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50代を迎えるに当たり考える事

昨晩、何十年振りかにアナザースカイを見た。最近TVを見出してTVガイドを購入したのだけど、昔見ていた番組を追いかけて見ることになりそうだ。久しぶりのゲストは誰だろうと思っていたが齋藤飛鳥さんだった。斉藤さんは乃木坂のメンバーで昨年に引退されて、現在26歳である。13歳の時に乃木坂に加入されて、13年間チームの為に頑張ってこられた。タレント生活の引退も考えたが、母親の応援もあり、次に何が出来るか気にされているとの事、5年前にもアナザースカイに出られたこともあり、今の自分の想いを包み隠さずに話されているのが印象的であった。僕もその番組を観て影響されたのか、これからの生活を考えてみたのである。


今年の夏に亡くなられた田村さんがいる、年金暮らしをされていて、贅沢をせず豊かさを感じさせない節度ある生活をされていた。僕は交流がなかったのだが、母が自宅でとれた野菜を届けるなど、田村さんも母が体調を崩した時は自宅まで来られる事があった様だ。母は田村さんは北海道から嫁いで来られて、苦労なさったのよ。金銭的に苦労されて施設にも入れなかったと思うし、病気になられても満足する治療が受けられなかったのじゃないかしらと話した。僕も中野の人を見ていて、十分に満足して生きた人を知らない。高井さんは病気で施設に入られて、片山さんは自殺された、津脇さんは火事で亡くなった。貧しい地域なのだと思う。年金や生活保護で生活している人も多い。僕の家の周りは空き家になっているケースが多い。僕の家も両親が亡くなり、僕も居なくなれば、同じ道を辿るだろう。しかし、僕はこの場所が居場所だと思っている。社会から忘れられていく様な場所ではあるが、僕の故郷である。下中野の人として最後までこの地にいたい。


デイケアに通院しているので、相対的な比較対象として、精神科の患者さんということになる。妹が以前話していたのだけれど、病院ではあんたは出来る方じゃないのというのだ。僕は社会では通用しないかも知れないけど、デイケアでは自分の意見が通るのではないかという話だと理解した。僕も学生時代、周囲との能力の違いに卑屈になる時もあったし、自分は最終的にはたいしたことにならないなと感じたのだ。何処と比較するかの中で、自惚れない事は大事だと思っている。僕は昔から勘違いし易いのだ。


僕の暮らし振りを見れば、何か注目を集める様な生活をしていないし、今後もそれが変わる事はない様に思われる。僕はTVを見出すと、タレントさんを自分の事の様に感じる事があるのだけれど、それははっきりと違う。僕は何者かになれる様な仕事にする能力はない。タレントさんはある分野で話題になるくらい注目される人物で、僕よりも遥かに信用がある。と言う事で僕もnoterとして物語を書く時に注目を集める人を描きたい。しかし、タレントさんを描こうとと言うものではない。僕はとても地味な生活をしているので、なんか憧れるなという生活をしている人を紹介してみたいのだ。


これから書く事は違和感を持たれる方もいると思うので、抵抗感がある人はここで読むのをやめて貰いたい。僕は毎月、月初めにHな生配信を見る事が多い。何故そんなことになるかと言うと、僕が男性であり女性に興味が有るからに他ならない。鑑賞して思う事は、セクシーな映像を見ると、気持ちが落ち着くし穏やかな気分になるのだ。随分と楽な感じになれるのだ。だから癖になっているのかも知れない。その事を自分なりに分析すると、個人のパーソナルな部分を他人にオープンにする事は、余り人に見せるものじゃない根源的欲求であるから、他人との関係性において、飾らないありのままの姿になれて、本来の姿に戻れるので、心持ちが楽になれる感じがするのだ。


今日は50代を迎えるに当たり思う事を話してみた。以下に箇条書きにする。

①豊かさを感じさせない、節度ある暮らしをする。
②相対的な比較対象に自惚れない。
③注目を集める人を、物語として描く。
④物語の中に根源的な欲求を描いて、本来の姿に戻りたい。

以上の4点だが、簡単に言うと、故郷の人として生きたい、他人との人間関係に信用を作りたい、noteにどんな物語が書きたいかと言う事を話してきた。

a.暮らし
b.他人との人間関係
c.note

に励みたいと思っている様だ。50代も頑張っていきたい、それではまた。

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