自然から「賜る」ことを旅という
カヤックによる冬季西日本縦断遠征の概要↓
前回までのあらすじ↓
旅は「賜る」という言葉が語源であると考えられている。
旅を通して自然や人から何を「賜る」かはあなた次第。
2021年1月21日
遠征仕様の肉体へ
4時起きでのんびり6時出発。
久しぶりに風呂に入ろうということになり、広島県の倉橋島の桂浜温泉を目指す。
いよいよ瀬戸内海も後半戦となった。
漕ぎ出すと、昨日の疲れは特になく体調は万全。
逆に調子が良すぎるくらい体が軽い。
カヤックをやった事がない方にはカヤックは腕の筋肉を使うとばかり思われがちだが、実はカヤックのパドリングには背中の肩甲骨まわりの筋肉を主に使用する。
旅の序盤はまだ長距離を漕いだ翌日など疲労が溜まると背中が痛むことがあった。
しかし今は筋肉が付いてきたのか強度がある運動を長時間行っても問題はない。
日に日に遠征仕様の体が出来上がってきている証拠である。
こればかりは事前にトレーニングが難しく、旅が始まると同時に漕ぎながら体を慣らしていくしか方法はない。
日本の宗教観
今日の朝日は大島から上る。
毎日海の上から朝日を眺めるのだが、1日たりとも同じ朝日はない。
夜の海に慣れると、当たり前に朝日が上ることにも素直に感謝できる。
電気のない昔の人々が太陽を神にたとえ天照大御神として伊勢神宮に祀ったのも妙に納得ができる。
天岩戸伝説のように太陽が出なければ、夜は明けないし、農作物も育たない。
人々にとって太陽は何よりも重要で畏れ多い存在であったことは間違いない。
自然に身を置き昔の人々と同じ目線で物を見ると、自然にあるもの全てに神が宿り、八百万の神々に人間が生かされていることが実体験できる。
自然崇拝の根本を知るには自然の中に身を置き人間の弱さを知る事が大切なはずだ。
忍耐強く進む
斎島の北側から一気に倉橋島へと25キロの横断。
本日も風は弱く、視界が悪い。
コンパスでしっかり角度を決めながらナビゲーションをしていく。
途中からは後方からの風も吹き始め、一気に追い風に乗って西進できると喜んでいたのも束の間、風は1時間ほどで収まる。
なかなか楽はさせてもらえないようだ。
そこからはまさかの向かい潮で漕げど漕げども進まない。
近くに見えているのに辿り着かないもどかしさは精神的に苦行でしかない。
あれだけ絶好調だった体も一気に体力を失っていく。
結局島が見え始めてから3時間ほど向かい潮の中を漕ぎ、15時30分に桂浜に到着。
本日は55キロを漕ぎ、昨日と今日で120キロと一気に距離を伸ばす事ができた。
全員クタクタでしばらくはビーチで放心状態。
今日は久しぶりにキツかった。
白米は元気の源
温泉に入る前にまずは腹ごしらえをすることに。
とにかく今日は疲れて腹が減っている。
港町を少し歩くと定食屋さんを運良く発見し即入店。
全員の目的はただ一つ。
白米だ。
この旅始まってからずっと腐った保存食の米を食べていたため、10日ぶりにホクホクの白米に感動。
普段は当たり前のように毎日食卓に並ぶ白米がこんなに恋しくなった事は人生で一度もない。
我々日本人はいかに日頃から恵まれた食生活をしているのか考えさせられる。
もっと農家さんに感謝すべきであるし、米を粗末にしては絶対いけない。
旅の中では当たり前だけど忘れていたことを何度も再確認する機会が多い。
旅人の風呂事情
夕飯後は近くの温泉に入り、潮と脂と砂にまみれた体を洗う。
旅人あるあるだが髪は脂でベトベトになるためシャンプーで1度洗ったくらいでは全く泡立たない。
だいたい頭は3度、体は2度洗わないと汚れは落ちない。
まだ冬だから良いものの、これが夏だともう体は生ゴミとほぼ同じ状態になる。
恐らく近くを通った人は異臭に驚くだろう。
旅中の温泉では帰ってもテントしかないため長居する事が多い。
だいたいいつも湯船には2時間近く入り、そのあとは休憩所で充電しながら2時間くらい粘る。
迷惑な客である事はわかっているのだが、温まった体で外に出てテントを張って寝る事ほど憂鬱な事はない。
閉店とともに追い出されるように温泉を後にし浜へ戻る。
夜中から雨予報ということで、早々にテントを張って就寝。
みんな疲れが溜まってきているのか、今夜はほぼ無言でテンションも低かった。
たまにはこんな夜もある。
ゆっくり寝て気持ちを切り替えて明日も頑張ろう。