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個人的な引用実験の試み


パンツを履き忘れて寝た。いや正確にはパンツを履かないで寝た。
なんだか寝心地が悪くて、それでまだ暗い時分に目が覚めた。

4月も中旬にさしかかかり、道東にも春の気配。緑の芽吹きが見られるようになった。そして、何より日の出の時刻がどんどんと早くなっている。去年の夏至時期は午前3時にカーテン越しの陽が眩しくて目覚めた記憶がある。

でも、今朝はまだ暗い。
おまけに雨も降っている。
大粒の雨だ。
風もどうやら強そうだ。
そういう春の日曜日の未明。

普段の生活から断絶された時間。
それは旅の時間でもあるのかもしれない。
本当にわずかばかりの、米粒ほどの時間だけれども。

まだ誰も目覚めていない時間だからこそ、僕は彼らに邪魔も、関わりも感じずに、僕だけの思索に耽ることができる。

学生時代の、青春時代の、戸惑いと、彷徨いと、全てに噛み付かんばかりの好奇心をもって、ひたすらに世界と時空を漂っていた「あの頃」のように

社会人になり、日々をルーティンのごとくに暮らし、目の前のやるべきことに集中するようになったとき、何かを深く考えて、潜り込むことができなくなった。

最近、あまりにも恒常的に感じていた、やるせなさ、みじめさ、はそんな自分への葛藤の素直な表出だったのかもしれない。

とまあ、社会人なりの「思索」する時間の作り方を模索しているわけで。

「旅と暮らし、関わりと断絶」
ヨシザワ先輩


さかのぼること2週間ほど前
敬愛するヨシザワ先輩からメッセージが来た。

彼はパートナーと一緒に南伊豆で自給自足の暮らしをしている。囲炉裏で煮炊きし、雨水で風呂を沸かす。ヤギと猫と畑。伝統工法で茶室をつくり、手作りの柿渋で家を塗る。
思慮深く、知識豊富で、芯がある。
彼を意識するだけで身が引き締まる。

何やら2年前に北海道を旅している時に、屈斜路湖畔が気に入ったということで、また再訪の予定あり。とのこと。

合わせて140ページほどのアイヌモシリでの旅の紀行文を送ってくれた。

私はやはり、スタンプラリーのように観光地を巡っていても面白くなかった。原付で風を切りながら変わりゆく風景を愉しむのも悪くなかったが、それだって人が切り開いて作った道から眺められるだけの景色でしかない。私の旅には、人との偶然の出逢いや自然のとの密な関わり合いがどうしても必要であることに気づいた。
「アイヌモシリの旅」本文より


彼はそう感じたその晩、ある場所でキャンプをする。
そこは昼間でも野生の気配が漂っていて、音出さずに歩くのが怖いほどの手付かずの森の中だ。

いよいよ暗くなり始めたので、私はテントを張った。獣の気配は益々高まっていたが、もはや人間がやってくる気配は全くなかった。入り口を少し開けたまま、寝袋に潜り込んだ。


ざわめく獣の足音を間近に感じながら彼は一夜を過ごしたらしい。

ひとつの旅の中のたった一夜に過ぎないのだけど、おそらくこれが彼にとっての、この旅での巡礼地だったのではないか、と思った。

一方で、やはり旅そのものが暮らしであって、暮らしもまた旅である。アイヌモシリでの旅は、私にとって生活の延長にしか過ぎなかったし、南伊豆での暮らしはまた、日々新しい発見のある旅のようなものだ。
旅がそもそも脈絡のない無秩序な営みであることを思えば、私の人生そのものだって一つのわかりやすい形に収束していく必要もないのかもしれない。

あとがきより

旅と暮らし。その接点はどこにあるのか。

今の僕にとって、旅と暮らしの接点はまだ明確ではない。

時折、意のままにならない旅路の中や、宙ぶらりんな時間の中で、人や時間との関わりから断絶されたいと望む。

一方日々の暮らしでは、ある生活のルーティンの中で、社会的な繋がりの中で(買い物をしたり、誰かの家に遊びにいったり)、考えずともしたことが積み重なっていく。
仕事を含め、その社会的な繋がりから断絶することは難しい。

つながりと断絶。水と油のように反発しているこの二つの要素をどう織り交ぜるのか。それは社会人としての旅のあり方を問うことでもあるようだ。

「巡礼地」
ーサタケー


サタケから連絡が来た。クラシックが好きな男だ。
サタケからはいつだって急に連絡がくる。
そして、エッセイ(詩作、もしくは思索のメモ)を送ってくる。
今回のはけっこう長かった。そして素晴らく熟成されていた。

