東京考察厨#00«都市は拡がり、街数多»
急な減速に揺り起こされ、「サービスエリア休憩かな?」とカーテンの隙間を覗けば、外は既に随分と明るい。どうやらバスは最後の休憩、海老名SAすらとっくに済ませ、最初の下車停留所である横浜駅へ向かっているらしい。夜行バス慣れしている僕でも、これほどの安眠は珍しい。
じゃあ何のためのブレーキかといえば、横浜町田ジャンクションの離合詰まりのようだ。バスはここから東名高速道路の本線を離脱して、保土ヶ谷バイパスに進入しなければいけない。意外にも、横浜、川崎といった神奈川県主要部を逸れてしまう新生・東海道は、そのことでむしろボトルネックを形成しているのだった。
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東京は広い。
町田の分岐が詰まるのは、横浜の道路ネットワークが貧弱なこと—も大いにあるが、それは本質ではなく、東京という都市がいかに拡がっているかの左証である。現に、ニューヨークのマンハッタン方面へのトンネルがほとんど固まってしまうのと同じように、世田谷の東京インターチェンジから20km地点が毎朝動かなくなってしまうのだから。
東京、あるいは首都圏というデッカイ都市が行政区一つ一つでは成し得ない機能を発揮し―あるいはジャンクションの機能を停止させ―ている。何のために?日本の首都であること。世界を動かし、世界に動かされるグローバルシティであること。の他に、忘れてはいけない。ウン千万人が営みの場とする街の数々を自己回帰的に統べているのが、他ならぬ東京なのである。
半ば強引だと思う人は、さくら高速バスSA56便が渋滞に阻まれながらも本線を逸れて、横浜駅に向かう仕組みを考えてほしい。確かに300万都市・横浜のインディペンデンスは疑いようがなく、それ自身が強力な磁場を持っているのもわかる。しかし同時に、その300万人は東京に様々な形で組み込まれ、縛り付けられている…待って。どうか、どうか横浜市民にはもう少しだけ、拳を下ろしていてほしい!
無論、逆もまた然りであるのだから…東京(都心)対横浜(郊外)という構図に落とし込むつもりは更々無い。東急新横浜線が開通するよりもずっと前から服従し、寄与し、または介入し合っている街の数々は―強いて言えば、横浜も東京も、巨大都市「東京」に屈しているのだ。埼玉も千葉も、あるいは新宿や霞が関ですら。それが都市と街の関係である。
この切り離し難さは、例えば「北海道の農作物や成田漁港直送のマグロが都民の食卓に~」といったものとは明確に異なる。次元が違うのだ。そこにローカルの本質があり、広い意味でのグローバルとの境目があるような気がする。
ローカルそのものが面となって広がっていく…あるいはローカルもまた交通網や情報網によってグローバル性を獲得しながら、本物のグローバルとせめぎ合い、干渉し合っている、とも言えるだろうか。
その横浜駅を出て、今度は首都高・横羽線へ。こちらもなかなかのボトルネックを抱え込んでいる。グーグルマップでの渋滞表示によれば、大師橋を過ぎるまでマトモに動きそうにない。どうやら、30分遅れぐらいは見込まねばならないようだ。この時季は夜行バスから降りる時間が少し遅れただけでも、日の高さがうんと変わる。朝の心地よい散歩を期待していたので、ちょっと憂鬱。
スマホ上の遅々とした動きに張り付くようなJRの表示は鶴見線。そういえば、昔一度だけ乗ったことがある。 朝と夜に数本ずつの時刻表に惹かれて、あの日は今と同じくらいの時間の大川駅に降り立った。
大川町はほぼ正方形をした5㎢ほどの人工島で、首都高横羽線沿線が延々とそうであるように、大小の工場が立地している産業地区だ。
島の東縁にあたる大川町緑地が見所で、自分の島よりもむしろ運河を挟んだ向こうのクレーン、さらに遠く東京湾が見渡せる。桜の名所でもあるらしいが、花見の季節でなくとも遊歩道にかぶさった木々は切り揃えられているようだった。
逆に言えば、大川町を工場員としてでなく日常的に訪れる用事は、無い。 大川町は何から何まで人工であるうえ、その役割もまた人為的であり、流動もないのである。
だから、メディアの取り上げる「秘境路線・鶴見線」の言葉選びには露骨な無神経が滲む反面、確かに的を射たコピーでもある。南極が永遠に所属未定の白色で置かれても疑問に思わないのと同じように、現地の従事者でない市民にとっての大川町はまさしく、不毛の地であり、秘境であり、白色なのかもしれない。
であれば、それでも確かに川崎市川崎区の1地区であり、JR路線の終点であり、人々の営みの場である大川町は「東京」にいかに服従し、寄与し、または介入しているのか?
