「プロジェクト」の時代における学園空間とコレクティフ:「平砂アートムーヴメント(HAM)」に寄せて
初出:『archive : HAM2022』(HAM2022実行委員会、2023年6月)
はじめに
2022年の七夕、生まれてはじめてつくば市に行った。筑波大学の学生が主催するプロジェクト「平砂アートムーヴメント」のイベントに参加するためだ。「スタンプラリー:都市の背骨をたどる」と題されたそのイベントでは、筑波大学のキャンパスと学生寮を貫通するおよそ10キロのペデストリアンデッキをひたすら自転車で走り抜け、スタンプラリーのスポットに立ち止まって観察、思考することがイベントの趣旨だった。ペデストリアンデッキはつくば市の中心部を通っており、端から端まで渡っていく途中には、大学、飲食店、スーパーマーケット、公園など、生活するには十分な環境が整っている。大学と都市が一体となったペデストリアンデッキが学生生活においてひとつの生活圏となることは、つくば市/筑波大学が学園空間であることを象徴しているように思えた。
19時頃にスタンプラリーの終着点である学生寮に到着した後の帰り道、筑波大学生がよく利用するという飲食店でカレーうどんを食べながら、わたしはイベントだけではなく平砂アートムーヴメントのあり方、つくば市のいくつかの象徴と折り重なった筑波大学が持つ学園空間の特徴についてぼんやりと考えていた。
1. 学園空間のエコノミー
HAM2022の代表である阿部七海は、インタビューでこのように話した。HAM2022は「公共性」をプロジェクトのテーマとして掲げている。ここで、平砂アートムーヴメントが立ち上がったプロセスをたどってみたい。 まず「平砂」という名前について。わたしははじめつくば市にある地名だと考えていたが、平砂とは特定の地名であるだけではなく、筑波大学にある学生宿舎の名前であることを知った。筑波大学の平砂学生宿舎を利用して、2019年5月から6月にかけてHAM2019「ここにおいてみせる/みる」が行われたことをきっかけに、「平砂アートムーヴメント」という名前がそのまま採用されプロジェクトとしての活動が始まった。平砂学生宿舎の個室は、間取りが5角形の4畳半、学生のあいだでは「監獄」と呼ばれるぐらい人間が住むには相応しくない空間らしい。たとえばあるトークイベントでは、「平砂アートムーヴメント」を「廃墟・人・アート in つくば」という図式で説明している。*2 学生宿舎を利用した展示は、芸術系だけではなく、ダンス部に所属する学生など参加したい筑波大学の学生が集まり、絵画、ダンス、パフォーマンス、サウンドインスタレーションなどそれぞれが得意なしかたで作品を展示した。平砂アートムーヴメントはそのような始まりから、2022年現在は阿部を代表に、筑波大学を卒業したデザイナーやアーティストが中心メンバーとなって動いている。
いくつかのイベントに実際に参加したり、過去のイベントのアーカイヴを見たり話を聞いたりするなかで、わたしは「平砂アートムーヴメント」の運営がほとんど筑波大学の学生によって構成されているということそのものに関心を持った。このことは、実際に行われたイベントや起こった出来事、「公共性」をテーマに交わされた議論などに比べたら、特別気にすることでもない当たり前の事実かもしれない。しかし、公共性について問い直そうとするのであれば、それはひとつの言語的な主題にとどまるものではなく、活動する主体そのもののあり方にまで影響を及ぼさなければならないはずだ。なぜなら公共性とはそもそも社会や人間関係において所与のものとして担保されているわけではなく、その場に居合わせるものたちによって作り出されなければならないものだからだ。それゆえ、公共性がひとつの言語的なテーマにとどまることと、運営する主体のあり方自体が公共的であることのあいだには違いがある。平砂アートムーヴメントの集団的なあり方は、筑波大学やつくば市における学園空間としての公共的な関係性を、既存の枠組みとは異なるしかたで作り出しているように見えた。
ところで一般的に「学生がやっている」という文言はしばしば社会では否定的なニュアンスとして受け止められる。しかしわたしは何度かつくばに足を運んだり、活動メンバーと時間を過ごすにつれて、そこには今日の社会において希少になりつつある人と人が結ぶ関係性のかたちがあるように思った。
