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高野山お参り~お遍路たび最終日55~

(この記事は2020年9月4日から四国のお遍路を廻った日記です。)

いやー。ここ一番寒い朝でしたね。

お接待フリースがあってよかった!!やまちゃん神!いや、仏様!!

そして、今までで一番心地よい勤行だった。
そのあとのお茶会(副住職さんと参加者が集う)も和やかでとても良い時間だった。
町石道は世界遺産で(恥ずかしながらわたくし、歩いた後に世界遺産と知る)ただの道が世界遺産に登録されるのはとても稀で、1000年以上続く祈りの道として世界遺産として認められているのは、日本では熊野古道とここの二か所だけ、ということを教えて頂いた。
その昔、天皇陛下でさえもこの道は神輿で行くことを禁じられていて、(失神しながら)歩いてきていたという話をして下さった。

途方もない時間と共に積み重なる祈りの道。
その道をわたしも歩いてきたんだ、と今更ながらそのスケールにクラっとする。

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またもコタツの横に、朝ごはん。(蓋取れよ←)
確か、高野豆腐があった、ような・・。

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趣のある中庭が素敵。紅葉真っ最中!

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とても良い宿坊でした、と無量光院を後にする。

高野山は、金剛峯寺が本堂で、奥の院が大師堂となっているらしい。
二つは離れていて、その他にもたくさんお寺があって、観光客もたくさん!
そして、お遍路さんは少ない!
観光地に和傘と杖は目立つなー、という感想。

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「金剛峯寺」

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茅葺の屋根がいい!
この中も見学できるとのことでしたが、入場料1000円ということだったので、断念した。(また来るし、と言い聞かせる)

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街並みも趣があってすてき。

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奥の院へ歩いて移動。

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奥の院入口。

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両脇にお墓(たいそう昔の)があって、

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ときどきお地蔵さまもいらっしゃる。

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大きな松の木かな?

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高野山のお坊さんとすれ違う。

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島津家のお墓。かごんまじんとして、お参りしました。
あ、霊いるな、と普通におもっちゃう。(悪い感じではなく)
でも夜はあんまり行きたくないね。

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木が大きくて、苔むしていて、自然の中の朽ちていくお墓って感じ。

空気が冴えていて冷たい。

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この井戸をのぞき込んで、姿が映らなかったら、三年以内に亡くなるといわれのある井戸。

覗いたら、ちゃんとわたしがいた。ほっ。

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奥の院へ渡る橋。ここからは写真撮影はNG.

奥の院は大きい。
ここからは更に空気が冷たく感じた。
真ん中でずっとお経を読んでいるお坊さんがいて、今までの大師堂のなかで一番厳格な雰囲気。
私もお経を読んで、納経所を探すけど、見当たらず、尋ねたら、全然違うところだった。
順路が右回りになっていたので、お寺の裏手を回る形で歩いていたら、裏側にもお参りするところがあって、ここがお大師様に一番近いところらしい、ということが判明。(また間違った?)

地下の階段を下ったところに、入定されたお大師様が見られるところがあると聞いていたのだけど、なんと、コロナで立ち入り禁止になっていた。。。Oh,no !! (*´Д`)

前を歩いていたおっちゃんと一緒にがっかりして、(また来なさいということなんだ!と言い聞かせる)納経所へ。

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うひょーーう!最後の納経じゃーい!

納経所のおじちゃんが、四国からですか?と声をかけてくださり、お接待でお菓子を頂く。
無料でお茶を飲めるところがあるので、どうぞと言われたので、そこの建物に入る。

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そこで偶然一緒になった方に声をかけられて、お茶を頂く。
二人しかいないのに、お茶は3つで、お一つどうぞと勧められるままに飲んでいたけれど、あとで亡くなった旦那さんのものだということが分かった。
お母さまと息子さん(70代と50代くらい)二人で来ていて、私が四国を廻ってお礼参りに来たと知ったら、えらく感動して下さり、その健康な足に感謝だわね、お母さんは帰ってくるのを心待ちにしているわね。と(たぶん5回くらい、感嘆して)言ってくださった。

