エネルギーをめぐる旅
『エネルギーをめぐる旅』古舘恒介 2021
自然に学ぶ生き方を探っている私には興味深い本でした。
今、必要なのは心の成長だと改めて思います。
そして心と身体と自然は同じもの。
以下、一部を引用します。
「 こうして人類の祖先は、料理をすることで自らの体内での消化にかかるエネルギー負担を減らし、胃腸を相対的に小さくすることに成功しました。要するに私たちの祖先は、本来であれば消化器官が行う必要のある仕事を、食べ物を「料理」することで、一部外製化したのです。外製化したことで得られた余剰エネルギーは脳へと集中投資され、それが私たちの祖先の進化の方向を決定づけることになりました。このように、私たち現生人類が極めて高度な知能を持つに至ったことには、人類の祖先による火の利用が大いに関係しているのです。
農耕を始めたことによって人類は、大地に降り注ぐ太陽エネルギーをこれまでになかった規模で取り込むことができるようになりました。取り込まれる太陽エネルギー量が飛躍的に増えたことで、人類が使用可能なエネルギーである労働力、すなわち人的エネルギー量も人口増に比例する形で増えていきました。その効果は絶大で、研究による推定では、農耕生活が始まる以前の1万2千年前時点では500万~600万人だった世界人口が、1万年後の2000年前には約6億人にまで到達しています。人類が自由に使うことができる人的エネルギー量が、農耕開始前の約100倍に増えた計算になります。このような非線形の変化をもたらした農耕生活への移行は、火の利用に次ぐ、人類史上二番目のエネルギー革命であったといってよいでしょう。
農耕は人類に文明という光をもたらしましたが、光は闇を伴うのが世の常です。農耕生活がもたらした闇、その筆頭に挙げられるのは戦争の勃発と奴隷制の始まりでしょう。
古代の文明社会は、奴隷の存在抜きには語ることができません。文明をけん引する上位階層の市民は、下位階層である奴隷を使役することで、自らは汗水たらして働くことなく生活に必要な糧を得ることができたからです。
杉やヒノキの成木一本一本には、その土地に注がれてきた40~60年分の太陽エネルギーが大切に保存されていることを意味します。よって、樹齢50年の杉やヒノキを伐採使用することは、同じ面積で一年草の穀物を収穫することの50倍のエネルギーを消費することと同期になります。
(中略)
エネルギーの視点からみれば、樹木とは、太陽エネルギーの大型貯蔵庫なのです。
文明化した社会は、この貴重なエネルギーである森林資源を湯水のごとく使うことで成り立っていました。文明社会における技術の進歩は、森林資源の伐採によるエネルギー供給によって支えられたといって過言ではありません。
ハーバー・ボッシュ法が発明される以前は、窒素を動植物が固定化する方法は、豆科の植物の根に共生する根粒細菌による働きか、雷のエネルギーによって空気中の窒素分子が分離され、それが雨に溶けて地上に降ってくるという二つの方法しか存在しませんでした。つまり、自然界において窒素を固定化できる量には一定の限界があったことになります。それがとりもなおさず、地球上に生存を可能とする人類を含む生物の総量を制限していたのです。それが自然界に存在した暗黙の秩序というものでした。
その自然界のくびきを、ハーバー・ボッシュ法は解き放ちます。エネルギーを大量投入して空気中の窒素をどんどん固定化することで、地球上に同時に生存可能な人類をはじめとする生物の総量が飛躍的に拡大したのです。その恩恵を最大に受けたのはもちろん人類と、人類の食料となったトウモロコシや小麦、米に代表される穀物でした。
地球の気候環境は、太陽からもたらされる大きなエネルギーの流れによって形作られています。このエネルギーの流れにこそ、目を向けてほしいのです。なぜなら地球上にエネルギーの流れがあることが、私たちがこの世に存在している理由とも密接に結びついているからです。
私たちの存在、それはひとつの奇跡です。熱力学の第二法則にしたがい、世の中が乱雑さを増し無秩序になる方向に進んでいるのであれば、なぜ生物という秩序そのものといえる存在が生まれ、それが進化することができたのでしょうか。このことは科学における難問のひとつでした。このことをして、神の存在の証明とする人も少なくありませんでした。その難問に答えをもたらしたのが、エネルギーの流れがもたらす構造についての研究です。
いまや生物のひとつとして人間の時間は、完全に引き裂かれた状態にあります。今よりも、もっとゆっくりとした時間の流れのなかでの生活を前提として創られた身体と、そんなことはおかまいなしに、ひたすらに時間を早回しにしたがる極端に肥大化した脳との間でです。
今、私たちが強く意識すべきことは、いかにして脳主導の思考法から脱却し、少しでも身体の方に寄り添った思考法を実現できるかということでしょう。こうして自らの身体の声に耳を傾けるかたちで人間の深層心理に問いかけていきさいすれば、時間を早回しにしていく生活習慣を改めていくことは決して不可能なことではないはずです。
例えば、呼吸を整えて座禅やヨーガに取り組むことは、脳を落ち着かせ、時間の歩みを身体に即したものへと取り戻す一助となります。タイムを気にせずゆっくり走ることも有効です。自然と呼吸が整い、気がつくとランナーズハイと呼ばれる多幸感に満たされた状態になります。
環境負荷を全く気にすることなく人類が好き勝手に使ってよいような完璧なエネルギー源など、そもそもこの世には存在しないのです。そのことを、私たちは深く認識する必要があります。私たちは巨大化した現代文明を維持発展させるためのエネルギーの獲得に関して、もっともっと謙虚にならなければならないのです。
地球上に住む生物は、太陽エネルギーを奪い合う熾烈な競争を繰り広げつつも、生物種の多様性を保つことで生態系全体で高度な安定を保つようにできています。生態系は寡占を好みません。そして決して太陽エネルギーの無駄遣いはしません。寡占を好み、エネルギーの無駄遣いを厭わないのは、人類だけにみられる特徴です。
私たちの社会が様々なバックグラウンドや考えを持った人々で構成され、多元的で複雑であるのと同じく、地球環境は多元的で複雑なものであり、二元論で割り切れるほど単純なものではありません。エネルギー問題に関する議論で、これはよいがあれはダメと何事にも白黒つけようとしている人をみたら、その人の主張は疑ってかかった方がよいでしょう。自然を相手にした問題の答えはふつう、白と黒の間に広がる無限の色の中にあるのです。」