たとえばイベントや展示の開催に足りない役割──カメラマン、デザイナー、記録係など──が発生する。その場合、それらの役割は筑波大学の学生のなかから希望者を募り、仕事を依頼している。また、上に書いた「ここにおいて みせる/みる」の出展者も、大学のなかから募集している。さらには、筑波大学の在学生だけではなく卒業生がコミットしていることもある。
このような関係性は、当然だがその道のプロフェッショナルに仕事を依頼することとは異なる。何が異なるのかと言えば、それは関係性をささえている利害・関心が異なる。前者においては自分がその仕事をやってみたい、やりたいといった内発的な動機の方が強い。
わたしたちは今、学生とプロフェッショナルと言ったときの取引について当たり前のことを確認しているに過ぎない。しかしわたしは、学生とプロフェッショナルの経済関係が異なるというごく平凡な事実を確認したいわけではない。そうではなく、目的は両者の原理に潜んでいる関係性の質的な共通点を踏まえたうえで、人と人が関係を結ぶ際に現れる条件について再考することにある。
あえて形式的な分類を承知で言えば、学生時代は経済的な対価よりもどちらかと言えば自分の興味・関心に駆動される。ひとつの活動に参加したことで生まれる人と人の関係性や、ある行為が生む偶然性は創作的な契機として歓迎されることが多いのではないだろうか。他方大人になれば経済的対価を生まない活動は生活のなかから姿を消していき、対価に見合わないと判断される。また、パッケージ化された「プロジェクト」や「活動」からこぼれ落ちるものは、いたらなさ、欠陥、不備などとして否定的なものと認識される。
しかし、学生でも大人でも、集団形成を根本的にささえているのは偶然性によるところが大きい。小学校から高校までのクラス編成、どこの大学に行くのかといった判断は改めて言うまでもなく偶然性に左右される。そこに大きな理念や共感があって集まったわけではそもそもない。会社であれば、ある程度の共通した理念や目標を持った者たちによって組織されているかもしれない。しかし、どこの会社に入るのか、そもそもこの会社に行きたいのか、望み通りの会社に入れたけれど予想していた状況とは違ったがなんとなく居座っているという状況は、偶然性の積み重ねである。
人が集まることは偶然性によって組織される。集団における根源的な偶然性は今日の社会においては見えないもの、排除の対象とされることが多い。しかし平砂アートムーヴメントには、人が集まることの脆さと創造性が常に隣り合わせであることを歓迎する空気がある。ひとつの目標に最適化したり、それを対外的にアピールすることが求められる現代において、集団的な輪郭のぶれを許容・維持したまま活動することができる集団は貴重だと思う。学園空間においてこそ可能になっている個人の関心にささえられた活動は、明らかにひとつの公共圏を形成している。
プロジェクトのテーマには、言語的なテーマに収まるものと、それを動かす主体のあり方自体にまで関わるものの両方がある。「公共性」について問うことは、外部に向かって問いを投げかけると同時に、自分たちのあり方にも跳ね返ってくる。
ここまで述べてきた、数回つくばに通っただけの筆者にとっての平砂アートムーヴメントの総体──イベント、パフォーマンス、日常的交流──が示している形象は、10月に開かれたパフォーマンスイベントのタイトルにある「わたしより大きなりんかく」というキーワードを掘り下げることでより鮮明に浮かび上がってくるだろう。
2. 「わたしより大きなりんかく」
平砂アートムーヴメントの集大成とも言えるパフォーマンスイベント「HAM2022『パフォーマンス : わたしより大きなりんかくがみえる』」は、5人の作家によって3日間に渡って開催された。5人のうちには、つくばに馴染みのある作家もいれば今回つくばに来るのが初めての作家もいる。会場はつくばセンター広場を中心として、ペデストリアンデッキ、展望台がある松見公園、つくばセンタービル1階のイベントスペースなど。