この年になって褒められることはそうそうないし、今までも謙遜してばっか(自己否定?)だったけれど、この時はその言葉を素直に受け取れて、そんな自分を誇りに思った。

四国の巡礼に優劣はなくて、全部歩くからエライとかはない。
歩けない人は電車に乗ってもいいし、車で廻ってもご利益は同じ。
ズルとかはない。

私は歩きたいから歩いたわけであって、自分が「歩き」を選んだからそうしただけ。歩けなくなったら帰ろう、そのときはそのとき。とマイペースに歩いてきた。

たぶんそんな感じが私には合っていたのだと思う。
無理をしない。楽しんで歩く。
だから私は1400キロの旅ができたのだろうな、と思う。

まぁ、足が痛いのに歩いたり、ちょっとの無理はしたけれど、それも今では笑える良い思い出。

足のほんの一部が痛いだけで苦痛な修行の道になるのだから、歩ける健全な体があることに感謝だな、としみじみと思う。
普通に生活していたら、歩ける=当たり前にすり替わっていたりするから、お遍路を通して、健康な体の大切さを身をもって体験した。

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美しい紅葉の高野山。それにしても奥の院の敷地は広い!

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企業さんのお墓もたくさんあった。一番わかりやすいヤクルトさん。

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渡蝶のアサギマダラ。

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ホトトギス。

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お昼の高野山カレー!
大食いお遍路のなごり?か、全然たりひん!ってなった。。

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昨日の青年から教えてもらった、お地蔵様。
肝心のお堂は撮り忘れた、、けど、地元のおばちゃん3人が(毎日来てお掃除してお参りしているらしい)ここのお地蔵さんはすごいよーと言っていた。

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木が主役の道。すき。
ケーブルカーの駅までのバス停まで歩いていく。

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あともうちょい、のところでケーブルカーに乗り損ねて、次の便でとなったので、待ち時間で着替えて(白衣からのTシャツ)帰国モード。

そして時間を調べてみたら、帰りの飛行機まで余裕がないことに気が付く!
ここが神奈川県ということをすっかり失念。
なんも考えないでケーブルカー乗ったけど、この便逃していたら、飛行機乗れないとこだった。。

そんでもって、これで電車の乗り継ぎを間違えたら飛行機乗り遅れる!!
ってことで、スマホに手汗の乗り換えアプリ(本当に便利!)を見せつつ、駅員さんと通りすがりの人に聞いて(みんな的確&親切!)なんとか時間通りに関空着。

ひゃーー、最後までいきあたりばっちりもいいとこですよ。

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帰ってきました、我が故郷。(高野山より暖かい♡)

たまに、お遍路で歩くって修行じゃないの?
とか、言われたりするのだけど、そう思えば、そうなるかもね。としか言えない。
懺悔や供養のために歩いているお遍路さんも見受けられて、その方はやっぱりそんな感じの気配を覆っていて、必死さや愁いが見えたりしていた。
その人それぞれに必要なお遍路があるのだろうな、って思う。

大きく言うと、因果応報、カルマみたいな感じもあると思うし、気の持ちようってのもあると思う。きっと、その人が厳格に修行せねばー!って思ったら、やっぱりそれなりのことをやるし、そういう出来事が起きてくる、ような気がする。

私の場合、ご先祖様がずっと見守ってくれていたと感じていた。辛いときやピンチの時には、涼しい木陰や、温かいお接待が必ずあった。そして、どうせ歩くのだから楽しくいこ!と思ってたので、感覚的に「快」な方へ足を進めていたと思う。

どれが良い、悪い、ではなくて、
その人が辿る道、そのすべてが遍路道。

人生遍路道、とはよく言ったもので、人生の縮図を味わったようなこのお遍路旅。

きっと、この人生も楽しんでいこ!
と思って肩ひじ張らず自分のペースで歩いていたら、自然と面白いことになっていくんじゃないかって思う。

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空港からの最終バスまで時間があったので、こちらもラストオーダーのギリで、リベンジカレー!
やっぱカツがのってなきゃ、カレーじゃないわよね。(←おい。)

やはり最後は食べ物で締めくくられるお遍路たび☆でした。
(美味しいものも楽しんでいこう!☆)

最後まで読んでくださりありがとうございました!

お遍路は人生そのもの。
これからも人生の旅を楽しみながら、歩いて生きます!(^^)!

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タビムスビ
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