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名古屋は別の町?熱田神宮を抱える宿場町・宮 (熱田・愛知)【東海道本線 途中下車の旅#14】
前回は、東海道本線の中間点になる、豊橋(愛知)の話をしました。
乗り換えついでに食事が取れるので、普通列車の旅で豊橋で途中下車というのは、ありの選択肢です。
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豊橋から、西を目指す人にとって、次の乗り換えは、大垣(岐阜)か米原か(滋賀)になります。
せっかくなら名古屋に寄りたいという方もいるかと思いますが、名古屋城にしても徳川美術館にしても、繁華街の栄や、大須にしても、名古屋駅や金山駅から地下鉄が必須の場所になります。
以前も書きましたが…
昔からの名古屋の城下町は、台地の上に建っていて、その台地の縁を鉄道が走ってるのです。
名古屋駅も、その台地の下側。
名古屋駅のまわりに「何もない」と言われることがありますが、町の成り立ち上、仕方ない部分があるのです。
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その台地の南の縁に、熱田神宮があります。
三種の神器の1つ「草薙の剣」が祀られている神社になります。
ヤマトタケルの東征の際に一緒に帯びていた剣で、東海道線で過ぎてきた、「焼津」や「草薙」とも縁のある一振りです。
JRでも「熱田駅」が最寄駅としてあるので、JRだけで行くことも可能です。
ただ、名鉄の「神宮前駅」の方が近くて便利ですが。
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熱田神宮は、信長が桶狭間の戦いの前に戦勝祈願をしたことで知られる神社としても知られています。
信長というと神仏も一切信じてないと思ってる人もたまに見かけますが、実はそんなことはありません。境内には信長が寄進したという塀も残っています。政治的に敵対しない限りは、寺社をこのように厚く保護をすることはあったのです。
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名古屋と言えば、きしめんが有名です。
こちらも熱田と縁があります。
どうやら江戸時代にはきしめんは食べられていたようで、宮宿でも出されていたようです。
大正になって、地元の製麺業者がきしめんを売り出すにあたって、熱田神宮の宮司に「宮きしめん」と命名するよう言われたことから、きしめんのブランドの1つとして有名なものとなっています。
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熱田神宮の南側を旧東海道が走っていて、宿場町の「宮宿」があったのもこの辺りです。ここから西に行こうにも、熱田神宮のすぐ西には伊勢湾が広がっていました。
ここから先、陸路で行くのは困難な区間でした。というのも、木曽川をはじめとした三つの川の河口が西側にあり、網の目のように流れていたからです。
しかも、長良・揖斐という比較的大きな川も合流してくるため、雨でも続こうものなら、あっという間に増水する場所です。
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そのため、ここ宮宿から、伊勢湾を越えて桑名(三重)まで「七里の渡し」と呼ばれる渡し船が出ていたのです。四日市(三重)までショートカットする、十里の渡しも出ていました。
そのため、宮も桑名も比較的大きな宿場だったようです。
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ただ、明治になって鉄道が建設されるようになった際には、東海道本線は名古屋から西へとは向かいませんでした。
国が敷いたのは、名古屋から岐阜まで北上して、関ケ原経由の旧中山道ルートでした。
というのも、このまま東海道沿いに西に向かうと亀山・関からの勾配のきつい鈴鹿峠越えに始まり、隘路が多い区間になるからです。
関ヶ原からの難所はあるものの、東海道本線を敷設したルートの方が、施工上楽だったからです。
そんな経緯もあり、名古屋から西の旧東海道沿線の企業が、明治時代に自力で鉄道を敷くことになるのです。
その話は次回にて!
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