5人の作家は、それぞれの空間における共通の身体化されたコードを問い直すような作品を発表していた。たとえば、光岡はつくばセンター広場に文字を浮かべる作品を制作している。浮かべると言ってもそれらの文字は常に見えるわけではない。来場者にアプリをダウンロードしてもらい、スマホなどのレンズを通すことで初めて見えてくる。それらの文字は「日かげで手のしわを数えてもいい」、「好きなだけ風をまってもいい」、「ここで昔のことを思いおこしてもいい」など、普段人が頻繁にするわけではないが、禁止されているわけでもない行為を肯定するべく複数のメッセージが配置されている。
石﨑は、スポンジのような立体物を近距離で投げ続けながら、それに合わせてペデストリアンデッキを一直線に進んでいく。スポンジが落ちた傍で道に倒れ込み、自らの身体をスポンジの形に合わせて寝そべる。横を通り過ぎる通行人の振る舞いとは明らかに異なるが、パフォーマンスの瞬間に限りペデストリアンデッキにおいて許される人間の振る舞いが複数化された。
他にも、厳格な都市計画に基づいて作られたつくば市における「都市計画と現在のつくば市、規定されたものと不確定な要素の間で生まれる”ずれ”に着目」する速水や、「明文化されていないのに、人々が内面化しているルール」*4 に関心を持っているトモトシの言葉から象徴されるように、特定の空間における共通のコードを問い直すことや、プランと実装された空間のあいだに生じるズレに関心を向けることは、このイベント並びにプロジェクトにおける通奏低音として響いている。
ここでパフォーマンスイベントのタイトルに立ち返ろう。「わたしより大きなりんかく」は、人と人が集まって共同作業をするときに必ずと言っていいほど生じる。一人の行為はその行為する主体だけの範囲には収まらず、集団全体に影響作用を及ぼす。ひとつの判断、作品、出来事はすべて特定の個人に帰属するものではなく、連鎖的に混ざり合っていくことで、不確かながらも集団の輪郭を形成していく。集団における行為の連鎖には「自分の手に及ばない範囲のことが起こる」という緊張感のあるニュアンスもあれば、「一人では思い付かなかったことが実現する」という明るい意味合いもある。いずれにしろ共通しているのは、既存の集団的枠組み、ある空間において自明視された共通のコードなどを更新する可能性と破壊する可能性を同時に秘めているということ。共同創作は肯定的な創造性だけではなく、必ずその脆さと切り離せないものとしてある。集まることの脆さと創造性は、常に隣り合わせになっている。
3.「プロジェクト」の時代におけるコレクティフの可能性
平砂アートムーヴメントの活動に参加したり観察を重ねるうちに、いくつか気になり始めたキーワードがある。そのひとつは「プロジェクト」という言葉、もうひとつはフランスの哲学者ジャン・ウリ(Jean Oury 1924 - 2014)のコンセプト「コレクティフ(collectif)」である。
ここまで、平砂アートムーヴメントのテーマや活動形態について確認してきたが、ここからは関連する概念を導きとしながらもう少し普遍化してみたい。
「プロジェクト」と「コレクティフ」。これらはどちらも人が集団で協働作業をするときに使われるという点において共通している。しかし、二つの言葉が示す集団のあり方は、大きく異なる。今日人が複数集まって活動をしようとするとき、ほぼ自動的に「プロジェクト」という言葉は使われる。しかし、集団であることとプロジェクトであることは必ずしも等価なものではない。プロジェクトではない集団もある。ここでは、「プロジェクト」という言葉と内実それ自体についての現代的な文脈を確認しておく。
「プロジェクト」は現代芸術のみならず、集団でひとつの目的を達成しようとするときに使われる言葉だ。そこには、企画・リサーチ、イベント、ドキュメンテーション、アーカイヴ、という一連のフローが当然のようにある。芸術祭やアートプロジェクトは言うまでもなく、何かを集団で創作しようとすれば現代においてこのような流れは必須のものになりつつある。しかし芸術制作における脱物質化やリレーショナル・アート、プロセス・アートがこれほど飽和状態にあるなかで、このサイクル自体がひとつの閉塞感を抱えていることも確かである。美学者の岡本源太は、美術作家の池田剛介との対談において「今日なにかしらプロジェクトを立ち上げると、それをある種のスペクタクルとして上演せねばならなくなり、それはただ筋書きをなぞっているだけで、そのプロセスの中で新しいものが生成するのだという実感は稀薄ではないでしょうか」*5 と問題提起をしている。