それこそが僕が本編でテーマとしたい街と都市との関係である。違いを普段意識したり明確に使い分けたりする人は少ないかもしれないし、そもそも街、都市という言葉に僕と同じ解釈をつけている人ばかりではないだろうから、ここであくまで僕の定義づけを記しておきたい。
街は磁力を持った粒子の数々であり、都市は街や街同士が描く磁力線の集合体である…と、僕は考えている。
単一の行政区を指すものではないという前提で、新宿やミナミといった言葉を思い浮かべてほしい。その示すものとは、「新宿らしいこと」「ミナミらしいこと」ではなかろうか?
別に、新宿駅の半分が渋谷区に属していようと、都庁近辺の洗練されたビル街から少し歩けば無造作なベンチの並びと古臭いネオン(♪新宿西口、駅の前)とが出迎えるような「新宿性」を新宿と呼ぶし、それは場所ではなくて出来事である。ミナミだってそうだ。大阪市の何区に属していて、接している通りの名前が何だとしても、通天閣の"あの感じ"を浴びる体験がミナミなのだ。
ランドマークや人の流れ、果ては一個人に至るまでの接し合い、体験し合いが、ここで言う磁力線である。その独自な磁力が羅針盤を動かすうちは新宿であり、ミナミなのだ。
界隈という言葉が説明にちょうど良いと気づいている人もいるだろう。歩いてみればわかることだが、渋谷界隈と原宿界隈との境界は明確ではない。あるのは渋谷らしさや原宿らしさのグラデーションだ。
それに対して都市は、字面がおカタいことは抜きにしても、やはり無機質である。街、人 その磁力が互いを押したり引いたりすることで形作られたネットワークを、2つの意味で機械的にとらえた全体。大川町や鶴見沿線という街、界隈は、東京という都市にとっての―霞が関や新宿がそうであるように―歯車の一つだということ。ブルーカラーもホワイトカラーも、生産者も消費者もすべからく…。
あの日、大川町から乗った電車は 、工場への通勤電車の折り返しだった。もう少しで送り返されそうだったおじさんを揺り起こし、彼が急ぎ足で去ったりきり無人の車内に一人、座る。歯車が機械に尽くす作用からは外れた一人として自分はいたのである…いやむしろ、鶴見線の閑散便にひとりで乗り込んだのは、僕もまた磁気を発し、機械に組み込まれる粒子の一つとなる象徴的な瞬間かもしれなかった。
東京という都市の拡がり、抱え込んだ街の数々に対して、僕は全くのストレンジャーである。自分とは無関係なものとして、あるいは余所者という磁力を発しながら、東京という都市の機能を少しずつ担う人々や建物同士の磁力のやり取り、接し合い(=街)を見て回るのは、勝手な想像が次々と湧いてきて面白い。本編は、その備忘録のようなものだ。
僕の東京への個人的な思い入れについては『副都心は迷光を集めて』に、(主に池袋について)詳しい。本編でも幾らか触れるかもしれない。
また地元・函館についてや、他に思い入れのある街(京都、青森など)をピックアップした文章も、過去に複数公開してあるので、そちらも興味があればクリックしてみてほしい。
話が逸れすぎ?いやいや、体感でこれぐらい語れるほどに、首都高が動かないのである。東京モノレールに追い抜かされるのを隙間から見るに、やっと天王洲を通り過ぎたあたりらしい。
全く、東京は広くて敵わない!
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参考文献
『惑星都市理論』第三部「ポストコロニアル都市理論/関係論的転回」
都市の本質が場所ではなく出来事である、という記述をインスピレーションに。
難しくて半分しか理解できてないけど、それでも記述がとても滑らかで圧巻。名著です。