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転機は突然訪れる①

コロナからの完全復帰を目指しての自宅療養生活も残り2日。
まだ喉の違和感があるのと、たまに出る咳や痰が少し苦しい。
咳は嫌だよね~。完全に治したいものです。


今日は、見出しに書いた「転機」について書こうと思う。

転機その1:親の介護

我が家は夫と2人暮らしで、私には子供はいません。夫には2人子供がいるけれど、2人の子供はもう大人でそれぞれの居場所で元気に暮らし、たまに会うことができている。私も一緒に会って、交流があるのはとても嬉しい。

お互いの両親も健在で、義父90歳、義母85歳、父86歳、母80歳。父より6歳下で4人の中では最年少の母もついに80歳になった。
どちらの親も、夫婦2人でお互いに支え合い自立して暮らしている。
私達は、正月・GW・お盆の休みに両方の実家巡りをするのが恒例行事で、一度も欠かしたことがない。

義父母の自立生活に、そろそろ翳りが見え始めてきたのは、6月に入って義父の入院がきっかけ。今までも度々入院することはあっても、数日間程度なのでそれほどの支障は感じていなかったのだが、今回の入院は、1,2ヶ月掛かると言われ、さすがに義母一人の生活が心配な状況に陥ってしまった。
義父母の生活は、食事の仕度と買い物で食材を選ぶこと以外の、ゴミ出し、風呂掃除など日常生活の動く部分を義父が担っていたので、「義父が動ける」から成り立っているということが、今回よくわかったのだ。

義父は現在、心臓の働きが弱っていて歩くこともままならない状態なので、家に戻って自分の足で歩けるように…と、リハビリ入院ということになっている。
夫が義父の入院後、間もなく病院へ見舞いに行った時に、病院のケアワーカーの方から、退院後の生活について「介護支援」等を受けてはどうかと提案があり、資料をもらってきた。

病院側では、面会は1日2組まで15分という制限が続いており、面会もままならず、義母が7月10日に面会予約を取ったのに合わせて夫が実家へ行き、ケアマネさんと相談する予定だったが、私のコロナ発症により行けなくなってしまった。😢 同時に、義母の生活支援の相談も地域包括支援センターの方に相談しようと予約していたのに…。ほんと、ごめんなさい。
間が悪いです💦

今後、義父母の生活について、介護や要支援のサポートを受けることを進めていくことは必定となっています。夫の兄がいるのですが、あまり積極的に関わる人ではなく、今無職で心根の優しい夫が中心となって親戚とも連絡を取り合っているので、私は横からちょこっと口出ししながら様子を見守っています。


転機その2:引っ越し

昨年3月で長く勤めていた会社を退職し、「適応障害」と診察されたのでしばし療養しながら職探しをしていた夫。失業手当や退職金が底を尽きる頃、ようやく新たな仕事が決まり就職したのも束の間、あまりにも覚えることがハードな上に、すぐに独り立ちして営業させられる状況にわずか1週間でうつ状態に戻りそうになり卒業…。
その後また職探しをしていて、見かねた友人の口添えで就職したものの、そこもうまくいかなかったようで、3ヶ月経つ頃、「明日辞めるって言ってくる」と告げられた。きっと友人から紹介されたため、3ヶ月間は必死で耐えてきたんだろうなぁ。徐々に表情も曇り、食欲も減り、行動意欲も萎んでいったので、辞めることは止められない。5月末で退職しました。

私はその間、自分の生活スタイルは変えることなく、1日5時間のパート勤務で気持ちも生活も現状維持を心掛けた。夫の収入が減ったから自分の働く時間を増やして…などと頑張ると、きっと「心身共にもたない」ことがわかっていたから。それほど頑丈にできていない。

仕事を辞めた夫は、「北見はもういいかな」と一言。
それが、私達の「転機」となった。
その一言で、私はすぐに思考がめまぐるしく動き出す。北見を離れるということは、私も今の仕事を辞めるということ、この家を引っ越すということ、行先は…。

行先の有力な候補はある。札幌の私の実家に同居だ。
お金も少なくなり、今後の生活費も厳しくなるであろう状況で贅沢な生活はできない、それに仕事は札幌の方がある…ということを理由に、それとなく持ちかける。
「少し考える」という夫。「うん、いいよ」。言葉だけ待つけど、気持ちや思考は同居生活のシミュレーションをしたりして。

「ほぼほぼ決めてるよ(札幌で)。でも、もうちょっと待って」と、なかなか確定の返事はもらえない中、6月中旬には定期検診で札幌の大学病院へ行く予定に絡めて札幌の友人達と会い、「札幌に戻るかも~」と話しまくる。
私の中では、それ以外何も思い浮かばないから。

職場にも、パートとはいえまかされた仕事もあるので引き継ぎのことも考えて、7月に入ってすぐに退職を伝えました。
今の仕事、結構気に入っていて、パートでもまかされて自分の裁量で仕事ができる部分があり、他部署の方ともその仕事では対等にお話もでき、やりがいも感じていました。このまま65歳まで続けよう…なんて思っていたので、職場との縁を切るのも結構抵抗があった。

一番抵抗がないのは、「北見」という場所。
ここに関しては、2人暮らしの快適な家を手放し、不動産との交渉や引っ越し作業が大変だな~面倒だな~と思う程度。決めたらやるだけです!

長くなったので、つづく…(;^ω^)





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