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銀杏と龍
東京、という言葉の響きとは裏腹に、誰もが心を安められるようなスポットは、至るところに。なにも入るのがいちいち申し訳ないような庭園とかじゃなくて、例えば通勤ラッシュで悪名高い埼京線の都内最北端、浮間舟渡駅北口に至近の浮間公園だってそうだ。
巨大な艦隊のように季節が塗り替えてまわる23区の都心から郊外まで。急かされても緩んでも、とにかく動かなければという決意は揺らがない。お陰で長袖を出したり仕舞ったり、忙しいのだけれど。
ふとバイト帰りに立ち寄って景色を見渡す限り、それは殆ど否応ないように君には思えた。人の敷いたコンクリートと人の植えたイチョウの雌株は、どっちが幸せだろうか?
傷のついていないギンナンの実を探して、君は慎重に、でも大胆に蹴飛ばす。
それさえ無ければ秋の香りは結構なものだった。藻の青臭さが消えて、代わりに遠くから野焼きが香ばしく届く。それだけ、空気が澄んでいる。空の青さもだ。
君がわたしと付き合ったのは、秋から冬の短い間だった。藻の青臭さが消えたあと始まって、野焼きの排気が途絶えるまでに終わった。
楽しかったけど、君、センスがないんだもの。公園巡りのじじ臭いデートばっかりで、わたしの靴裏はギンナンの果汁でドロドロだった。
浮間公園には池がある。駅側の入り口から奥の方まで、広く開いて見渡せる。左岸には、なぜか風車も立っていて、ヨーロッパの水郷の町みたい。背後からひっきりなしに聞こえる発車チャイムですら優雅なBGMのよう。水辺のある公園は季節ごとにいろんな鳥と遊べるから、わたし、好きだ。
君は湖畔のベンチで詩集を読んでいる。そういうのがダサくて、やっぱりセンスがない。
君の蹴ったギンナンの実はベンチの脇に、転がって発芽を夢見ている。何かを憎んで始めたわたしの癖を君が無邪気に受け継いでいる、馬鹿で、大切な景色を見られたから、わたしは満足して、次に周りの緑へと目線を移した。緑って言ったけど、今は黄色と橙が強い。自分自身が靴と無関係なのは、幸せなことだと思う。
平日の昼間の公園って言葉が、落ちこぼれみたいにチクチクしているのは理不尽だ。どんなにあくせくしていた日にも、踏み入れたからには発車ベルが優雅に響く、楽園側の住人だ。田舎者の詩にいたく心を動かす男子学生、の隣のベンチにいつからいつまでいるのか有線イヤホンを挿して座る浅黒い老人男、に怖気づくこともなく辺りを走り回っている裕福な子供、が親の制止も聞かずに指差し数える岸いっぱいの釣人、達は揃って、なにかと戦う運命なのに。
落ちこぼれは、強いて言えば、引退したわたしだけでいい。
熱中すればあっさりしているハードカバーの背表紙の質感を、ぱたんと人を落ち着かせる音で世界に伝えて、君は散歩を始めた。イヤホンの老人男はまだ座っている。
足元のギンナンの実の欠片を器用に避ける君のステップは見事なもので、リズムのその軽さは密かに釣り人の戦いを邪魔している。その様子を君は気づいていないみたいだけど、わたしにはちゃんと見えていた。多分、釣人も気づいていない。
戦後すぐに、旧荒川を埋め立てた際の河跡湖がルーツの浮間ヶ池には、現河道と変わらない淡水魚が多く生息する。
代変わりしても公園になっても、電車が来て便利になっても。浮間の鯉は、長閑だった荒川の鯉だ。長命とはいえ、20年の寿命から考えれば、かれこれ五、六世代は都会の鯉をやっていることになる。
次の代を始めてすぐにさっさとやめてしまったわたしは、奴らより臆病というか、聡明というか。
都会を無邪気に泳ぐ君が心配で、と言ってわざわざ一代前まで遡るのは、臆病が強いだろう。どう考えても。
鯉にも年の甲があるのだなあ。釣り人が軒並み糸を手繰っては投げ直しているのを見て、君は愉快なまま再び目を落とした。
遠目に釣人を見つめたことがないわたしには、彼らの動きはちょっと不思議だ。空虚を掴んで空虚を掲げて空虚を投げている。
