映画をとる
僕はある方とコメント交換しているけど、その人には夫がいる。
夫の方に申し訳ないんだけど、いつもコメント交換していて、恋してますよという感じになる。
僕はその時、申し訳なさでいつも好きな人がいるんですと言ってしまう。
今の状況は倫理的に許されるのだろうか?
僕の心の音は、ある方がまだ好きではない。
ある方には、子供と夫がいる、その家族が幸せである様にいつも祈っている。
後、僕も幸せになりたい。
でもそれは、ある方とのコメント交換の延長線上にはない気がする。
ある方が家族と幸せに生きていかれる事を望んでいます。
でも、ある方が僕の側を離れていく時は悲しい。
彼女が映画人である事を知ってしまったからだ。
僕がコメント交換していてこの人は映画がとれるなと思う人は少ない。
いつも、1ヶ月くらいで皆んな去っていく。
如何してだろう?と思っていたけど僕に100%原因がある事が分かった。
他人の心に土足で踏み込んだ事に気付かず、それを何度も繰り返すので皆んな諦めてしまう。
ある方とのコメント交換も同じ道を辿るのだと思っていた。
しかし、ある方はとても粘り強く、コメント交換は継続している。
僕は先程、詩・味方を呟いた。
コメントをする時は、愛がある様にしたい。
味方の人であるなら、投げやりにならず、十分な優しさを持って接したい。
しかし、敵か味方かを判断するのは難しい。
味方だと思われる方の言動ほど当てにならないものは無いからだ。
そんな内容だったと思う。
他人を信じるのは難しい。
弱い人である程、自分を守ろうとして、他人を許す事が出来ない。
僕は、ある方を最後まで受け止める事ができるだろうか?
対話する事で、素晴らしい世界を作りたいと思っている。
コーチングの先に見える姿に辿り着きたい。
争い事や言い争い、暴力や言葉の暴力にならない様に常に最悪の状況を頭の隅に置いておきたい。
最後までお読み頂きありがとうございました☆