世界は贈与でできている 近内悠太著 2020.03
この写真はbistro peinの金子シェフのおもてなしです。
おもてなしはお金では買えない部分です。
「市場の拡大、資本の増殖。
そのためには、あらゆるものが「商品」でなければならない。」
お金と交換すると贈与ではない。
「市場経済のシステムの中に存在する無数の「すきま」そのものが贈与なのです。」
「贈与が無くなった世界、交換が支配的な社会には信頼関係が存在しない。
信頼は贈与の中からしか生じない。
交換するものを持ち合わせていない時、つながりを必要とする。」
「贈与はそれが贈与だと知られてはいけない。
贈与は届かないかもしれない。」
献血は、自分の行為がどれくらい人の役に立っているか直接認識しにくいのでコストパフォーマンスが悪いと有りました。私が献血する時は、’わかっていても献血する人達’に会いに行く気持ちがあります。
「贈与は本質的に偶然で、不合理なものだ。
そう思えることが差出人に必要な資質なのです。
贈与は差出人に倫理を要求し、受取人に知性を要求する。」
「贈与に気づくことのできた主体だけが再び未来へ向かって贈与を差し出すことができる。」
「この世界の壊れやすさ。
この文明の偶然性。
この日常も社会もアノマリーだ。
不安定つり合いの上に置かれたこの文明が、これほどまでに安定して、つりあって、昨日と変わらない今日がやってくること自体、これ以上ない不合理であり、アノマリーだ。
そう感じることのできた主体だけが、「この幸運なアノマリーを発生させた誰かがいる」と推論できるのです。
それも、顔も名前も知らぬ、無数の人々がいた、と。」
「なぜ僕らは「仕事のやりがい」を見失ったり、「生きる意味」「生まれてきた意味」を自問したりしてしまうのか。それが「交換」に根差したものだからです。」
「贈与の結果として、宛先から逆向きに「仕事のやりがい」や「生きる意味」が、偶然返ってくるのです。」
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