楢葉の風⑧
いつも読んでくださりありがとうございます。"旅するたたき場"メンバーの神保治暉です。旅するたたき場では、〈旅そのものが作品である〉をスローガンに活動しており、こうした旅の記録をnoteにメンバーそれぞれが書き残しています。『楢葉の風』シリーズは、福島県・楢葉町への旅、神保による記録集です。これまでの記録、バックナンバーはこちら。
お察しの通り、執筆しているのは11月下旬。半年前の記録を今更書くことになってしまいました。たくさん記録が溜まっているので、急いでこれを書いています。
さて今回は、楢葉町への2回目の旅である2024年4月6〜8日、その2日目・3日目について書いていきます。濃い内容になっているので少し長くなりますが、ぜひ最後まで読んでください。そして、楢葉町や楢葉町の人々の魅力が少しでも伝わるといいなと思います。
朝の散歩
朝、8時30分に家を出て周辺を散歩した。今となっては、堺さんの家のまわりの道はあらかた把握したけれど、この時はまだまったく掴めてなかった。なんとなくこっちに行ってみよう、が、すなわち、帰れるかわからないけど、を多分に含有していた。
湿った土に、落下した枝や葉、小さな実などがしっとりふかふかの層を成していた。不安定な足元に踊る体。空気は澄みきって、透明の粒が鼻から肺へ抜けるのがわかるくらいだった。
確かこのころから、僕は、このあたりの風景をひとつの曲にできそうな気がしはじめていた。はじめに立石神社の奥から山を見上げたときに感じた、「ずっとここにある風景」が今もここにあるという、そのことの不思議さについて、音楽が浮かび始めていた。
音が鳴ると、跳ね返ることなくどこまでも吸い込まれていくような感覚。その音が、遥か昔から続いているような、今がその昔であるような。
大地とまちのタイムライン
ここで僕の、個人的に最も大きかったターニングポイントがやってくる。「大地とまちのタイムライン」だ。
楢葉町役場のすぐ隣にある、「楢葉町コミュニティーセンター」内にある施設で、楢葉町歴史資料館として町に愛されてきた展示を、2023年にリニューアルして生まれたものだそう。
仔細は上記リンク内ホームページに譲るが、震災の復興以降から連携を深めてきた楢葉町と東京大学が、双方が持つ資料を合わせて展示を構築したようで、そこまで大きくはない展示室内に圧倒的な展示量、まるで宝石をぎゅっと詰め込んだような展示施設だ。
堺さんの引き合わせで、渡辺信彦さんという方と会うことに。楢葉町役場でお勤めされている方で、展示についていろいろと解説をしてくださった。
渡辺さんが「地面はいわば、プールの上のビート板のようなものなんです。ドロドロの金属の上に薄い地殻があって、それを私たちは地面と呼んでその上に暮らしている。」と言ったとき、視界が開けるような音がしました。
海洋生物の化石が陸で見つかることもある。海洋生物の死骸を運ぶ海側のプレートが陸の方へ沈み込み、やがて岩や土が地層になって陸の地下に眠る。大地はとんでもないスケールで動いている。大地が生み出すエネルギーの大きさは壮大だ。
動物の骨や植物などの化石、鉱物がたくさん展示されている。日本の土からは、赤や黄、緑などの色をした物質がよくとれるそうで、青いものはあまりない。かつて絵の具は色のついた石からつくっていたらしく、だから日本語では、空を青と呼ぶ前に「そらいろ」があり、水にも「みずいろ」という色の名が与えられた。それに本来、日本では「あお」は草や葉などの色をあらわす言葉だったそう。このように渡辺さんは、ことばの成り立ちと関連付けながらさまざまな資料を解説してくださったので、展示をさらに楽しむことができた。
古の時代から人々は鉱物を見つけてはさまざまな考察をしたことなどがそこで語られていた。宇宙や隕石、地球の内部のことなどが今よりもっと解明されていなかった時代、こうした岩石にもっとたくさんの想像が膨らんだんだろうな。
火を使い始め、人類は土器をつくって食文化を開闢した。火は、木の実や肉などにふたたび生命のエネルギーを宿し、食べられる状態に変化させられるものだと捉えられていたようだ。まさに「循環」のシンボルだ。縄文土器の紋様には、そういった循環のイメージとして渦巻きのような意匠が施されているという説があるらしい。
このような土器を、赤子の葬儀に使うこともあったそうだ。「また生命のエネルギーを宿して戻って来れるように」という願いを込めたのか、土器を胎内に見立て、「母体に還れるように」と願ったのか。いずれにせよ、古代の人々にとって生命というものが現代以上に食という文化や死というスピリチュアルな世界と三位一体的に関わり合っていたことが伺える。
出土する資料から、人間の歴史の政治的な側面も分析できる。為政者の成り変わり、為政者たちとの距離関係が、今もこの大地に残っている。地形がそうさせたという部分もあるし、人の手でつくられた部分もある。大地がもたらすダイナミクスは、いつだって生命の多様性を揺さぶり続ける。