プロジェクトとはその語源が示すように、「前へ(pro)投げる(jacio)」こと、未来に向かってアイデアを投げかけること(lancer une idée)だった。たしかに、輪郭の伴ったプロダクトこそが芸術作品であるという認識が自明だった時代において、物質ではなく関係性、非物質性、解放性を強調すること、コンセプトや理念を投げかけることにはオルタナティブな意義があったかもしれない。しかし現代ではどうだろうか。未来に向かってアイデアを投げかけること、言い換えれば未だ実現していないことの価値を打ち出す際に求められるのは、行政との度重なる交渉、書類作成、実現可能性を担保するものとしての申請者の実績、向こう数年の綿密な計画書などではないだろうか。哲学者ボリス・グロイス(Boris Groys 1947 -)は、このような条件下において制作される芸術は、制作環境そのものが人工的であることを主題化せざるを得なくなるが、芸術がそのことを直接呈示することは不可能だと言う。
グロイスの言葉がもはやアイロニーとして機能しないほどに、現代芸術を取り巻く環境は作品の美的な直接的呈示ではなく、さまざまな資料を媒体とした間接的な暗示に取り囲まれている。このような環境において、人は、個人やプロジェクトを書類化された文書、実績、計画の綿密さなどによってしか判断しなくなる。20世紀にオルタナティブとして機能していたプロジェクト・アート、プロセス・アート、参加型アートは、現代において一元化された判断基準のシステムと共存することを余儀なくされている。
それでは、このような状況において人間にできることは何もないのだろうか。そんなことはない。岡本と池田の対談においてあり得る可能性のひとつとして挙げられているのが、「プロジェクトを立てて工程通りに実現していくのではなく、場当たり的に作ってみてその次を発想していく」*7 という制作、集団のあり方である。それは、制作をひとつの実験とみなし、実験の成果によって次の方向性を定めるスタイルにほかならない。このような制作プロセスは、全てを事前に計画し上演することを要請される類の「プロジェクト」とは相容れないものだろう。
プロジェクト型時代の芸術は上演を求められる。このような集団のあり方を相対化する目的のもと、最後に現代芸術における以上の話と、ウリのコンセプトである「コレクティフ」を接続することで、予め筋道立てられた工程をなぞるような形ではない集団のあり方について一定の輪郭を示したい。
コレクティフについて、簡単に哲学的な背景を確認しておこう。ウリの前にコレクティフという言葉を使っていたのはサルトル(Jean-Paul Sartre 1905 -1980)だった。サルトルはコレクティフを「グループ(group)」と区別して使っていた。サルトルは、集団をいかに組織していくのか、どのように運動していくべきかということを考えた。サルトルにとってコレクティフは否定的な意味を持っている。サルトルはコレクティフをバス停で待っている人々の集まりに例えながら、このような状態では人々が集団として機能することはあり得ない、ひとつの運動が組織されることはあり得ないと主張した。しかし、ウリは全く正反対の立場を取る。統制された集団ではなく、バス停でたまたま出来てくる列に人が集まるかたちの可能性を見出し、自身が開設したラ・ボルド病院にて、精神療法の実践として取り組んでいる。少々長いが、「コレクティフ」について、訳者のひとりである多賀茂の言葉を引用しよう。
コレクティフのあり方をささえるのは、食事のメニューをみんなで決めるという「ほんのちょっとしたこと」だった。ウリは、ひとりのリーダーや概念によってまとめ上げられる集団ではなく、一緒に食事のメニューを決めることの方にこそ集団形成におけるひとつの可能性を見出した。
また、ウリは「何らかの集団において、その構成員である個々人が、自分の独自性を保ちながらしかも全体に関わっていて、全体の動きに無理に従わされているということがないという状態」を、一時期ラ・ボルド病院で同僚でもあったフランスの教育者フェルナン・ドゥリニ(Fernand Deligny 1913 - 1996)のエピソードを引きながら「コレクティフに固有の次元」として捉え、次のように述べている。