そういったものに目聡い裕福な子供が、わたしと同じ気持ちだったみたいで、お化けと遊んでるんだよう、と戸惑った顔でしきりに母親に説明している。
お化けは、いるよ。
そう、わたしも忘れていたが、それは浮間舟渡だった。
都会の長い電車は凄い速度で駅に入ってくるね、と君は驚いていた、のはいつまでも改修工事が続く渋谷だったけど、魚釣りのお化けと同じ動きで空中に投げ出された靴の裏から、かつて憎んではいたが今では懐かしくすら思う、その匂いを不意にわたしの嗅覚が捉えたのと同時刻、視覚のほうはといえば、結局同じ緑帯の車両。最期。
お化けは得体の知れない、しかし向こうはこちらを知っていて、少なからず手を加えてくるもの。だとしたら、運命って滅茶苦茶なお化けだ。わたしだって 、順番が違っていたら、とか、月並みのことを考えるものだ。
お化けが姿を隠すとき、代わりに後悔が頭をもたげて、ふと細かいわたしの行動次第で五分五分だったような気がしてくる。だけどきっと、奴は見えないだけで確かに、いる。
自分もまた、君や君と違って渋谷に慣れっ子だったあの人の、お化けでありはしないか。釣り人が一人−ボーズだったのだろう−背中を丸めて、足取りの軽い君とすれ違うのが見えた。
だけどお化けだって、渡鳥たちには追いつけない。鳥だったらなと人が思うのは、彼らの世界には知らないことが一つもないからだ。地面と結びついている時間だけ知らないことが増えていく。空はそんなことを忘れさせる。
向こう数百キロの旅に飛び立つ鳥。彼らは跡を濁さないから先も濁らない。
それに比べて、飛べるのに、わたしはお化けだから大して遠くへは行けない。地や水に−人に、今でも縛られている。
お化けに飽きた頃の裕福な子供が、君のいたベンチ辺りをかけ回るのにも飽きて、再びお化けの話を母に持ちかけている。ねえ、お化けって怖いの、それとも優しいの?
その時だった、ちょうど池の中程の岸にいた釣人が、おかしいくらいに巨大な鯉を吊り上げたのは。
鯉は空中に飛び出るや否や、針を外れるでも、陸に打ち上がるでもなく、一瞬にして消え失せた。釣人と裕福な子供と君の全員が唖然として、それから見間違いだったかな、となにもなかったような顔をした。飛沫の行く先だけが飛蚊症のように視界に張り付いた。
違う。
鯉は確かに針を外れても、陸に打ち上がっても湖面に逃げ戻ってもいない。でも本当は、その存在だけを昇華させて、肉体を脱し、わたしだけに見える龍となって空中へと躍り出たのだ。
そして龍は、うねりながらわたしを目指し、わたしの真ん中に鼻をあてがい、君や君と違って渋谷に慣れっ子だったあの人や、いろんな人の表情を順番に見せた。それから尾でベンチのあたりを叩いて勢いをつけ、ぐんぐん空へと、空へと、わたしを押し上げていった。君が公園が東京が……秋の空は本当に深いんだ。
別れはあっけない。わたしは救われた。救われたその先の宙の外れで、わたしには具体性のない、しかし唯一無二の確かさを持つ後悔だけが残っている。
お化けは優しいよ、確かに優しいんだ。
〜
湖はベンチで見たよりも狭くて、10分もあれば一周できてしまった。釣れたかに見えた一人を含めて釣人は全員ボーズだった。性格悪いけど、愉快だ。
本当はそのまま駅に行ってしまう気でいたけど、座っていたベンチでもう一息つこうと思った。イヤホンのおじさんはどこかに行って、裕福そうな親子も帰ってしまっていた。
僕はふと、自分が蹴って避けたギンナンの実がベンチの横で潰れているのを見つけた。多分、子供が走り回りながら踏んづけたのだろう。少しムッとするような香りがちょっと懐かしい。
僕は二年前のこの時期に付き合っていたあなたのことを思い出した。あなたもよく、銀杏の実を蹴飛ばしていた気がする。別れて以来、音信不通だ。
あなたが隣にいたらなあ。
最近はどうしてるのかなあ。
もう会えなくても元気でいるといいなあ。