50才デビュー
僕が初めて映画を観た記憶にあるものが、アパッチ砦である。
青年将校のしんらつな死を覚えている。
ブラウン管で見た姿が忘れられない。
僕の人生で何が起こる訳でもなく、坦々と50年間が過ぎて来たけど、時代を象徴する映画作品は繰り返し放送されて来た。
それは僕が観ようとしなくても、ニュースから僕の耳に入って来た。
いつの間にか、僕も映画と言うものに憧れる様になっていたけど、よく考えてみれば映画がどっちを向いていようと関係のない話である。
だから、20代に集中して映画鑑賞したのは何故かと考える。
僕の想いの中でいつか、映画をとりたい気持ちがあった。
それは、映像を撮影するのじゃなくて、人間の想いを物語として切り取ってみたいと思うのだった。
だから、媒体はなんでも良かった。
映像じゃなくても良いのだ。
写真・小説・漫画・詩・エッセイ、とにかく人間の言動が記憶に残るものとして、型ちとして残せるのならば何でも良かった。
僕がパッと頭に浮かぶ映画が、ティムロビンスのショーシャンクの空だろう。
刑務所と言う閉塞感から、自由を求めて戦う姿に、自分自身を良く重ねた。
最後に魅せる、メキシコの海岸線が自分自身の人生を肯定しているものに感じ取れた。
僕の人生で、自由は大きなテーマであった。
映画の様な閉塞感はいつも感じていたし、それが取り払われたのが大学生の頃だったと思う。
その当時流行っていたのが、エバンゲリオンやもののけ姫にスワロウテイルだろう。
庵野秀明や宮崎駿、岩井俊二は青春の思い出である。
もしかしたら、映画の見過ぎで人生が狂っていったかもしれない。
まともに世の中で働けなくなった可能性もある。
僕の中での映画作品は、30代でレンタルビデオからDVDに移り、自宅で気軽に視聴できるものに変わっていく。
世の中で注目される作品はとりあえず観た記憶がある。
その当時、記憶に残っているのが、デビッドフィンチャー監督のドラゴンタトゥーの女だろう。
主人公の女性は、精神を病んでいる病気である。
僕も、実生活で精神科に入退院を繰り返し、主人公の女性の生き方に共感できた。
ルーニーマーラがとてもカッコよかったのだ。
人間を残虐に殺害する、悪と対決するのも良かった。
僕自身が、悪魔の様なものと戦いながら、社会人生活を送っていたからだ。
よく考えれば、時代を象徴する映画はその当時僕がどう生きていたかを表現していると思う。
40代になって、DVDの映画作品から、あいみょんの音楽ミュージックビデオに変わっていった。
僕はそのことをあいみょん映画と呼んでいる。
新しい映画が始まれば、終わる映画もある。
それが、竹内結子や三浦春馬の死だろう。
僕の中でエリアプラスが起こって、Mさん世界が始まった。
Mさん世界は僕の小説である、映画鑑賞はnoteで小説を書く方向に変わって来ている。
その時に、僕の頭の中で流れている映画が、例を挙げるなら、あいみょんのマリーゴールドである。
スペシャやエムオンで深夜、音楽を聴きながら、映画をとるそんな生活を繰り返している。
そんな僕も50才を迎える。
50代は僕の頭の中にどんな映画が流れるのだろう。
ミュージックビデオが何に変わるのだろうか?とても楽しみにしている。
僕が気にしているのが、SNSである。
今まで、俳優や音楽アーティストが作品を演じて来たのが、僕自身が何かを演じるのではないかと思っている。
高校デビューじゃないけど、50才デビューである。
映画鑑賞が自分鑑賞になるかもしれない。
映画が自分自身を描くのである。