簡単に補足しておけば「客観的偶然」とはシュルレアリスムの用語で、創作活動において「偶然の一致のような出会い」を基本的な要素とすることである。
さて、ここでは「コレクティフ固有の次元」に注目したい。コレクティフ固有の次元とは、集団に参与する個人がそれぞれ自分の判断をし、自分が望む方向へ向かうことができる環境のことであると言い換えられる。つまり、それは集団の統制的理念に個人が従うことで全体が形成されるということではなく、個人の判断や雑多きわまりないオブジェたちが結晶化することによって、生成的に全体が浮かび上がってくるタイプの集団のあり方のことを示している。
ウリは精神医療のフィールドにおいて「コレクティフ」を実践している。しかし芸術にしても哲学にしても、いかなる領域であれ集団形成のあり方自体が問われるとき「コレクティフ」は分野をこえて重要な議論のトポスとなる。
閉塞感のあるプロジェクト型芸術の時代において、岡本と池田は偶然の一致を待ち望むこと、場当たり的に創作することに可能性を見出していた。コレクティフとは、個々人がそれぞれに自分の独自性を保ちつつ、かつ全体にも関わりながら個と全体という従属関係に陥らないような集団のあり方だった。そして、それは工程通りに遂行することが要請されるプロジェクト的な集まりを相対化する可能性を示している。ここまでの議論を踏まえたうえで、「参加してみたいと思ってくれて、実際に参加できる人であれば誰でもよく、プロフェッショナルではなくても一緒に活動できることが、公共性を捉え直すプロジェクトの主体として有効であると考えていたのかもしれない」という阿部の言葉に再び立ち戻ってみれば、そこにはコレクティフ的な公共圏を形成しうるスタイルがあると言えるだろう。
ウリの議論において見過ごされてはならないのは、そこにバス停があるという事実である。バス停がなければそもそも列はできない。緩やかな人の集まりは、ひとつのバス停によって形成される。平砂アートムーヴメントに関わる人々には、バス停に並ぶような身軽さで活動に参加しようとする態度がある。
個人の関心に基づいた関係性や、食事のメニューを一緒に決めるといった日常世界の「ほんのちょっとしたこと」は、上演することを求められるようなプロジェクトからはこぼれ落ちてしまうような、小さなことに過ぎないかもしれない。しかし、むしろスペクタクル化することができない些細な要素にこそ、「わたしより大きなりんかく」が生み出す多層的な関係性をささえる可能性が潜んでいる。
ところで、わたしはつくば市にほとんど行ったことがない。始まりから「平砂アートムーヴメント」に並走していたわけでもないし、スタンプラリーのイベントを皮切りに、数回つくば市に通っただけである。ここに書かれた文章は、そんな、たまたま生じた緩やかな縁によって生み出されている。(文 : 長谷川祐輔 哲学者/一般社団法人哲学のテーブル 代表理事)
*1 筆者による阿部へのインタビュー(2022年9月)より。
*2HAM2020で行われたイベント「トークセッション♯1《落とし穴の輪郭》」のイベントレポートは以下より閲覧できる。https://note.com/hirasuna_am/n/n2c0577487e8d
*3 筆者による阿部へのインタビュー(2022年9月)より。
*4 広報誌「ハム報」03号は以下より閲覧できる。
*5「芸術のプロトタイプとプロジェクトの社会 池田剛介×岡本源太」(『Jodo Journal 3 距離と創造性』、浄土複合、88頁)。
*6 ボリス・グロイス『アート・パワー』石田圭子他訳、現代企画室、2017年、96頁。
*7 「芸術のプロトタイプとプロジェクトの社会 池田剛介×岡本源太」(『Jodo Journal 3 距離と創造性』、浄土複合、89頁)。
*8 ジャン・ウリ『コレクティフ』多賀茂他訳、月曜社、2017年、8頁。
*9 ウリ、同書、20頁。
「HAM 2022 『わたしより大きなりんかくがみえる』」インタビュー記事
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