あの投稿が気付かせてくれたこと。
今日、5/11。すごく大事なことに気付けた気がするから、書き留めておこう。
僕は、この度、 ”Little You” という若者の挑戦を本気で応援するイベント型プログラムにエントリーしました。
このイベントは、その名の通り、若者が自分のしたい挑戦と、とことん向き合い、その挑戦や夢実現に向けて奮闘するプログラムです。サッカー選手の本田圭佑さんがアンバサダーとなっています。最終選考では、10名に人数が絞られ、オフラインでプレゼンテーションをし、その中から、優勝者が決まるというようなイベントです。
詳細はこちらからご覧ください!
このイベントに参加する一番最初のきっかけは、前年優勝者の日賀野舜に”出てみない?”と誘われたからだ。
正直、最初は、出るつもりは全くなかった。
でも、TABIPPO学生支部の2022年の活動が終わり、何か新しい環境で何か他の新しいことをしたい。そんな思いはありながらも、なかなか自分がワクワクできるものを見つけられていなかった。
だから、これは何か自分にいいきっかけを与えてくれるのではないかと思い、エントリーした。
ここまではそこまで重要な話ではない。
重要な話はここからだ。
昨日。これもまた日賀野舜に「せっかくなんだから、Little Youに参加することをSNS宣言してみなよ~」と念を押された。
正直、宣言するのが怖かった。
でも、直接言われたからには、宣言するしかないと思い、投稿した。
その投稿がこれだ。
一見、そんなに変な投稿ではないだろう。
投稿した数分後、このツイートにいつもはなかなかいいねしないような人からのいいねがきた。さらに、応援メッセージを送ってくれる人もいた。
たくさんのいいねをもらったときに僕は、ものすごくダサいことをしたことに気が付いた。ものすごい焦燥感にかられた。
僕は、無意識のうちに、失敗しても言い訳ができるような投稿をしていた。
どういうことか。
最初に「日賀野舜に誘われたのがきっかけで」と書いてあるこの部分だ。
もし、万が一、この挑戦がうまくいかなくても、「失敗したけど、まあ、誘われたからだし」「自分からやろうと思ったわけじゃないし」と自分の中で片づけてしまいそうだった。
せっかくの自分が変わるきっかけをもらったにも関わらず、いらない感情がつきまとっていた。
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最近読んでいる「嫌われる勇気」という本に、こんな一幕がある。
自分の短所を直すことができない青年が、とある哲人と対話している場面がある。その中で、青年は「どうしても自分の短所が直せないのはどうしてか?」と、哲人に質問をした。
その問いに対して、哲人は
「あなたが他者から嫌われ、対人関係の中で傷つくことを過剰に恐れているから、わざと短所を直さないままでいるのだ」と答えた。
つまり、青年はたとえ、対人関係で傷ついたとしても、「自分には、この短所があるから嫌われても仕方がない」と言い訳ができるように、自分が傷つかないために短所を直さないでいる。と哲人は話したのだ。
この一幕と今の自分とが驚くほどぴったりと重なった。
「日賀野舜に誘われたから」
この一言を入れることで、無意識のうちに失敗しても自分が傷つかないようにしていた。言い訳できるようにしていた。
心のどこかで、挑戦することが、第三者の前で宣言することが、怖いと感じていた。失敗するのは嫌だ。自分ができなかったことによって、からかわれるのが嫌だ。ばかにされるのが嫌だ。宣言して、もしだめだったら、何か思われるんじゃないか。ダサいんじゃないか。そう思っていた。
自分は、言い訳なんかしない。自分は自分の意志で動く。
そう決めていたはずだ。そう思っていた。
そういう人間になれていると思い込んでいた。
でも、違った。
気づいてなかった。自分の内側にあるこの感情に気付いていたけど、言葉にできていなかったのかもしれない。
今、自分が求めている変化をするためには、挑戦と失敗をしなくては、変わることはできない。
この世の中を生きていく中で、自分が傷つかずに生きるのは不可能だ。
必ず、多少傷つくことはある。
おれは、自分が傷つくのは怖い。
でも、おれは知った。
おれには、応援してくれる人がいる。
挑戦することは決してかっこ悪いことではない。
ダサいことではない。
隠すべきことではない。
おれは、自分が変わり続けるために、挑戦し続ける。