震災から10年。原発と被災地に行ってきた、と冒頭に綴られていた。

ジャーナリズムとは何か、報道とは何か、事実と客観とは何か、また受け手としての主観は何か。処理水の放流決定への非難が叫ばれる昨今、現場で奮闘する方々の話を直に伺った今、肯定どころか非難さえできない。何も言うことができない。ただ向き合うべき現実と、伴ってとるべき行動を考え、実行するのみだと、巨大な課題へは感情を抜きに立ち向かわねばならない。その結果と過程を物語とするのは、他者による脚色に過ぎず、『ほっとけない』と気概を込めて対応にあたる最前線の方々への思いがより一層熱くなった。

なもなきエッセイより
巨大な課題へは感情を抜きに立ち向かわなねばならない。


僕にとって巨大な課題とは、総じて環境問題であり、原発をはじめとするエネルギー問題、食の安全性だったりする。
それは社会的なイシューではなく、それは自分の暮らしを内省するためのたった一つの指標である。つまりは、これからも健康に生きていくために、解決しなければいけない問題群。
そして、自分の進むべき道を信じるための大きな物語である。

自分の暮らしにたいして、感情的にはならない。暮らしは社会へのスタンスだ。ぼくがいま考えているいる思索や主張を、日々の生活の中に落とし込む。
そしてそれを実現させるために行動する。暮らす。それがもっとも「かっこいい」(前出のヨシザワ先輩がもっとも魅力的なのははその点だ)

自分の暮らしの質やスタイルに、他者や社会が作り上げたスタンダードとされるようなモデルを投影する必要はない。
その全てを否定するわけではない。ただ関わってはいるが、埋没はしていない。主体的に取り込み、主体的に切り放す。そういう営みとしての暮らしをしていきたいと思った。

ーーーーー

一方で、フクシマでの言葉の発酵を促す基材として旅についての考察があった。

旅行とはtourism、その意味は巡礼に由来する。

旅の本来の目的は、沢山の美しいものを見続けて自分の欲求を満たし続けることではなく、目的とする一つの場所(巡礼地)に辿り着くまでに、時間をかけ、あらゆる関わりから離れ、自らと向き合い続けることである。

旅の本質は日常を離れることにある。自分と向き合うためにある。

東浩紀「弱いつながり」より
また、常に湧き上がっていた旅への羨望が、あらゆるアクセスを遮断した時間をつくることを根源とすることも定義できた。

一方、失ったものといえば、
飽くなき好奇心と眼差し。

細やかな記憶が接続され、それまでの人生で、世界のどこかで味わった事のある経験がデジャヴする。これ、どこかで経験したことあるな、と。

エッセイより


彼は観光地を廻り続ける旅が本当の目的なのかを問い、18歳でドイツに降り立った時に覚えたような驚きと感動を味わう機会が、今はもう減ったと感じていた。

しかし、今、旅の本質が日常からの断絶であると気づいた彼は、彼にとっての巡礼地はconcert hallなのだと言う。

それに対して、とくに付け加えることはない。
皆も味わったことがあるだろうが、観光地を回ることが旅の目的ではない。
他者、もしくは社会が用意した器の中でのみ行動する必要はない。
同様に大きな物語に引っ張られて仕事をする必要もなければ、意見を述べる必要もない。

しかし、これは断絶した旅の時間の中でのみ可能なことでもある。



その巡礼地は僕にとってはやはり自然の中にあるのかもしれない。
ただ自然に身を置きに行くのではなく、そこで社会と断絶されに行く、ことが必要なのかもしれない。

関わらないための百万円
ー百万円と苦虫女ー


少なくともサラリーマンをしてお金を稼いでいる身としては、今、好きなだけ旅をする、という自由は許されていない。(本当だろうか?それは標準化された物語の中の話ではないのか?)

そんな折に、た蒼井優主演の「百万円と苦虫女」という映画を見た。
同居している子のお気に入りということで見てみることにした。

ひょんなことから前科持ちになった主人公が、地元を離れて、様々な街を点々とする。
一つの街で働き、100万円貯まると、次の街へいく。そういう暮らしをする女の子の話。

移動する理由について彼女はこのように言っている。

何かを探しているわけでもない。目的があるわけではない。
ただ、土地にも人にも深く関わらず、深い付き合いにならないようにする。
そうやって私は私と向き合うことから逃げている
 
「百万円と苦虫女」より

ここでは旅をすることは、日常を断絶し、自分と向き合うことである、という前提をひっくりかえしている。
逆説的だが、移動を繰り返すことで、自分と向き合うことから逃げているのだという。

