努力の先に見えるモノ
今回は、自分の過去について隠さずに、さらけ出してみようと思う。
このnoteを書こうと思ったのは、僕が副代表を辞めるとなったときに、学生支部のみんなに、自分のことをもっと知ってもらいたいと思ったからだ。
まず、僕の過去を話す前に、おれはどういうやつかを箇条書きで書いてみた。
・安心できる環境や自分を認めてくれる人がたくさんいる環境だと、バカなことをたくさんできる(パプリカもその一つの例)
・実は人見知りで安全な場所でずっとじっとしていたい
・勘違いしやすい
・ネガティブ指向でなにか不安になると、それ以外のことが手をつけられなくなる
・自分にあまり自信がない
・マイペース
・心配事があると誰かに相談しないと解決できない
・お金のことに敏感でなるべく自分のお金を使いたくない
・かっこつけたがり、弱いところを大勢の人に知ってほしくない(バカにされた過去があったから)
今、思いつく僕の特徴はこんな感じだ。
それでは、本題の自分の過去について話していくことにしよう。
おれの過去
高校受験のこと。
大学受験のこと。
この2つに分けて話してみようと思う。
高校受験
僕は、中学生の時、テニスしかやっていなかった。週6,7のペースでテニスに明け暮れる日々を送っていた。
そんな中でも、中学2年生の時から一途に県下No.1の志望高校を目指していた。
でも、そんなことを言うとたいてい批判された。
「お前は無理だよ、、」鼻で笑われた。
あるクラスメイトに、模試の点数を見られて、その点数を頭がいいやつに「こいつ、この点数で県下No.1行こうとしてるらしいんだけどいけると思う?www」と聞き、「この点数でいけるわけwww」と言われ、みんなの前でバカにされて、笑われた。
他にもバカにされたことはいくらかあった。
それでも、それでも、おれならできる。おれなら、合格できる。努力は必ず報われる。そう信じて、周りを気にせずに勉強に取り組んだ。
しかし、結果は不合格。
正直、分からなかった。なんで落ちた?整理が全く追いつかなかった。
整理が追い付かないまま、高校は県下No.1のFランクと言われている高校に入学し、高校1年生の7月ぐらいまでは、ずっと不合格になったこと引きずっていた。県下No.1の高校に行くと宣言して行けなかった自分に負い目を感じていた。
大学受験
高校受験の悔しさを感じながら高校に入学した。
高校受験でバカにしてきたやつを絶対に見返したい。
そんな思いでテニスでも、勉強でも結果を残すべく、自分に厳しくすることを決めた。自分の努力を認めずに、やり続けることを決めた。
そして、高校1年生の時、「テニスで全国優勝します」
こう宣言した。
しかし、これは結局ネタにされた。
最終的には、高校3年生のときにコロナウイルスの蔓延も相まって、この目標の舞台である、全国大会に行くことさえも叶わなかった。
これにより、実質、高校2年生の3月から大学受験勉強にシフトした。
高校受験での悔しさを晴らすべく、毎日勉強漬けの日々。
1週間で2,3回はおなかを壊すほどの状態でやり続けていた。
自分へプレッシャーをかけて、そのプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、それでも、絶対に努力は報われる。絶対受かる。絶対志望校に行く。そう信じてできる限りのことはやった。
しかし、大学共通入学テスト(前センター試験)が終わった時点で第1,2志望は絶望的。辛うじて、第3志望が行けるかいけないかのライン。
第1,2志望は行けなくても、それでも、どうしても、どうしても、成功体験、国立大学に合格、1年間必死になってやってきた成果を"合格"という形で、どうしても掴み取りたかった。経験したかった。高校受験で流しそびれた嬉し涙を流してみたかった。
国立大学の受験校が決まってから、受験日である2月26日までの約40日間、その大学に行くために、自分ができうる全てのことを尽くした。
起きてから寝るまで勉強のことを考え、勉強の合間には、志望大学に通っているイメージを鮮明にするために、Youtubeに上がっている大学紹介のビデオをなん10回も見た。
合格するためにできることは何でもやった。
そして、毎日のように自分は合格できると言い聞かせた。
そして前期試験本番当日
1科目目 数学。
2科目目 英語。
1科目目の数学が終わり、2科目目の英語が始まって半分が過ぎたころ。
自分の限界を知った。
それでも、一縷の望みに賭けて最後まで自分の持てる力はすべて出して、解きぬいた。
