アーユルヴェーダと私
私とアーユルヴェーダのことをお話しするには、
遡ること、2011年3月11日。
東日本大震災まで、時間を戻してお話しすることに。
私は主人と2人でお店を始めて4年目。
二階の客席のお客様と一緒に外へ出て、
地震が収まったので、大丈夫だったね。なんて言いながら、店内に入り、お店を引き続き営業していた私達。
テレビもラジオも聞いていなかったので、世間がどのようになっているのかわからなかったけれど、肉屋のすーさんが、「世の中が大変なことになっている!」と教えてくれた。
当時のガラケーでテレビニュースを見ると、東北の街が、波に飲み込まれていく様子が映し出されていて、一瞬、映画かな?と思ってしまった程だ。
そして、原子力発電所の放射能が漏れて、後にメルトダウンしていたことが分かる、あの事件。
わたしと主人は結婚して、4年目。
子供を授かりたいと願っていた私。
食生活実験を色々試していた時期でもある。
子宮が冷えているから子供が出来ないのだという本を読めば、玄米菜食にしてみたり、お肉や小麦を辞めてみたり。いろいろ試していた時期。
けれど、どこかで、放射能が身体に溜まっているのではないか?という不安な想いと、自分の身体への信頼感が薄れていく日々。
”不妊治療”という言葉を頭のなかに、かすかに横切るも、
精神的にダメージを受けそうだなあと考えるだけでも辛くなってしまうので、
自然な形で赤ちゃんを授かりたいと願い、悩んでいた日々だった。
子供を授かることが出来る様に、自分の身体の中から綺麗にしたい。という想いが日に日に増し、
放射能が体の中に少しでもあるかもしれない。と思うと、なんだかモヤモヤとする毎日。
そして、日に日に、南インドへ行きたい。(なぜか解らないけれど、行くなら絶対に1人で。と決めていた。)
行きたいヨガのアシュラムとアーユルヴェーダのパンチャカルマ(アーユルヴェーダにおける代表的な浄化療法)の施術を受けて、アーユルヴェーダも勉強してみたい。
そしたら何か、家族の役に立つこともできるかもしれない。という思いもあった。
全ての想いがパーンと、臨界点に達し、
3・11を機として、1人で南インドケララ州へ行く決心を固めた。
いつも、背中を押してくれる旦那さんの後押しもあり、チケットから宿の手配やアシュラム、勉強するスクールまで、なにもかも自分で手配。
インターネットと、スマホの素晴らしさも実感した。
インドの女性は、子供を授かる前に、アーユルヴェーダのパンチャカルマを受けて、身体をクリーンな状態に整えてから子作りをする人もいるという事を聞き、ぜひ、パンチャカルマを受けてみたい。と、胸が踊った。
無我夢中という感じで、1人で南インド、ケララ州に呼ばれるが如く、向かった2014年。
これが、私とアーユルヴェーダの1番初めの接点。