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【さかばなし11】悲しき灯台つぶ

「さかばなし」は、酒場(さかば)であった、ちょっとしたエピソード(はなし)について綴っています。「さかば」の「はなし」で、「さかばなし」です。


しばらく顔を出していなかった酒場の暖簾をくぐった。カウンター席と、テーブル席が2つの小さな店だ。

いらっしゃいませ、と厨房から顔を出したのは見慣れぬ男性。いつもの店主ではない。とりあえず瓶ビールを注文し、手酌しながら手書きメニューに眼を通す。

「今日は灯台つぶがおすすめです」と男性店員。それでお願いします、とわたしが返す。この酒場、新鮮な魚介が得意なので、おすすめに従うのが間違いない。

灯台つぶ

灯台つぶは、煮付けて食べることは多いが、刺身は初めて。ひと切れ醤油につけて食べてみると、こりこりとした食感、濃い旨み、これはいい。

目の前に置いてある「春雨」をロックでもらい、灯台つぶを肴に呑み進める。

「灯台つぶは、大船渡産です。相当鮮度が良くなければ刺身にできないのですが、今日はいいモノが手に入りました」

「で、殻を剥けないので、殻を叩いて割って、身を外します。身はぬめりがすごいので、塩で丁寧に揉んで綺麗にしてから削ぎ切りします」

と男性店員が教えてくれる。

そして、「初めて、、、ではないですよね?」と尋ねられたので、はい、と答えると、「前の店主、わたしの兄貴は、半年前に亡くなりました」と男性店員、いや、今の店主が話してくれた。

「心筋梗塞だったようです。あの日、兄貴と釣りに行こうと約束していて、時間になっても来ないし連絡も取れないしで、家に来たら玄関で倒れてまして、、、救急車を呼んだんですが、手遅れでした」

え、そうなんですか!? とわたしは驚いで声を上げた。

「当時、わたしは別の店で調理師として勤めていたのですが、兄貴が大事にしていたこの店を閉める気持ちにはなれず、わたしが継いで店に立っています」

そんな、、、とわたしは言葉をなくした。わたしは、亡くなった前の店主から、酒の話や肴の話や釣りの話を聞くのが好きだった。まだ亡くなるような年ではなかったから、本当に驚いたし、悲しくなった。

わたしは灯台つぶを食べ終え、胡瓜の古漬けを注文した。亡くなった前の店主が自ら漬けていた、日本酒も焼酎も延々と呑める一品だ。

「またいらしていただき、ありがとうございます。兄貴も喜んでいると思います。これ、兄貴が漬けていた古漬けの作り方を、たまたま亡くなる直前に聞いていたので、兄貴が作ったのと近い味になっていると思います」

たしかに、今の店主の古漬けも、日本酒も焼酎も延々と呑めそうないい味わいだった。

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