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087.三線的男女関係

2003.10.14
【連載小説87/260】


女性たちに囲まれて楽しい時間を重ねている。

前回紹介したパイナップル三線に興味を持ったNEヴィレッジの女性数名が一緒に三線をやりたいというので、再び空き缶と流木を集めて一緒に工作を楽しみながら、会話のあれこれに花を咲かせているのだ。

で、日々同好会のように集まる女性の中に沖縄出身者がいたこともあって、話題が琉球文化や民俗史に及んでいる。
三線を作り、爪弾きながら、文化人類学や社会学の勉強会のごとき時間を重ねているわけだ。

島嶼国家の大先輩として、彼の地に学ぶところは大きい。
特に、島における女性の存在や役割を考えさせられることになった。

改めて見直せば、トランスアイランドは圧倒的な男性社会である。

その中にマイノリティとしての暮らす彼女たちがいかなるポジションにあるのか?
男性島民は時にそこのことを真剣に考えなければならないのだ。

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10月13日現在、トランス島民は男性187名、女性58名。
比率で見ると76%対24%。

独立した国家的社会を目指す上では、明らかにアンバランスな人口構成である。

テクノロジーと自然の融和を目指す社会実験的コミュニティであるこの島が、そのコンセプトからして、開拓期に力仕事を担う男性パワーを必要としたこと。

IT関連の技術者やSOHO事業者といった比較的男性の多い職業ドメインを的にしぼって移住募集を行ったこと。

さらには、定住の中に「家」を守ることなき自由人にも声をかけたこと(僕はその類だ)などがその原因であろう。

次に、データを開拓期以降、すなわち開島後の数値で比較してみる。

すると、入植者の男女比率は61%対39%で、女性もかなりの健闘をみせる。

ちなみに僕の暮らすNEヴィレッジは58%対42%と4村の中でも女性比率の高さを誇っている。
文化や文芸という比較的女性因子の強いテーマを村が担っていることが影響しているのだろう。

最も島民数の多いNWヴィレッジ(テクノロジーがテーマ)以外の3村のテーマ(環境とアートが加わる)からして、長期で見れば、男女比率はゆっくり50対50に向かっていくのだろう。

さて、女性たちとの会話の中で盛り上がった男女関係に関わる面白い話を紹介しておこう。

男女の関係といっても、色恋の関係ではない。
三線という楽器に潜む概念的男女関係のことだ。

三線は、3絃で成り立つ楽器だが、この3本というところが興味深い。

正面から見て左側太い糸が「男絃(ウーヂル)」。
真ん中が「中絃(ナカヂル)」。
右側の細い糸が「女絃(ミーヂル)」と呼ばれる。

そして、それぞれの音は、ウーヂルが「ド」、ナカヂルが「ファ」、ミーヂルが1オクターブ高い「ド」だ。

この名称と関係性がなんとも象徴的ではないかというのが僕の分析。

沖縄から八重山を旅して、島の女性の逞しさを大いに感じた体験から、太さの差はあれど、男絃と同音を奏でる女絃の存在に男女対等の関係を連想するのだ。

そして、その間に位置する中絃の微妙な存在。
ここには、白黒を明確にさせたがる西洋文明に対して、割り切れない中庸部に価値を求める東洋的思想を見ることができる、というのが女性陣の談。
(ギターやウクレレの絃数は偶数である)

実際、三線を弾けば、大いに実感するのだが、この3本という数値は、奏者にひとつの世界観とでもいうべきものを提示してくれる。

民謡や古謡が物語であるならば、それを追う弾き手の左右の手は、常に男と女の絃を彷徨うように行き来し、その狭間にニュートラルゾーンとしての中絃が程よく絡む。

そう、この世は男と女の2極の中に全てが存在し、そこには双方相容れない第3の場があるのだよ、と物言わぬ三線が我々を導いてくれるのだ。

三線の調絃のことを「チンダミ」というが、社会もバランスよく成り立つために男と女のチンダミが必要なのよ、と語る沖縄出身女性の弁が説得力を持って心に残った。
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ところで、女性がマイノリティであることに不便や課題を抱えていないか?
と彼女たちに尋ねると、そろってNOの回答が返ってくる。

数は少なくても皆元気で明るく前向きだから、端から見ていても心配は感じないし、そもそも、ここに暮らす女性は独立心が強く好奇心旺盛で他者依存するタイプではないのだろう。

そんな彼女たちも、島の未来を考えると客観的な部分で男女のバランスの必要性を感じるという。

今が個々の満足と共に不均衡を許容していても、次代を考えれば、すなわちこの島2世時代を視野に入れると女性の数的増加は必須と考えている。

社会を守り、育て、継続させようという本能のようなものは女性により強く内在するのだろう。

太古の島国家とは、最初に男性が主役の冒険や漂着があり、そこへ女性が従い、家族の定着と共にヒトが増え、徐々に社会を形成するプロセスだった。

つまり、数的バランスは熟成の中に達成される。
トランスアイランドも、長期的シナリオから見れば未だプロローグの段階を脱していないということか。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】
20年前、LGPTの僕の中に価値観はなかったのでこの回を読み返すと少し違和感のようなものを感じます。

男か女か?
攻めか守りか?

何事も2分化するのではなく、その中庸に目を向けるべきというのがずっと以前からの僕のスタンスでしたが、性的マイノリティを認めるという近年の世間の流れには隔世の感があります。

東西か?南北か?
というイデオロギーや貧富の対立に対して、豊かな南洋の島々の存在を「第3の道」として模索していた僕にとって、「三線的」発想が今や自身のマーケティング軸になりました。

ロシアかウクライナか?
イスラエルかパレスチナか?

の今、「第3の視座」獲得も必要だと思います。
/江藤誠晃



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