試験が終わり、家に帰るために新幹線に乗った。
席に座ったら、自然と涙が溢れ出てきた。
まだ結果が出てないのに。
どうしてどうしてどうして。
なんであんなに頑張ったのに
あんなに絶対に努力は報われると信じて1年間やりぬいたのに
なんであんなにやったのに、自分の実力を出せなかったのか、不思議でしょうがなかった。
どうしても現実を信じたくなかった。
あれだけやったのに、なんでおれは報われない。あんだけバカにされてきたのに、なんでおれだけこんな思いをしなきゃいけない。
なんで、、、
やっぱり現実はそんなに簡単じゃない。
努力は裏切ることなんていくらでもある。
世の中は残酷な時もある。むしろ、残酷な時の方が多いかもしれない。
不平等な時もある。
どうして俺だけって思うときもいくらでもある。
でも、おれは思った。
「もうやりたくない」
「もう後は、運に任せる」
「これで受からなかったら、もうおれにはどうもできない」って
これを思えたのが唯一の救いだった
これを思えるだけ、おれはずっと勉強に打ち込んでこれた
その環境を親がつくってくれた
おれは幸せだ
でも、それと同時に、親への申し訳ない気持ちがあった。
自分が勉強しやすい環境をつくってくれていたから。
もし、親が一緒に受験会場に来ていたら、顔を合わせただけで僕は泣いてしまっただろう
そんなことを思った
受験後、実家に帰って、僕は母親に真っ先にこう言った。
「現実そんなに甘くなかったわ」「もうやりたくない」
そしたら、母親はこう言った。
「やりたくないって思えるほど、できてよかったじゃん」「なるようになるよ!」って。
やっぱり、おれは幸せだ。
母親は僕のことを優しく包み込んでくれた。
そして、数日後。
合格発表の日
結果は不合格。
わかってはいたものの、淡い期待を抱いていた
親になんて言えばいいか分からなかった
親に合わせる顔がなかった
親と顔を合わせたら、泣いてしまう気がして、なかなか言い出せなかった
でも、結果は結果。
受け止めないといけない。
少し落ち着いてから、母親に不合格のことを報告した
そしたら母親はこう言った
「しゅう、落ち込む必要はないよ」
「この結果が柊にとって幸せになる第一歩なんだから」
「幸せになるためにこの結果が必要だったんだよ」
そう言われたときに、涙が溢れた。
そして、なぜだか、今も涙が溢れている。
実は、結構前からこれを書きながら、思い出して泣いていた。
この時、初めて、自分がやってきた影の努力を母親は、ずっと見てくれていたんだと実感した。母親というたった1人の言葉であっても、すごく僕の心には響いた。結果は出なかった。それでも、母親にこう言われ、自分の努力を肯定できた。影で努力をして認められたことがすごく嬉しかった。
受験から半年以上たった今でも、あの時の悔しさを鮮明に思い出す。
また、母親のやさしさ・寛大さを思い出して、泣いてしまう。
それほど、当時は受験に対して本気で取り組むことができていた。
そういうふうに思えるだけ、やりたいことをやりたいまで、やらせてもらっていた。
挫折を経て
この経験と僕が今いる環境から、学んだことがある。
「人生は幸せになるようにつくられている」
もし、僕が、高校受験・大学受験に失敗していなかったら、このnoteを書くことはなかったし、他人の苦しみやつらさを理解することはできなかった。
そう思うとゾッとする。
そして、最近思うことがある。
大学受験・高校受験、ともに落ちたという経験は、自分の視野を広げるために必要なことだと。
受験に合格するよりも、不合格になった方が、学びが多い。
いろんな人の考え方や価値観がわかる。
今までの経験から、僕はそう考える。
もし高校受験・大学受験、どちらかに合格、もしくはどちらも合格していたら、今頃、TABIPPOには入っていない。
みんなに会うこともなかったし、副代表を辞めるという経験もしなかった。
TABIPPOに入って「楽しい」「自分は幸せだ」と思うこともなかった。
だから、
僕が高校受験・大学受験に落ちて苦しんだのは、幸せになるためだったんだ。
今、そう思えていることがさらに幸せだ。
人間はみんな、幸せになるために、幸せにたどり着くために、楽しいこと、辛いこと、苦しいこと、嬉しいこと、様々なことを経験し、考え、生きているのだと思う。
ここまで読んでくれてありがとう。
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