ここでは、移動する(旅をする)ことで自分と向き合わないようにする、という新しい方法が見えてくる。

一見、逆説的なようだが、たしかに、1人でいる時に自分自身を説明する相手は誰もいない。他者がいて、はじめて自分を説明する対象が生じる。そしてそれに答えるために自分と向き合う必要がある。

僕自身は旅をして社会から断絶されることは、自分自身と向き合うためである、と無条件に思っていたが、もしかすると逆なのかもしれない。
つまり、向き合いたくないからこそ、旅をしたいのかもしれない。

話を元に戻そう。

自分と向き合いたかろうが、向き合いたくなかろうが、やっぱり人と関わりたくない、働きもしたくないぞ、と思ったらお金が必要になってくる。

映画の如くまぁ、100万円あれば、とりあえず住むところや当面の生活には困らない。
でもあくまでも当面であって、永遠ではない。

選択肢を増やす手段としてお金はやっぱり重要である。

ヨシザワ先輩のごとく自給自足の暮らしへの知識は深めながらも(それは楽しみに満ちた自立欲求である)、同時にお金との付き合いも学んでいきたい。

そんなわけで最近投資を始めた。
非常に興味深い世界である。

場所への主体性
ーモーリー先輩ー

そんな折に、敬愛するもう1人の先輩、モーリー先輩から連絡がきた。
モーリ先輩は和歌山でオフグリットゲストハウスを作って運営している他、コンポストトイレ作家でもあり、ecoばか実験室の所長でもある。去年に能登に引っ越しして何かやろうとしているらしい。

その内容がこうだ

今やってる仕事を法人化して、社員をお迎えしたいなと思っていて。

社員第一号にしょうごに来てもらえたらなーとか思ったり!


僕は学生時代にも4ヶ月ほど新婚の彼の家に居候していたこともあり、彼も多少は僕の仕事ぶりを知っているからだろう。

面白そうだな、と思ったけど、すぐには行かないと思った。でも行ってもいいとも思った。

ここで取り上げたいのは、
「土地へ対する主体性」の話。

今いる弟子屈町に来て、もうじき1年。社会人経験も1年を過ぎた。
仕事もようやく慣れてきて、仕事メンバーも良い感じに集まりつつある。正直、仕事は楽しい。街の人たちとも程よく知り合って、深めていきたい交友関係もある。

会社もベンチャー気質で、やりたいことをしっかりと提案すれば話を聞いてくれるし、通る可能性も高い。やりがいもある。

なら場所か?
そんなことはない。北海道はまだまだ未開拓な部分がたくさんあるし、まだまだやりたいことはたくさんある。

だか、しかし、ずっといたいか?と聞かれれば、さぁ、どうでしょう。となる。
ずっといなさい、と言われたら、嫌だ、というだろう。

でも、どこで仕事をしてもいいよ、と言われたら僕はいったいどこにいくだろうか。

日常が、日常であるために努力していること。日常を引き止めていることは普段は見えていない。

ただ、本当の自由になったとき、自分がどこで何をするのか。どんな暮らしをするのか。まだわからない。まだ問い直したいと思ってしまう。

学生時代の空白の2年間のように。関わりを断絶して。

そういう意味でまだ、土地に対する確固たる主体性はない。
蒼井優演じる鈴子のように、土地とも自分とも向き合うことから逃げ出している、のかもしれないと思う。

気候危機
ーカクタさんー

昨日の夜に同居しているカクタさんがYouTubeライブを見ていた。気候危機について。水原希子さん、リリアンさんとかが出ていた。

久しぶりに大きな物語のことを思い出した。
気候危機という人類にとっての新しい時限爆弾の物語。

増え続ける温室効果ガス。
原発の処理水放出
守られないパリ協定
選挙の低い投票率

自分の暮らしだけでも、それらの物語を解決するものでありたい、そう願う。
見てくれだけでなく、パフォーマンスでなく、循環する暮らしのスタイルを作り、今ある自然を後世に引き継いでいきたい。

おそらく、多分、それはずっと僕の中に変わらずにある。

土地へも、人へも執着するものはいまだないけれど、暮らしと旅の接点もいまだ見えないけれども、きっとそれもこの想いの延長線上にあることだけは確信している。


長々と書いてしまった。時々、自分が書いた物語さえ、とても遠くて触れられないもののようにも感じてしまう。それほど僕は忘れっぽく、自分の言葉を雑に扱ってしまうことがある。

言ってみれば、ここ数ヶ月で得たものだけが血肉となるような。それくらいの新陳代謝。

だから、ここ数週間にきた連絡をもとに、コメントを添えてみた。一つの引用実験としてここに残します。

引用させて頂いた皆様。ありがとございました。それでは。









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