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Text Texts Texture

 文字とことばのテクスチャーを長々、往年の吸血鬼に献ずれば、僕の全身に張り巡らされてるってわかる。血液上に、A、B、О。愛してる。
 静と動のテクスチャーを長々、きっと理不尽に感じている。細胞とそれから、心房も。地表からの距離で勘違い屋の脳みそだけが、勘違いを勘違いのまま言いふらして、上下を、左右を、分けている。
 自殺とか、戦争とか、いいとか悪いとか、あるって思ってワケを探すのは。最も愚かな無知の無知だ。
 最初から手のなかにあるといって、目が覚め次第つづきをやっていて、恥ずかしくないですか。自分が一番かわいいくせに、それってすごく不誠実だ。

 むかしに田舎の山道で、転んで砂利ですりむいた。真夏だけれど涼しくて、アゲハを捕り逃したことだって悲しいのにもっと悲しかった。ばんそうこうを貼っても痛みが引かず泣いている僕に、親父は膝を覆うように手を当ててくれた。
 手当て、って言うだろう、手を当てるだけでも良くなるものなんだよ。

 あれから僕はたくさんの文字とことばを覚えて、たくさんのヒトやモノとつながろうとしてきたけれど、いまになってやっと、つながりととけあいは違うって気づいた。悲しいんだ、つながらないとつながれないのは、初めて話したあの日から。
 それに、たとえ100通りの響きでおいで、と言っても、アゲハは寄ってきてくれないのだ。

 文字は象り、ことばは隔てる。結局境界を、僕らは消せない。争いだったり、恋いだったり、償いだったり、辛いことを。
 理性的に生きなさい、と教えられてきた。理性的に生きる、というのは根っから、食い違っていやしませんか。その根っから矛盾した物語に乗っかれば幸せになれると、教えられてきた。
 霊長が、頭足を呼ぶ、愚かしさ。
 そんな種類の、愚かしさだね。

 頭から下に足が生えている奇怪な僕ら。歩いていくための頭と、歩いていくための足が、真逆の方を向いている。
 どちらを頼ろうと君の勝手だが、勝手なのは頭の方だったことに気づいていてほしい。上下を、左右を、分けている。
 信じと疑いのテクスチャーを長々、きっと見失っている。足の裏の感覚や、愛でとけあう感覚に、疑問符をつけたがる。信じないって決めるんでもなく、疑問符をつけておいて、さも聡明な気でいる。それってすごく不幸せ。

 文字とことばのテクスチャーを長々、僕の全身から搾り取ってほしい。血液上に、A、B、O、どんな針を通っても、田舎の山道に流れようと、長い長いとけあいの途中なんだから邪魔をしないでほしい。あるいはそっと、手を当ててほしい。
 真と偽のテクスチャーから一番、両方から一番遠いところに、いつまでも手を当てていてほしい。
 そんな種類の「真」ならば、僕は唯一、ほしい気がする。

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