スポーツ界のパワハラは無くなると思うんです。
近年、スポーツ界のパワハラが度々話題になりました。
圧倒的立場の監督が、選手を押さえつける。
そんな「指導」が問題になっています。
少年野球の監督がエースを使いすぎて、小学生が肘を壊してしまう。
そんな、過剰な勝利至上主義も問題になっています。
そこまでは行かずとも、指導者が一方的に指示や檄や罵声や拳や灰皿を飛ばすような、そんなパワハラ紛いの指導は、未だに溢れているようです。
そこで、僕が紹介したい指導スタイルが、江戸時代にあります。
それは、庄内藩校「致道館」の教育です。
(庄内藩:現在の山形県鶴岡市の辺り
藩校:武士の子供の学校)
致道館の教育方針を一言で言うと
「めっちゃ自由」
です。
「酒やタバコは基本ダメだけど、どうしてもっていうときは校長に言ってくれればオッケーです。」
これくらい自由でした。
現代以上に縦社会だった江戸時代に、現代以上に自由な学校があったんです。
そんな超放任教育を行った庄内藩はどうなったか。
なんと、戊辰戦争で新政府軍を蹴散らしたのです。
めっちゃ自由な教育が、めっちゃ優秀な武士を作り上げていたんです。
さて、なぜスポーツ界には、パワハラ的指導がはびこっているのか。
めっちゃ自由な指導スタイルが良いのではないか。
今回はそれを考えていきます。
今の学校教育は明治時代のスタイル
今の学校制度は、明治維新の頃に作られました。
当時の日本は「富国強兵」を掲げていた時代です。
従順は兵士と従順な労働者がたくさん必要でした。
こういった人材を量産するために、「先生の言うことを生徒が聞く」という縦社会スタイルの学校が出来上がりました。
特に運動部は、このスタイルの色が濃いように僕は思います。
スポーツは「敵と戦って勝利を目指す」という点で戦争と共通しています。
そこから、「監督の言うことは絶対で、何よりも勝利を目指す」という部活動の姿が出来上がったんだと思います。
さて、この教育により、日本は強くなります。
上司の言う通りに戦い、清やロシアに勝ち、領土を広げていきました。
上司の言う通りに働き、産業を発展させました。
戦後には高度経済成長がありました。
言われた通りの型の車や家電を作りまくりました。
縦社会スタイルが、日本を豊かにしていったのです。
しかし、コンピューターの出現が、流れを変えていきます。
90年代にパソコンが会社や一般家庭に普及します。
このパソコンというものが、「従順な労働者」として超優秀でした。
絶対に指示通りに動きます。
計算がめっちゃ速いです。
24時間戦えます。
こんな化け物に、人間が敵うわけがありません。
従順な労働者が、どんどん要らなくなってきました。
「体育会系は使えない」
「指示待ち人間」
「自発的に動けない」
なんて話もちらほら聞くようになりましたが、パソコンの出現に原因があるように思います。
さらに、これからはAIの時代。
より自発的に考えて、自発的に動く人間が求められます。
もう従順な労働者なんてお呼びでない。
にも関わらずです。
未だにスポーツの現場では、縦社会スタイルがはびこっています。
「俺の言うことを聞け」
「我慢を覚えろ」
「やる気を出せ」
「教えてやってるんだから感謝しろ」
指導者自身が受けてきた教育を、そのまま採り入れてしまっているのです。
もう時代は変わりました。
「求められる労働者像」は変わりました。
スポーツ教育も変わらないといけません。
縦社会スタイルは、もはや需要の無い「従順な人間」を作り出すだけ。
子どもたちの明るい未来を奪うだけなのです。
致道館の教育はAI時代にマッチする
では、致道館の教育とはどういうものだったのでしょうか。
ざっくり説明します。
↓詳しい話はプロに任せます。
幕末最強・庄内藩士の強さを支えた「驚きの教育システム」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55463
まず致道館は、
「無理に勉強しなくてもいいよ」
と、勉学の強要をしません。
そして教員に対しては
「楽しい授業をしてあげなさい」
と言っています。
生徒に課題を与えるのではなく、
「生徒の興味を引き出す」
という教育が行われていました。
どんなに正しいことを教えても、生徒に興味が無ければ意味がありません。
致道館は、まず生徒の興味を引き出し、自ら学ぶモチベーションを引き上げたのです。
そして致道館は自習時間を多く取っていました。
教師が決めた通りに勉強しても、自分で考える力はつきません。
自習時間を多く取ることで、自発的な学びを促したのです。
これが致道館の「放任教育」です。
この致道館の方針は、荻生徂徠の「徂徠学」を元にしています。
荻生徂徠は、
良い先生というのは、臨機応変にその人が獲得できる能力を考えたうえで、一箇所に風穴を開けてやるもの。そうすれば、あとは本人が自分の力で能力を獲得していくだろう
と言っていて、これが僕の好きな言葉なんです。
指導者はああだこうだ言わず、重要な一言だけ伝える。
そして、それをヒントに生徒が学んでいくのを見守る。
最高の教育だと思います。
さて、致道館で学んだ生徒たちが立派な武士になったころ、戊辰戦争が起こります。
庄内藩を含む東北緒藩は同盟を結び、新政府軍と戦います。
薩摩や長州の圧倒的な軍事力の前に、東北緒藩は次々に降伏します。
しかし、庄内藩だけは新政府軍を打ちのめし続けたのです。
他の藩が降伏したので、庄内藩もやむを得ず降伏しましたが、庄内藩自体は完全に無敗でした。
なぜ、庄内藩はこんなに強かったのでしょう。
実は、豪商の本間家の資金援助のおかげで最新の武器を揃えられたという理由もあります。
しかし、最新の武器を揃えていたのは新政府軍も同じ。
それだけの理由で新政府軍には勝てません。
庄内藩士が自発的に考え、自発的に動いたからこそ、強大な新政府軍を蹴散らしたのではないでしょうか。
致道館の放任教育が、優秀な武士を輩出していた。
戊辰戦争がそれを証明したのだと思います。
さぁ、致道館スタイルでスポーツ教育を
現代のいわゆる「体育会系」にはびこる縦社会スタイルは、これからの時代に適さない、従順な人間を育ててしまいます。
致道館の放任スタイルは、これからの時代に適した、自発的な人間が育ちます。
もちろん、人によってどの指導が合うのかは変わります。
縦社会スタイルの中でこそ自発的に取り組める人もいるでしょう。
なので、縦社会スタイルが絶滅すべきとも思いません。
しかし、これからの時代に必要なのは放任スタイルです。
致道館ファンの僕は、そう強く思います。
ということで現在、都内の高校の卓球部にて、致道館の放任スタイルを絶賛実践中です。
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