私たちは何をするにもエネルギーを利用しなければならない。食べるにも、働くにも、考えるにも、遊ぶにも、さまざまなエネルギーを利用している。それは炎だったり、蒸気だったり、電気や水、筋肉や心だったりもする。どんなエネルギーにしたって、地球が持っている壮大なエネルギーを一部借りているに過ぎない。
そしてエネルギーは、生活に利用可能な状態に変換する必要がある。エネルギーを自分で生み出して自分一人で使うということは、今やできない。誰かが変換し、誰かが受け取る、それがエネルギーにまつわる不条理な宿命なのかもしれないと思った。
だからエネルギーにかかる問題というのは、無関係な人なんて誰一人としていないんだということがありありとわかった。なのになぜ、東京で暮らす僕たちと、ここ楢葉町とで被っているリアルな問題がこうも白黒ちがうんだろう。おかしい、わからない。
約2時間の見学を終えて、渡辺さんとお別れ。とっても刺激的な時間でした。ありがとうございました。
玉屋
中の写真ないのですが、おいしい匂いのする店内にガラスケースがあり、カウンター越しに注文をした。できたての温かいおまんじゅうを今からつくってくださるとのことで、お金を払い、数時間後に戻ってくることに。
堺さんもすごくお世話になったという優しい店主の菅野さんと、いろいろ話をした。店内には、ヨガのクラスなどもできるような広い和室のスペースがあり、何かイベントで使ってもいいよと言ってくださった。
サラータイ
昼食は、堺さん絶賛のタイ料理屋さん「サラータイ」へ。生活感のある親しみやすい小さなお店で、スパイスのいい香りでいっぱいだった。
あ、富岡町だったんだ、ということに今気づく。やっぱり当時は土地勘全然なかったなあ。
夜の森 桜まつり
ちょうど桜が満開の頃で、堺さんが富岡町の「夜の森 桜まつり」へ連れて行ってくれた。
神保的に、これまでの花見史上最大の花見だった。どこを見ても桜、桜、桜。一生分の桜を一度に見たと思う。歩いても歩いても桜。すごかった。
楢葉町の旅で、後にも先にも一番人が賑わっていたと思う。すごい人熱だった。
桜まつりを楽しんだ後は、楢葉町の方へ戻りつつ「塩貝の大カヤ」に立ち寄った。
塩貝の大カヤ
樹齢千年の「カヤ」の樹だ。大きな樹にはやはり何か不思議な力が宿るようで、近づくと空気が変わるのを体で感じる。
その後、天神岬まで戻ってジェラートを食べた。
そしてまた玉屋に戻り、茶まんじゅうをもらった。それからスーパー「ネモト」で夕飯の買い出しをして、ならはCANvasを見学。さらに、堺さん宅に戻って荷物を取り、また天神岬の「しおかぜ荘」へ入浴に。すごい移動距離・・・!
そして夕食は、すいとんをつくっていただくことに。
すいとん
家庭料理として楢葉町で昔から親しまれてきたという「すいとん」。Jヴィレッジに滞在していた、当時のサッカー日本代表トルシエ監督が「故郷のおばあちゃんの味」と評したことから「マミーすいとん」と命名されたそう。
探してみたけどネットでは買えないのかも。ふるさと納税の返礼品になってたりするっぽい?ので、興味ある方は調べてみてください。めちゃくちゃおいしかったです。
写真左に写ってるのは、燕三条への旅の時につくった「槌目」を自分で入れたぐい呑み。まだ旅noteを書いてない、、、(早く書こう!)
お酒もいただきつつ、24時に就寝。
帰る日
翌朝、なんと5時に起床。すぐに出発した。恐るべきことに、この日の朝9時から、神保が代表をしているチーム「エリア51」の7月公演の会場下見の予定が。
史織さんは舞台美術として、中野は同じくエリア51メンバーとして公演に参加してくれているので、3人で楢葉町から帰り、そのまま墨田区の劇場「すみだパークシアター倉」へ。
東京はもう、桜は咲ききっていた。
今回の旅では、「大地とまちのタイムライン」での学びが非常に大きなターニングポイントとなった。前回の旅のときに感じていた、どこかつかみどころのない感覚が、ようやく何かカチッとどこかにハマるような気がした。
自分がどんなことを感じ、何を考えようとしているのか、それが掴めたということなのかもしれない。
どうしたって僕たちは外部の人間だし、どれだけそこで感じたことに僕なりのリアリティがあろうとも、そこの土地の人たちと同等のリアリティになるなんてことはありえない。
でも、それはなんだってそうなんじゃないか。誰とだって、同等のリアリティを感じることなんかきっとありえない。ただ、舞台芸術をはじめとした表現というものが、その境界にある線をより強く引いたり、あるいはぼんやりと見えなくさせたりすることがあるというだけだ。
ようやく得られた実感を大切にしまっておきながら、次また楢葉町を訪れるまでの約2週間、東京で過ごした。